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僕を死刑に処す  作者: 夕藤さわな
第二章
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第十四話「危ない橋を渡っている自覚はあるんですね」

 俺が声を掛けるとせん馬の危機なので、キッチンを使ってもいいかと教育係の園田さんに聞きに行くのはミコトの役目になった。

 小学生か、中学生みたいに小柄だからか。真っ白な髪と無表情が白猫っぽいからか。ミコトの使用人受けはかなり良い。使っていないキッチンの使用許可、ホットケーキの材料と共に、あめ玉やチョコまでゲットしてきた。

 子供扱いされたことが不服だったようで、ミコトは唇を尖らせて戻ってきたけど。

 使っていないキッチンというのは、パーティや大勢の来客があるときにだけ使われる一階の奥にある予備のキッチンのことらしい。案内してくれながら千鶴ちゃんが教えてくれた。

 キッチン自体が二つあるなんて、狭いシンクと一口コンロで調理していた身としては遠い目をしてしまう。千鶴ちゃんも力いっぱい同意した。

 広すぎるキッチンのすみっこでホットケーキを焼いて、四等分にして。ミコトと千鶴ちゃんは四分の一、俺は四分の二を小皿に取り分けた。トッピングはマーガリンだけだ。

 と、言っても藤枝家の冷蔵庫に入っているマーガリンを拝借したので、相当に贅沢だと思うけど。

 声を合わせて、いただきますを言って頬張った瞬間――。


「……っ、この味、懐かしいです!」


「……! ……!!」


 フォークをくわえたまま、千鶴ちゃんとミコトが目を輝かせた。美味しいじゃなくて懐かしいという感想が実に素直だ。けらけらと笑って俺も一口、頬張った。


「うん、懐かしい……」


 金子のばあちゃんが焼いてくれたパンケーキよりも、ずいぶんと焦げてしまった。それでも、懐かしい味だった。

 夕飯前だから一枚で我慢しようと言っていたのに。結局、もう一枚、焼いて、今度は三等分して食べた。子供か猫のようにハグハグと音を立てて夢中で頬張る千鶴ちゃんと、ついでにミコトを見ていたら、一枚でおしまいとは言えなかったのだ。

 ホットケーキを食べ終えて。秋穂さんや夏希ちゃん、使用人たちがいないかを確認して。そーっとキッチンを出て行く千鶴ちゃんを見送って――。

 俺は息を吐き出した。


「危ない橋を渡っている自覚はあるんですね、父さん」


 ジト目で見上げてくるミコトに俺は苦笑いで頷いた。


「ある、ある。めっちゃ自覚してる」


 秋穂さんや夏希ちゃんはもちろん、使用人の誰かに千鶴ちゃんといっしょにいるところを見られでもしたら、間違いなく秋穂さんに報告があがる。待っているのは去勢。せん馬への道だ。

 でも、迷子の子供みたいに頼りなげな顔をされたら放ってはおけない。


「目の前で困っているやつがいるんなら、助けてやるのは当然……なんだよ」


「そうですか」


 襟首を掻いて笑うとミコトは素っ気ない口調で言った。うつむいて、じっとキッチンの床を見つめている。何を考え込んでいるのやら。

 ミコトの白い髪をくしゃりと撫でて、俺はキッチンの入口から顔を出した。


「そういや、千鶴ちゃん。昔は陸上部だったって言ってたな。足のケガが原因でやめたのかな」


 長い廊下に人の姿はない。夕飯前の今の時間帯、使用人たちはもう一つのキッチンと食堂がある二階に集中しているようだ。


「やめた原因なんて知ってどうするんですか」


「未来の俺は〝お前はアクションスターだもんな〟って、お前に言ったんだよな。それも何度も」


 ほっと息をついてキッチンから出る。隣を歩くミコトが俺を見上げてこくりと頷いた。俺の質問の意図がわからなかったのか、すぐさま首を傾げたけど。

 二日前、中山競馬場の第十一レースとして開催されたGⅡ〝アメリカジョッキークラブカップ〟――通称・AJCC。そのAJCCに出走した栗毛の競走馬・アクションスターの応援馬券を、ミコトはカバンのポケットにしまって大切にしている。

 可愛い顔に一目惚れしたというのもあるだろうけど、父親の――未来の俺の言葉もかなり影響しているはずだ。


「アクションスターの父親は音速の貴公子と呼ばれたアグネスタキオンだ。わずか四戦で現役を引退しているけど、新馬戦、GⅢ、GⅡ、GⅠと走り、そのすべてを一着でゴールしている名馬で……!」


「千鶴の話とどう繋がるんですか」


 ばっさりと話を遮られて、俺はミコトをじとりと睨みつけた。俺に睨みつけられた程度で動じるような白猫ではない。無表情で見つめ返された。


「アグネスタキオンの引退理由は屈腱炎くっけんえんっていう足の病気なんだよ。もし、足のケガとか病気が原因で陸上部をやめたんなら、千鶴ちゃんがお前の母親かもしれないだろ」


「……関係あるんでしょうか」


「わからーん! ……て、いうか母親を探すのを手伝ってほしいってお前から頼んできたのに非協力的過ぎないか? 母親の手がかりになりそうな情報、なんかないのかよ」


「……いかくが狂ったんですよ」


「え……?」


 ぼそりと呟くものだから最初の方が聞き取れなかった。聞き返す俺を無視して、ミコトはツンとそっぽを向いた。


「父さんの日記があったんですけど焼けちゃったんです。読めたのは最初の方だけで、そこに雷のことも書いてありました」


 俺はため息をついて、がりがりと襟首を掻いた。


「未来の俺から何か聞いてないのか」


「七才のとき、とんばあちゃんのところに預けられて、それきり一度も会ってません。いっしょに暮らしてた頃に何か聞いてたかもしれないですが、小さくて覚えてません」


「一度も……?」


 ぎょっとしてオウム返しに尋ねた。心臓がバクバクと鳴り出す。


「未来の俺は……お前のことを人に預けて、どっかにいなくなったってことか?」


 声が震えた。もしかしたら、真っ青な顔をしていたかもしれない。ミコトは俺を見上げて首を傾げた。


「どっかと言うか……」


「二人とも、ここにいたんですか! こっちに来て、すぐに着替えてください!」


 ミコトの言葉を遮るように女性の声が響いた。振り返ると園田さんが階段下で仁王立ちしていた。ミコトと顔を見合わせて小走りに駆け寄る。


「トウマさんはキッチンに行って洗い物を手伝ってください。ミコトさんは給仕の手伝いをお願いします。いいですね?」


 俺には真っ白なコックコート、ミコトにはメイド服らしき物を押し付けて、園田さんは最後にパン! と、手を叩いた。


「それでは、五分以内に着替えてそれぞれの担当場所に向かってください!」


「は、はい!」


 テキパキとした指示に俺は思わず背筋を伸ばした。


「それじゃあ、父さん。また、あとで」


 更衣室へと小走りに向かうミコトの背中を見送って、俺は舌打ちした。


「……くそが」


 七才の娘を人に預けて出て行った? 結局、俺もろくでもない血を引いているってことか。カエルの子はオタマジャクシだけど、そのうちカエルになるってことか。

 頭の片隅にチラつくけばけばしい赤色の唇に、俺はかぶりを振った。

 あんな風にはなりたくなかった。でも、なるかもしれないと怖かった。だから、恋人や、まして家族なんてものとは無縁で生きて行こうと思ってきたのに――。


「未来の俺は、何、考えてんだよ……!」


 吐き捨てるように言って、俺はくしゃりと前髪を掻き上げた。

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