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僕を死刑に処す  作者: 夕藤さわな
第四章
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第三十二話「あなたのせいですよ、トウマくん」

 タクシーから降りた瞬間、


「つ、着いた……!」


 俺は思わずバンザイをしていた。緩やかな坂の上には藤枝邸が見えていた。

 Uターンして駅へと戻っていくタクシーはライトを付けている。タクシーのライトが遠退いて、あたりは一気に暗くなった。藤枝家の敷地の外で下ろしてもらったけど、ここから正面玄関まで、まだ百メートル以上ある。やっぱり信じられないくらい広くて立派な家だ。

 でも、あと百メートル強で藤枝邸に辿り着けるのだ。

 俺が乗ったのは途中休憩なしで東京駅まで向かう高速バスだった。東京駅に着くなり、折り返しの高速バスに乗り換えて、藤枝邸の最寄り駅に到着したのが十九時。タクシーを拾って、ここまで来るのに三十分。

 藤枝家三姉妹の夕飯は十九時半からだ。今の時間帯なら秋穂さんも使用人たちも、食堂とキッチンがある二階に集中しているはずだ。

 勝手に侵入するのは大問題だけど、使用人たちに見つかって秋穂さんと話をする暇もなく追い出されても困る。秋穂さんと話さなければ、誤解を解くことはできない。目指すは執務室みたいな秋穂さんの部屋だ。

 緩やかな坂を登り切って、鉄柵の正門を見上げた。高さは二、三メートルあるだろうか。門はぴたりと閉ざされている。鉄柵の左右に石造りの柱があって、右手の柱には人が出入りするための扉があるのだけど、こちらも閉まっていた。多分、カギも掛かっているだろう。

 それに正面から邸に入るのは誰かに見つかる可能性が高い。


「ぐるっとまわって荒れた庭の裏口から……って、辿り着けるのか?」


 邸をぐるりと囲む森を眺めた俺は乾いた笑い声を漏らした。二月に入ったばかりで、しかも夜だ。道に迷いでもしたら凍死しかねない。


「きっと途中で入れそうなところが見つかるよな!」


 引きつった笑みを浮かべて、やけっぱちで駆け出した。


「トウマさん……!」


 いや、駆け出そうとして、たたらを踏んだ。

 ギシギシと軋んだ音がしそうなほどにぎこちない動きで振り返ると、案の定。石造りの柱の扉が開いていて、園田さんが仁王立ちで俺を睨みつけていた。俺とミコトの教育係だった、藤枝家使用人の園田さんだ。

 追い返されるか、警察に突き出されるか。できれば、秋穂さんの前に連行されて、せん馬ルートというのは回避したい。後退って逃げようとして、思い留まった。


「秋穂さんと会って話をしないと、なんにも始まらないか」


 唇を引き結んで園田さんの元に恐る恐る、歩み寄る。


「いいところに戻って来てくれました。手伝ってもらえませんか。いえ、それよりも先に秋穂お嬢さまのお部屋に……!」


 怒鳴られるだろうと覚悟していたのに、園田さんはいつになく慌てたようすだ。目を丸くして小走りに駆け寄った。


「何かあったんですか?」


 そういえば、邸周辺が騒がしい。いつもはフクロウの声くらいしかしないのに、今日はあちこちから女性の声がする。使用人たちが何か叫んでいるようだ。


「それが、夏希お嬢さまと千鶴お嬢さまが……」


 園田さんは頬に手を当てて、おろおろとしながら言った。


「書き置きを残して家出してしまったんです!」


 ***


 いつもは背筋を伸ばして静々と歩く園田さんが、やや前傾姿勢で足早に歩いて行く。その後ろを追い掛けて、秋穂さんの部屋の前に到着した。

 緊張でつばを飲み込む暇も与えず、園田さんは勢いよく扉を開けた。


「秋穂お嬢さま、失礼いたします!」


「夏希ちゃんと千鶴ちゃんは見つかった!?」


 間髪入れずに秋穂さんの声が返ってきた。

 部屋の中をのぞくと大きな執務机の前に秋穂さんが立っていた。大きく見開かれた目は園田さんが首を横に振るのを見て、みるみるうちに泣き出しそうな顔に変わった。

 園田さんの後ろに俺がいることには気が付いていないらしい。秋穂さんは両手で顔を覆うと、背中を丸めてうつむいてしまった。

 藤枝邸のことを取り仕切っているのは長女の秋穂さんだと、秋穂さん自身が言っていた。確かに、秋穂さんはこの邸の主として完璧に振る舞っていた。凛と背筋を伸ばし、使用人たちに目を配り、妹たちのことを気にかけて、男である俺の動向に目を光らせていた。

 だから、すっかり忘れていた。

 どれだけ振る舞いが大人びていても、目の前にいるのはまだ大学生の、女性とも少女とも呼べるような年齢の子なのだ。背中を丸めて小さくなって、不安に肩を震わせるような普通の――。

 思っていたよりもずっと華奢な秋穂さんの背中に、俺は唇を噛んだ。

 と、――。


「秋穂お嬢さま、トウマさんがいらっしゃいました」


 園田さんの言葉に、秋穂さんは勢いよく顔をあげた。かと思うと、すたすたと大股で俺の目の前までやってきて躊躇なく俺の胸倉を掴んだ。

 思わず背筋を伸ばす。ほんの少し前まで胸の内にあった、華奢で守ってあげたいという気持ちが一瞬で吹き飛んだ。


「トウマくん! 夏希ちゃんと千鶴ちゃんから何か連絡はありませんでしたか!?」


「いえ、ありません!」


 反射的に両腕をあげた。降参のポーズだ。はたから見たら鼻で笑われそうな勢いだったと思うけど、もちろん目の前の秋穂さんはくすりとも笑ってくれない。


「そう、ですか……」


 秋穂さんは肩を落として、俺の胸倉から手を離した。でも、すぐに顔をあげると園田さんを真っ直ぐに見つめた。


「捜索範囲を広げてもらえますか。駅の周辺を重点的に。車は使っていないはずですし、そこまで遠くには行けないと思いますが、念のため」


「森に入られた可能性も……」


「考えにくいですが可能性はあります。でも、この暗さです。捜索するにしても明るくなってからです」


「ですが……!」


「他の使用人たちにも伝えておいてください。……あなたたちまで行方不明になってしまうようなことになったら、私が心労で倒れてしまいます。決して無茶はしないように、と」


 そう言って唇の片端を上げ、秋穂さんは微笑んだ。いつもよりも弱っているのかもしれない。それでも凛とした表情だ。

 園田さんは表情を引き締めて頷くと、深々と一礼して部屋を出て行った。


「……家出をしたって聞きましたけど、何があったんですか?」


 扉が閉まるのを待って俺は秋穂さんに尋ねた。

 秋穂さんの部屋までの道すがら、園田さんは口早に状況を説明してくれた。でも、話してくれたのは家出が発覚した経緯と現在の捜索状況についてだけだった。

 夕飯の時間になっても食堂に現れない夏希ちゃんと千鶴ちゃんを心配して、部屋をのぞきに行ったら書き置きがあったこと。邸内や駅、学校までの道を使用人たちが手分けして探しているけど、まだ見つかっていないこと。

 そういう話しか聞けていない。


「夏希ちゃんと千鶴ちゃんは、どうして家出なんか……」


 尋ねた瞬間――。


「あな……」


 秋穂さんの表情が歪んだ。


「あな……?」


「あ、あな……あなたのせいですよ、トウマくん!」


 恐る恐るオウム返しにした俺をキッと睨みつけて、秋穂さんは思い切り怒鳴った。

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