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僕を死刑に処す  作者: 夕藤さわな
第四章
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第四十話「僕は、僕を死刑に処す」

 二〇一九年二月一〇日――。


 住み込みバイトが始まって以来、なんだかんだで初のお休みをもらった今日。俺とミコトは京都競馬場にやってきていた。

 冬らしい灰色に近い薄青空が広がっている。天候は晴れ、馬場は良。スタンド右手から迫ってくる馬群に、俺は馬券を握りしめた。


「マジか……」


 近付いてくる馬のゼッケンが見えた。


「……マジか、マジか」


 団子状態で見えにくいが……馬番八番がほんの少し、ほんのわずかだが、前に出ている気がする。

 スタンド前のゴール板が迫る。

 そして、団子状態のまま――。


「マジか、マジか!」


 ゴール板前を先頭集団が駆け抜けた。


「マジかぁぁぁ!」


 馬券を握りしめたまま絶叫すると、俺は頭を抱えて冬空を仰ぎ見た。

 今日のメインレースである京都競馬場 第十一レースは、GⅡ〝京都記念〟。その京都記念を制したのは、ダンビュライト。黒鹿毛くろかげと呼ばれる黒っぽい毛色の馬だった。

 俺が買った馬券は三連単。一着、二着、三着でゴールする馬を着順通りに的中させないといけない。かなり難しいけど的中させると一番、払い戻し金額が大きくなるのがこの買い方だ。

 つい今しがた終わった京都記念は、一着でゴールしたダンビュライトが六番人気。二着は一番人気のステイフーリッシュ。三着は二番人気のマカヒキ。四着は四番人気のパフォーマプロミス。

 ちなみに俺はステイフーリッシュ、マカヒキ、パフォーマプロミスと予想して、三連単馬券を買っていた。つまり――。


「ダンビュライトが……ダンビュライトが来なければぁぁぁ!」


 と、いうことだ。

 スタンド席に設置された手すりに額を押し付けて呻き後をあげていると、


「着順、確定しましたよね。僕の応援馬券をください」


 淡々とした調子のミコトの声が、下の方からした。顔をあげた俺に向かって、ミコトはずいっと手のひらを突き出した。ちょっとだけ唇も尖っている。無表情でわかりにくいけど、すねているか、苛立っているのだろう。

 太々しくて、図々しい態度に俺はため息をついた。コートのポケットに手を突っ込んで、


「ほら」


 取り出した馬券をミコトの手のひらに乗せた。


「……!」


 ミコトはぴょん! と、小さく飛び跳ねた。

 大切そうに両手でつまんでいる馬券は、たった今終わった第十一レースの応援馬券だ。〝アクションスター〟という馬名と〝がんばれ!〟の文字が印字されている。京都記念を出走した十二頭のうち、十二着でゴールした栗毛の馬だ。

 馬券は二十歳以上にならないと買えないし、譲るのも禁止されているけど、ミコトに渡したのはハズレ馬券。ただの紙切れになったわけだし、セーフだと思いたい。

 前回の中山競馬場のときと同様、外れてただの紙切れになった応援馬券を大切そうに握りしめて、ミコトはキラキラと目を輝かせている。

 一週間前に東京行きの高速バスの中でアクションスターの次走情報を知ったとき。そのときはレースまでにミコトが消えてしまうかもしれない、死んでしまうかもしれないと不安だった。

 俺の隣にいなくても構わない。この京都記念を、アクションスターが走っている姿を、ミコトが見てくれればいいと、そう思っていた。

 でも――。

 ミコトは今日、京都競馬場でレースを見ることができた。大好きな栗毛色の馬が走るのを見つめて目を輝かせていた。俺の、すぐ隣で――。

 上出来だろう。

 くすりと笑って、俺は歩き始めた。


「さて最後、十二レースの馬券を買いに行くぞ。ミコトは気になる馬とか……」


「いないです」


「だよな、お前はアクションスターだもんな」


 食い気味に答えるミコトにけらけらと笑いながら言った瞬間――。


「……」


 ミコトは足を止めると、ぽかんとした表情で俺を見つめた。どうした? と、尋ねようとして思い出した。

 以前、ミコトが言っていた。


「小さい頃、よく父さんに連れられて馬を見に行ったんです。でも、僕は全然、興味を示さなくて。そのたびに父さんは〝お前はアクションスターだもんな〟って言って、栗毛の馬の話をしてくれたんです」


