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僕を死刑に処す  作者: 夕藤さわな
第三章
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第二十二話「私は何にもわからない、あの子のお姉ちゃんなのに」

 窓際に置かれたテーブルとイスに落ち着いた俺は、紅茶のカップを手にジト目で夏希ちゃんを見つめた。


「夏希ちゃん……やっぱり千鶴ちゃんのこと、いじめたんじゃない?」


「いじめてないわよ! た、多分!!」


「バウッ」


「多分って……」


 思わず、額を押さえてため息をつきそうになった。

 でも、すぐに反省した。


「そんなつもりはないんだけど……でも、こんなに避けられるってことは、やっぱり嫌われてるってことよね? 私が気付かなかっただけで、何か嫌われるようなことを千鶴にしちゃったってことよね?」


 犬のぬいぐるみに顔の下半分を埋めて、夏希ちゃんは今にも泣き出しそうな顔をしていた。それでも唇を噛んで、涙を堪えて、黒目を小刻みに震わせている。必死に原因を思い出そうと考えているようだった。

 申し訳ない気持ちでうつむく夏希ちゃんの頭をくしゃりと撫でた。


「ごめん、夏希ちゃん。だいぶ意地悪なことを言っちゃった」


「ふにゃ……! な、なにするのよ、トウマ!」


 夏希ちゃんはぎゅっと目をつむって首をすくめた。猫みたいな反応だ。ミコトみたいな反応でもある。

 ひとしきり夏希ちゃんの頭をなでたあと、ふとミコトに目を向けた。

 俺と三姉妹の仲を邪魔すると宣言した通り、ミコトはことあるごとに俺と夏希ちゃん、千鶴ちゃんのあいだに割って入ってこようとする。

 それにミコトと夏希ちゃんとはどうにも馬が合わない。隙あらば皮肉を言ったり、文句を言ったりする。

 なのに、今日のミコトは夏希ちゃんをじっと見つめるだけで黙り込んでいる。

 そういえば、千鶴ちゃんと鉢合わせたとき、ミコトは眉間に皺を寄せて渋い顔をしていた。それからずっと黙り込んでいるような……。

 と、――。


「……やっぱり、部活のことが原因かしら」


 犬のぬいぐるみに顔を埋めていた夏希ちゃんがぼそりと呟いた。夏希ちゃんの目には大粒の涙が浮かんでいる。


「どうしよう、トウマ……。もしかして、もう手遅れ? 私、あの子と仲良しの姉妹になることはできないのかしら?」


「やっぱり、いじめたんじゃないですか」


 淡々とした調子で言うミコトを、夏希ちゃんはキッ! と、睨みつけた。


「……っ! だから、いじめてないってば!」


「バウッ」


 いつも通りと言えば、いつも通りのやりとりだ。ミコトに抗議するようにノエルが吠えるのも、いつも通り。

 でも、罪悪感か後悔かに押し潰されそうになっている夏希ちゃんに言うことじゃない。俺はため息をつくと、


「……ふにゃ!」


 ミコトの額を、平手でぴしりとはたいた。


「部活のことっていうのは?」


 睨みつけてくるミコトは無視して、再び、うつむいてしまった夏希ちゃんの頭をそっと撫でた。夏希ちゃんはちらっと、俺のことを上目遣いに見たあと。犬のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて話し始めた。


「あの子、中学のときは陸上部だったの。短距離で全国大会にも出場するくらい速かったのよ。高校でも陸上部に入るつもりだったと思う。仮入部もしてたしね。でも、私たちのクラスメイトの誘拐未遂事件が起こって……」


「……ゆ、うかい?」


「たまにあるでしょ? 学校や、それぞれの家でも気を付けているけど、どうしたって起こってしまうことはあるものよ」


 一般庶民にとって誘拐はたまにも何もないものだ。ニュース以外で聞く機会なんて、そうそうない。

 凍り付く俺を見て、夏希ちゃんはきょとんと首を傾げたあと、


「大丈夫よ。学校の警備員がすぐに犯人を取り押さえたから」


 にこりと微笑んで補足した。


「この時代は平和だと聞いていましたが……やはり警戒を怠るべきではありませんね」


 ミコトが大真面目な顔で言った。

 藤枝家や夏希ちゃんたちが通う学校が特殊なだけだ。多分、そうだ。そうだと、思う。思うんだけど……段々、自信がなくなって来て、俺はテーブルに肘をついて額を押さえた。


「中学のときも、高校に入ってからも、放課後の練習があるからってあの子は自転車で通学してたの。でも、誘拐未遂事件があって以来、お姉さまがちょっと神経質になっちゃってね」


