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僕を死刑に処す  作者: 夕藤さわな
第三章
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第二十四話「娘が望んでいなくても……ですか」

「あの日も空き部屋に潜り込もうとして、ぎんじいちゃんに見つかったんだ」


「……怒られたんですか?」


 ミコトの声にハッと顔をあげた。ミコトは俺のことを見つめて、きょとんとした顔で首を傾げている。

 母親のことを――昔のことを思い出すだけで泥に沈み込んでいくような気分だ。話しながらミコトのこともすっかり忘れていた。

 馬のぬいぐるみを膝の上に置いて、ミコトを真っ直ぐに見つめて、俺は首を横に振った。


「いや、怒られなかった」


 怒られるかもしれないと固まってる俺をじっと見つめて、髪は真っ白でいかつい顔をしていて、年のわりにはがっしりと肩幅のあるその人は――ぎんじいちゃんはため息をついた。襟首を掻くと、


「そこは入っちゃダメた、俺の部屋に来い……って」


 そう言った。

 ミコトは自分のベッドから下りると小走りにやってきて、俺の隣にちょこんと腰かけた。


「ぎんじいちゃんに競馬を教えてもらったんですよね」


 母親のことは話さないくせに、ぎんじいちゃんのことは話していたのか。ますますミコトが言う〝父さん〟に親近感を覚えてしまう。


「土日は必ずって言っていいほど、ぎんじいちゃんの部屋で競馬番組を見てたよ」


 ぎんじいちゃんの部屋に逃げ込んで、ぎんじいちゃんが買ってきたメシを分けてもらって、どうにか生き延びていた。

 育児放棄で餓死した子供のニュースが流れるけど、そのニュースを見るたびに思う。あの子たちは、ぎんじいちゃんに出会わなかった俺だ。


 ――ディープインパクトは牡馬ぼばにしては小せえ体をしてるけどな。それでもこんなに強いんだよ。


 背が低くて、ガリガリで、クラスの男子にいじめられてた俺の頭をくしゃりと撫でて、ぎんじいちゃんはそう言った。

 今でも、はっきりと覚えてる。

 第五十一回 有馬記念――ディープインパクトの引退レース。

 レース終盤まで馬群後方に付けていたその馬は、観客たちの歓声に応えるようにぐんぐんと速度を上げて、他の馬たちを突き放し、二着の馬と三馬身の差を付けて圧勝した。

 ぎんじいちゃんのごつごつした手に頭を撫でられながら、他の馬たちよりも明らかに小さな体の馬が飛ぶように駆けて行くのを、テレビ画面越しに見つめた。

 レースの興奮も。自分もこんな風になりたいという憧れも。ぎんじいちゃんがいっしょにいてくれるという安心感も。

 全部、はっきりと覚えてる。

 でも、ぎんじいちゃんとずっといっしょにいることはできなかった。


「俺が十才になったとき、ぎんじいちゃんは老人ホームに入ることになった。原因は俺の母親。俺の母親のせいで腰の骨を折って、車イスで生活するしかなくなったんだ」


 多分、母親ともめた原因は俺だ。俺のことで母親がぎんじいちゃんに何か言ったのか。ぎんじいちゃんが母親に何か言ったのか。それはわからない。

 学校から帰ってきた俺が見たのは、ヒステリックに怒鳴る母親がぎんじいちゃんの肩を突き飛ばしたところ。そして、ぎんじいちゃんが段差を踏み外して尻もちをついたところだった。

 母親はそのままどっかに行ってしまって、そのあと一週間、戻ってこなかった。

 救急車を呼んでくれたのは、俺が大泣きしているのを聞きつけて飛び出してきた、近所のじいちゃん、ばあちゃんたちだった。俺はぎんじいちゃんが痛みに呻いているのを見て、ただ泣いているだけだった。

 ぎんじいちゃんの人の好さに付け込んだヤツのせいで、借金を背負うことになったのだと。そのせいでぎんじいちゃんの家族は離散することになったのだと。

 それを知ったのは老人ホームに入るため、ぎんじいちゃんの娘夫婦が迎えに来たときだった。


 ――お父さんのそういうところ、昔から大っ嫌い!


 ――そのお人好しでお節介な性格のせいで、お母さんや私がどれだけ苦労したか!


 ――なのに、懲りずにまだ迷惑掛けんの!?


