第二十八話「お茶会です、秋穂姉さん」
週末――。
藤枝邸の二階にある食堂のドアが静かに開いた。食堂内にいる夏希ちゃんと千鶴ちゃん、そして俺はごくりとつばを飲み込んだ。
「……これは?」
ミコトに続いて食堂に入ってきたのは秋穂さんだ。白いブラウスに黒のタイトスカート、肩からストールを羽織って、今日もお嬢さま然とした服装だ。
二人の妹と、その隣に並ぶ俺を見るなり、秋穂さんはすっと目を細めた。静かに殺気立つ目に、俺は前屈みで身震いした。
「お茶会です、秋穂姉さん」
「このあいだ、千鶴とトウマとミコトと、それからノエルもいっしょにお茶会をしたの」
千鶴ちゃんのはにかんだ微笑みと夏希ちゃんの笑顔に、秋穂さんは眉をひそめた。
「トウマくんも……いっしょに?」
「お姉さま、気にするところはそこじゃないの!」
「バウッ」
「ご、ごめんなさい、夏希ちゃん!」
夏希ちゃんが唇を尖らせるのを見て、秋穂さんは慌てたようすで駆け寄った。そして、夏希ちゃんの手をがしりと握って目を潤ませる。
「ちゃんと最後まで聞くから、秋穂お姉ちゃんにも何があったのか話して? 秋穂お姉ちゃん、夏希ちゃんの話なら何でも聞きたいわ!」
秋穂さんの熱っぽい視線に、夏希ちゃんは思わずといった様子で顔を仰け反らせた。千鶴ちゃんも微笑んだまま、そっと距離を取っている。
秋穂さんの妹たちへの愛情は、どうにも一方通行なようだ。三人の様子を遠巻きに眺めて、俺は苦笑いした。
「それでね、千鶴とトウマが作ったホットケーキを食べたんだけど。それがもう、モソモソしてて美味しくなくて!」
「ちょっと焼き過ぎたけど、美味しくないってほどじゃないでしょ?」
「いいえ、あれは美味しくないの域よ!」
「バウッ」
千鶴ちゃんと夏希ちゃんのあいだでおすわりしているノエルが、夏希ちゃんに同調するように吠えた。
「ノエルは食べてないでしょ?」
千鶴ちゃんが話しかけると、ノエルはきょとんとした顔で首を傾げた。でも、すぐに舌を出した満面の笑顔で大きく尻尾を振った。
千鶴ちゃんとノエルはすっかり仲良しになっていた。
「食べてはいないけど、においでわかるのよ。ね、ノエル。あれは美味しくないにおいだったわよね」
「ちょっと……美味しくないにおいって何? 失礼なこと言わないでよ」
今も千鶴ちゃんは夏希ちゃんと言い合いながら、ノエルの方を見ずに頭を撫でている。
そう、ノエルとだけじゃない。
夏希ちゃんと千鶴ちゃんも仲良しになっていた。言い合いができる程度には。
学校の行き帰りや秋穂さんが大学から帰ってくるまでの時間。千鶴ちゃんとノエルが仲良くなるための練習という名目で毎日のように一階の応接室に集まっていた。
一応、俺とミコトも同席していたけど、ここ数日は二人と一匹だけにしても気まずい空気が流れたりすることはなくなっていた。
夏希ちゃんと千鶴ちゃんの変化に秋穂さんも気が付いたらしい。
「二人とも……いつの間にか、ずいぶんと仲良くなったのね」
目を丸くする秋穂さんに、夏希ちゃんと千鶴ちゃんは顔を見合わせた。そして、二人揃って、いたずらっ子のような笑顔を浮かべた。
「その美味しくなくてペラペラのホットケーキのお礼に、ね」
「今度は藤枝家の〝ホテルで出てきそうなホットケーキ〟をトウマさんとミコトちゃんに食べてもらおうって話になったんです」
「千鶴もトウマもミコトも、あんな貧乏ホットケーキには二度と戻れない肥えた舌にしてあげるから、覚悟なさい!」
「貧乏ホットケーキって、失礼な」
最後の一言に、千鶴ちゃんは夏希ちゃんをひと睨み。でも、すぐにくすりと笑って部屋の隅で成り行きを見守っていた園田さんの元に駆け寄った。
ホットケーキを運んで来てくれるよう、伝えに行ったのだ。
その隙に夏希ちゃんは背伸びをして、秋穂さんの耳に顔を寄せると何事か耳打ちした。声が小さくて聞こえなかったけど、夏希ちゃんの口の動きと秋穂さんの表情で察しがついた。
このお茶会に秋穂さんも誘おうと言い出したのは千鶴ちゃんだった。きっと、それを告げたのだ。
秋穂さんは口元を手で押さえて、目をうるうると潤ませていた。
「秋穂姉さん、座って。トウマさんとミコトちゃんも! ノエルもおいで」
「バウッ」
戻ってきた千鶴ちゃんが明るい声で言った。
「ちょっと千鶴、勝手なこと言わないで! ノエルは私の隣よ!」
「たまにはいいじゃない。ねえ、ノエル」
「バウッ」
「いいえ、ノエルは私の隣に決まってるでしょ! ほら、こっち来て!」
「バウ……」
夏希ちゃんと千鶴ちゃん、二人に名前を呼ばれてノエルはすっかり困り顔だ。
「なら、夏希ちゃんと千鶴ちゃんが隣同士で座ったら?」
見兼ねた秋穂さんがくすくすと笑いながら言った。夏希ちゃんと千鶴ちゃんは顔を見合わせた。
「仕方がないわね。千鶴もこっちに来なさい」
「夏希が移動するっていう選択肢はないの?」
「ないわよ。だって、私の方がお姉さんですもの」
「たったの半年でしょ?」
「半年も、お姉さんなの! 妹なんだから、もうちょっと可愛げってものをねえ……!」
バシバシとテーブルを叩いて文句を言う夏希ちゃんと、くすくすと笑いながら夏希ちゃんの隣のイスに腰かける千鶴ちゃんと――。
「とっても賑やか」
二人の明るい声に目を細めていると、俺の心の声を代弁するように秋穂さんが囁いた。いつの間に隣にやってきたのだろう。思わず背筋を伸ばした。