 と、――。

 〝お前はアクションスターだもんな〟という言葉を深読みして、ミコトの母親を探すヒントになるんじゃないか、なんて考えていたけど――。


「やっぱり、全然、僕の母さんとは関係なかったじゃないですか」


「そうだな。全然、関係なかったな……」


 ミコトにジト目で見つめられて、俺は額を押さえた。

 もっと単純な話だ。


 ――お前はアクションスターが好きなんだもんな。

 ――お前はアクションスター以外の馬に興味はないんだもんな。


 その程度の意味で、その程度のことしか考えないで言ったのだ。今の俺も、きっと未来の俺も。

 苦笑いして再び、歩き出す。


「でも、まぁ、ミコトの母親のことはどうにかなりそうだからな! 住み込みのバイトも続けられることになったし、心強い味方も得たわけだし。これで俺の方が一歩、優勢だな」


 心強い味方と言うのは、もちろん秋穂さん、夏希ちゃん、千鶴ちゃんのことだ。ただ、まぁ、一筋縄では行かないだろうと内心、思ってはいるけれど。


「僕は全然、全く、少しも望んでいないのに」


 馬券を買いに向かう俺の後ろを小走りについてきながら、ミコトはため息混じりに言った。


「残念だったな。お前が望もうが望むまいが、俺も、秋穂さんも、夏希ちゃんも、千鶴ちゃんだって全力でお前を助けようとするんだよ」


 ふふん、と鼻を鳴らして胸を張る。


「僕は……人殺しなのに、ですか?」


 隣に並んだミコトがガラス玉みたいに無機質な目で俺を見つめた。

 そうだ。ミコトがミコト自身を死刑にしなければならなくなったのは人を殺したからだ。大切な家族を――犬たちを爆弾代わりにされて、人間に絶望して、人間を殺したから。

 理由があったんだから仕方がないとは言えない。どうしても言えない。

 それでも――。


「それでも俺は、お前に消えてほしいとも死んでほしいとも思ってないんだよ!」


「ぶにゃ!」


 俺はミコトの額を、平手でぴしりとはたいた。


「わかりました。それなら僕も本気でいきます。全力で父さんと母さんの恋路を邪魔します」


 額を両手で押さえて唇を尖らせたミコトは淡々とした口調で、なかなかにろくでもないことを言った。邪魔をする目的がわかっていると余計にろくでもない。


「あのな、ミコト。人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んじまえって言葉が昔からあってだな」


「望むところです。僕は死ぬために過去ここに来たんですから」


 ため息混じりに指摘したら、間髪入れずに言い返されてしまった。ムッとして足を止めた俺は、すぐさま不敵な笑みを浮かべて振り返った。


「そうか、そうか。そういうことを言うのか、お前は。ならば、本気を出そう。父親の威厳ってものを見せてやる!」


 腕を組んで小柄なミコトを見下ろすと、ミコトはムーッと頬を膨らませて俺を睨みつけた。


「子供相手に本気出すなんて大人げないです」


「なんとでも言えー。手段を選ばないのが大人というものだ!」


「大人げないです、大人げないです!」


「俺だけじゃないぞー。あの秋穂さんや夏希ちゃん、千鶴ちゃんまでもが全力でお前の邪魔をしにくるぞー。覚悟しておけ!」


 ビシッ! と鼻先に人差し指を突き付ける俺を見返して、


「覚悟するのは父さんの方かもしれませんよ?」


 ミコトはすーっと目を細めた。


「秋穂も夏希も千鶴も。確かに僕の邪魔をするとは言いましたが、だからと言って父さんのせん馬の危機が完全に去ったわけでもないと思うんです」


「うぐっ!」


「夏希を襲ってる写真を捏造してからのせん馬計画はあまりにも雑過ぎたと深く反省しています。次は綿密に計画を立て、父さんの信頼を亡きものにし、必ずやせん馬にしてみせます!」


 相変わらずの無表情で、ぐっと拳を握りしめるミコトを見て、俺の頬がピクピクと引きつった。気を抜いたら本気でせん馬になりそうだ。

 だからと言って、そんな脅しに怖気づいて引く気はない。


「やれるもんならやってみろ! 俺はお前の母親と……秋穂さん、夏希ちゃん、千鶴ちゃんのうちの誰かと恋をして、絶対にお前を守ってみせるんだからな! 全力で掛かって来い!」


「いいでしょう。この勝負、全力で受けて立ちます。必ず、父さんと母さんの恋路を邪魔してみせます」


 真っ白な髪の野良猫は、俺の目を真っ直ぐに、睨むように見つめた。そして――。


「絶対に……」


 にひっと白い歯を見せて、子供みたいに無邪気な満面の笑顔を浮かべた。

 約二十日いっしょに過ごして、初めて見る未来の俺の娘の笑顔は最高に可愛くて――。



「僕は、僕を死刑に処す!」



 思わず親バカを発動して見惚れる俺の鼻先にミコトは人差し指を突き付けると、とんでもなく、ろくでもない宣言をしたのだった。

第一部 完結です。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました(/・ω・)/

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