 赤の他人の俺を庇ってケガをしたと知ったぎんじいちゃんの娘さんは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。車イスから立ち上がることもできずに背中を丸めているぎんじいちゃんに向かって、カバンだの上着だのを投げつけていた。


「俺の母親が、ぎんじいちゃんにケガをさせた。そのせいで、ぎんじいちゃんが車イスになった。娘さんに怒られた。……子供ながらに責任を感じてさ」


 金子のじいちゃん、ばあちゃんに連れられて入院しているぎんじいちゃんのお見舞いに行ったときも、病室の入口の影に隠れて中に入れなかった。

 ぎんじいちゃんにどんな顔をして会えばいいのかわからなかった。勇気が、出なかったのだ。


「ぎんじいちゃんがボロアパートを出て行く日も、じいちゃん、ばあちゃんたちの背中にずっと隠れてて話しかけることができなくて。ようやく話しかけられたのが、ぎんじいちゃんが車に乗り込んだあと」


 ぎんじいちゃんが娘夫婦の車に乗り込んで、ドアがバタン! と、閉められるのを見た瞬間。二度と会えないかもしれないと気が付いて、ようやくぎんじいちゃんの元に駆け寄った。

 ぎゃーぎゃー泣きながらだったから、お礼も言いたいことも何一つ、まともには伝えられてなかったと思う。

 でも――。


「なんで、俺に優しくしてくれたのかって聞いたらさ。目の前で困っているやつがいるんなら、助けてやるのは当然なんだよ、って」


 俺の腕にぴたりとくっついて、じっと俺の顔を見上げているミコトの白い髪をくしゃりと撫でて微笑んだ。

 ぎゃーぎゃー泣きながらだったのに、ぎんじいちゃんは俺が言いたいことをちゃんとわかってくれた。にこりとも笑わずに俺の頭をくしゃりと撫でて、そう言った。

 睨みつける娘さんの視線から守るように、俺の鼻水だらけの顔にディープインパクトのぬいぐるみを押し付けて。最後にもう一度、ごつごつした大きな手で俺の頭をくしゃりと撫でて――。

 ぎんじいちゃんを乗せた車が走り去っていくのを見送って、それきり。

 ぎんじいちゃんとは二度と会えないまま、俺が中学二年になった年に金子のばあちゃん伝手づてに死んだと聞かされた。


「老人ホームへの入所が決まってから、見舞いに来た近所のじいちゃん、ばあちゃんたち全員に頭を下げて頼んでくれたんだってさ。……トウマのことを頼むって」


 俺の母親のせいでケガをして車イスになったのに、それでもぎんじいちゃんは俺のことを助けてくれた。

 育児放棄で餓死した子供のニュースが流れるけど、そのニュースを見るたびに思う。あの子たちは、ぎんじいちゃんに出会わなかった俺だ。

 ぎんじいちゃんと、ぎんじいちゃんが縁を繋いでくれた近所のじいちゃん、ばあちゃんたちがいなかったら、俺もきっとニュースになってた。


「俺に流れてるのはろくでもない母親と、どこの誰だかもわからない父親の血だ。でもな、今の俺を作ってるのはろくでもない両親の血だけじゃない。ぎんじいちゃんや近所のじいちゃん、ばあちゃんたちの想いが今の俺を作ってる」


 競馬はブラッドスポーツと呼ばれるほど血統が重視される。でも、そんな競馬だって、まわりに恵まれなきゃ新馬戦デビューに辿り着くことすらできない。俺は運良くまわりに恵まれて、今も生きてる。


「なら、俺はぎんじいちゃんの想いを引き継がなくちゃ」


 想いを引き継いで、行動して。今の俺を作っているのはぎんじいちゃんや近所のじいちゃん、ばあちゃんの想いだと証明し続けなければならない。

 俺が、俺を嫌いにならないために――。


「だから、俺は目の前で困っているやつがいるんなら、絶対に助けるんだよ」


 何度でもぎんじいちゃんの言葉を繰り返す。目の前で困っている誰かを助ける。

 ぎんじいちゃんが俺にしてくれたように――。

 ぎんじいちゃんがくれたディープインパクトのぬいぐるみに、俺は微笑みかけた。


「例え、時間が掛かっても、大変でも……」


「娘が望んでいなくても……ですか」


 ハッと隣に座るミコトに顔を向けた。

 てっきり睨みつけられているか、唇を尖らせているかと思った。でも、ミコトは眉を八の字に下げて、困り顔で微笑んでいた。表情の変化に乏しくてわかりづらいけど、多分、微笑んでいると思う。

 正直、心が揺らいだ。


「……悪いな」


 それでも俺は、そう答えた。ミコトはため息をついてうつむくと、馬のぬいぐるみの鼻っ面をつまんだ。


「俺は夏希ちゃんと千鶴ちゃんの件が解決するまで、このバイトを辞める気はない。協力して早く解決した方が、この邸から早く出て行ける……かもしれないぞ」


 今度は盛大にため息をついて、ミコトが顔をあげた。


「かもしれない、じゃないです。絶対に、早く出て行くんです」


 いつも通りの野良猫みたいな無表情でじっと俺の顔を見つめると、


「多分、千鶴が避けているのは夏希じゃないです」


 ミコトはきっぱりと、そう言った。

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