 頬に手を当ててため息をつく夏希ちゃんを見て、俺は乾いた声で笑った。

 秋穂さんのことだ。ちょっとでは済まなかったはずだ。夏希ちゃんは慣れっこかもしれないけど、千鶴ちゃんは驚いて後退ったんじゃないだろうか。

 そんな二人の反応なんて気付きもしないで、秋穂さんは目くじらを立てて対策を講じたに違いない。


「あの子が自転車通学することも禁止しちゃったのよ」


 その、講じた対策の一つが自転車通学の禁止だったに違いない。


「でも、お姉さまも私も、千鶴が部活を続けられるようにって色々と考えていたのよ? 私は、あの子の部活動が終わるのを待ってるつもりだった。図書室で本を読んでいても、勉強していても構わない。でも、お姉さまが用もないのに学校に残るのはダメって」


「バウ……」


 夏希ちゃんに同意するように、ノエルがぼそっと吠えた。


「あの子の部活が終わる時間と、お姉さまの大学の授業が終わる時間が重なってしまいそうだったから、それならもう一台、送迎用の車を増やそうかって。もう一人、運転手も雇おうかって話もしていたのよ!」


 夏希ちゃんの言葉に、俺は額を押さえて唸り声をあげそうになった。

 秋穂さんも夏希ちゃんも千鶴ちゃんのことを思って、良かれと思って、あれこれと考えていたはずだ。でも、話を聞いた千鶴ちゃんは驚いて、心苦しくなったはずだ。

 自分一人のために車を一台購入するなんて。運転手を増やすなんて。送迎をもう一往復、増やすなんて。

 藤枝家にとっては大した金額じゃないし、大した手間じゃないのかもしれない。

 でも――。


 ――私は、秋穂姉さんや夏希さんとは違うんです。


 そんな風に思っている千鶴ちゃんは、とてもじゃないけど〝ありがとう〟とお礼だけを言って、甘える気にはなれなかったのだろう。


「あの子、その必要はないって……高校では勉強を頑張りたいからって。陸上部に本入部しないで、そのままやめちゃったのよ」


 千鶴ちゃんが遠慮する気持ちはわかる気。荒れた裏庭で練習を続けていることを考えると、まだ陸上部に未練もあるのかもしれない。

 でも――。


「ねえ、トウマ。やっぱり部活のことが理由だと思う? それとも他に理由があるの?」


 部活のことだけが夏希ちゃんを避けている理由とも思えなかった。なんとなく、そんな気がした。


「私にはわからないのよ。千鶴の気持ち、考えていること。どんな風に話しかけたらいいか、聞いたらいいか。どんな話をしたらいいかすらも、全然……」


 犬のぬいぐるみに顔を埋めて、夏希ちゃんの声はすっかり涙声になっていた。


「トウマはわかるの? いっしょにホットケーキを食べるくらい千鶴が気を許してるんですもの。きっと、私よりもずっとわかるのよね」


 確かに、夏希ちゃんや秋穂さんよりも俺の方が、千鶴ちゃんと近い感覚を持っているのかもしれない。

 でも――。


「私は何にもわからない。あの子のお姉ちゃんなのに……お姉ちゃんになったはずなのに……」


 やっぱり千鶴ちゃんに必要なのは家族だ。千鶴ちゃんのことを泣くほど真剣に考えて、悩んでくれる夏希ちゃんだ。

 犬のぬいぐるみで顔を隠している夏希ちゃんの頭をくしゃりとなでた。

 腕を組んで唸り声をあげる。しばらく考え込んだあと、パン! と、手を打ち合わせた。


「回りくどいやり方はやめよう! 明日、千鶴ちゃんに直接、聞いてみるよ。夏希ちゃんを避けてる理由を」


「考えるのが面倒になったんですね……ぶにゃ!」


 俺はミコトの額を平手でぴしりとはたいた。考えていても解決しないと思っただけだ。決して、考えるのが面倒になったからじゃない。

 夏希ちゃんは犬のぬいぐるみを抱きしめて、不安げな表情で俺を見つめた。涙で目が赤くなっている。安心させるために微笑んで見せると、夏希ちゃんは唇を噛んで、大きくうなずいた。

 そして、


「よろしく、トウマ!」


 真っ直ぐに俺の目を見つめて、そう言った。


「バウッ」


 ノエルも元気いっぱいに吠えて、お尻ごとゆっさゆっさと尻尾を揺らした。

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