第三十八話「到底、信じられる話じゃないけど」
「寒……!」
身震いして目を覚ました。
飛び起きなかったのは、体の右半分を押さえつけられて出来なかったからだ。
寒いのも冬の朝だからというだけじゃない。俺の右半身を押さえつけて熟睡しているミコトが、俺の掛け布団と毛布を半分以上かっさらっているからだ。こういうところも図々しくて、太々しくて、ボス野良猫っぽい。
ちらっと見ると、ミコトは俺の腕にしがみついてすやすやと眠っている。美味しい物を食べる夢でも見ているのか。口元がだらしなく緩んでいた。
「……」
起きているときは無表情なくせに、寝ているときは表情豊かなのだから不思議だ。空いている左手でミコトの白い髪をそっと撫でた。
俺とミコトが寝ているのは二週間ほど使っていた使用人部屋だ。一番狭い部屋しか空いてないと言われたけど、火事で焼けてしまったボロアパートの一室よりも遥かに広い。ベッドだって二人分、用意されている。
だというのに、昨夜のミコトは俺のベッドに潜り込むと意地でも出て行こうとしなかった。仕方なくいっしょに寝たのだけど、起きてみたらこれだ。
「風邪でも引いたらどうしてくれるんだ」
ため息混じりに言ったあと、夏希ちゃんと千鶴ちゃんの顔を思い浮かべた。
昨日、書き置きを残して家出した夏希ちゃんと千鶴ちゃんは、荒れた裏庭の物置で無事に見つかった。俺とミコトの言い合いがひと段落するのを待って、秋穂さんの自室へと連行されていった。多分、こっぴどく叱られたのではないだろうか。
まぁ、秋穂さんや使用人のみんなに散々、心配を掛けたのだ。説教くらいは仕方がない。
寝袋とノエルで暖を取っていたと言っても、真冬の、暖房器具もない物置で寝ていたのだ。風邪を引いていないといいのだけど。
朝食のあとにでも体調は大丈夫か、二人に聞いてみようか。
そう考えて、俺はくすりと笑った。
俺もミコトも、また藤枝邸で住み込みでバイトが出来ることになった。
秋穂さん、夏希ちゃん、千鶴ちゃん――三姉妹の中にいるはずのミコトの母親と俺との縁は、とりあえず切れずに済んだ。これでミコトがすぐに消えたり、死んだりすることはないはずだ。
ただ、藤枝三姉妹の誰がミコトの母親なのかはいまだにわかっていない。ミコトがすぐに消えたり、死んだりする心配はなくなったけど、のんびり成り行き任せともいかない。
とは言え、ミコトのことだけを考えて、俺自身の気持ちや秋穂さん、夏希ちゃん、千鶴ちゃんの気持ちをないがしろにするわけにもいかない。
それこそ、不誠実だ。
「どうするかな……」
まだ暗い天井を見上げて俺はため息をついた。
ミコトの協力も得られない。たった一人でどうやってこの問題を解決しようか。
そう思って、途方に暮れていたのだけど――。
朝食後、秋穂さんの部屋に行くように言われた俺とミコトは、執務室みたいに広くて立派な秋穂さんの部屋へと向かった。
「……失礼します」
「……」
俺は首をすくめて恐る恐る、ミコトはあごを上げ、唇を尖らせて部屋に入った。
なんだ、その太々しい態度は……と、思ったけど。俺と三姉妹の仲を邪魔し損ねて、ミコトにとっては不満な状況なのだと思い至った。
ただ、褒められた態度ではないので、
「……ぶにゃ!」
ミコトの額を平手でぴしりと叩いた。
部屋に入ると正面に大きな机があって、その前に秋穂さんが立っていた。左右には夏希ちゃんと千鶴ちゃん。それから――。
「バウッ」
ノエルもいる。
平日午前中だというのに、夏希ちゃんも千鶴ちゃんも私服姿だ。
「あの、学校は?」
「昨日は夜更かししてしまったので休みました」
「いつもは真面目に通ってるから、今日一日くらい休んでも大丈夫よ」
千鶴ちゃんは苦笑いで、夏希ちゃんは大あくびをしながら言った。秋穂さんを含めて、三人とも疲れた表情をしている。
「バウッ、バウッ」
元気なのは夏希ちゃんの足元におすわりして、満面の笑顔を浮かべているノエルだけだ。
「えっと、それで……」
「あぁ、はい。トウマくんとミコトちゃんを呼んだ理由ですよね」
そう言って、秋穂さんはにこりと微笑んだ。
「私と夏希ちゃんと千鶴ちゃん。三人でトウマくんとミコトちゃんについて色々と話したんです。それこそ一晩中」
秋穂さんの言葉に俺は目を丸くした。てっきり三人が眠そうにしているのは、家出の件で説教をしていたからだと思っていたのだ。
「トウマくんが私に話したこと。トウマくんとミコトちゃんが裏庭で話していたこと。それらを総合すると……」
秋穂さんの言葉を引き継いで――。
「トウマさんは、ミコトちゃんのお父さんで……」
千鶴ちゃんが。その千鶴ちゃんが目配せすると――。
「ミコトの母親は、私たちの三姉妹の誰かかもしれない……って、ことよね。到底、信じられる話じゃないけど」
夏希ちゃんが、次々に言った。
夏希ちゃんはいつも抱えている犬のぬいぐるみで口元を隠している。口調がぶっきらぼうなのも、耳まで真っ赤なのも、ミコトの父親と母親というのが、つまりどういう関係かをわかっているからだろう。
そういう反応をされると、つい意識してしまう。目が泳ぎそうになって、
「…………」
無言で微笑んでいる秋穂さんと目があって、俺は静かに背筋を伸ばした。どうやら完全にせん馬の危機、去勢の危機を脱したわけではないらしい。……気を付けないと。
秋穂さんは咳ばらいを一つ。
「ミコトちゃんが未来から来た……と、いう部分は特に信じられませんが、だからと言って二人が嘘をついているとも私たちには思えない」
真剣な表情で言った。