かくれんