かくれんぼ 10
「楽しそうだったなあ」
「こうたり」はまるで自分自身の思い出を頭の中で展開してるがごとく、ほおっと幸せそうに続ける。
「そして配られたプリントを君は後ろの席の僕に渡してくれた、思い出した?」
確かにプリントは配られた。
オリエンテーションなのだから、配られたとしても不思議ではない。
「配られたとは思うけど、それを誰に渡したかなんか覚えてないわ、そのまま次に回しただけだもの」
正直な気持ちだ。
「ましてやそれがあなただったかどうかなんて、記憶の欠片すらないから!」
投げつけるようにそう言うと、「こうたり」は少しばかり傷ついたような表情になった。
「覚えてないのか、そうか」
心底がっかりしたような顔でそうつぶやく。
「でも仕方ないね、そういうものかも知れない。心に中に深く刻みつけられるような記憶って、案外そんなものかも」
何を言っているのだろう、この男は。
「でもね、僕は覚えてるから、しっかり覚えてるよ。僕たち二人が初めて通じ合ったあの瞬間を」
「はあっ!?」
思わず声が出る。
何の瞬間だって?
誰が誰と通じ合った?
「あの時、君は後ろを振り向いて『はい』そう言ってプリントを渡してくれた。あの瞬間僕たちは恋に落ちた。2人をつなぐ赤い糸が手から手にしっかりと渡されたのが見えたよ。たとえ君が覚えてなくても、その感覚はしっかり心の奥に刻みつけられたはずだよ?」
さすがに誰も言葉を発する者はいない。
この男はおかしい。
みんながきっとそう思ってくれている。
その事実が私をホッとさせていた。
「あの、こうたり君……」
しらかわ女史が勇気を奮って声をかける。
「はい、なんでしょう」
「それ、本当のこと、よね?」
「何がですか?」
「いや、あのプリントを渡してもらっただけ、なのよね?」
恐る恐るしらかわ女史が尋ねる。
「きっかけは、ですがね」
「それで、その後は?」
「ああ、それから僕たちはずっと一緒でした」
「ずっと一緒って?」
「文字通りですよ。その日からずっと僕は彼女のそばにいました」
そう言って、「こうたり」はその日、入学式の後、私がその日一日をどう過ごしたかを当たり前のように語ってみせた。
機械のように細かく、隅から隅まで。
自分自身ですらそこまでは覚えていないけど、大体記憶に沿っていたように思う。
背筋が凍る。
「あの、彼女はそのことは?」
「もちろん知ってますよ。だって僕たちは愛し合っていて、ずっと一緒にいましたからね」
思い切り首を左右に振る。
しらかわ女史はこちらを伺うが、顔色が白くなっている。
なんとなく、血の気が引くとはこのことか、と、私は他人事のように思っていた。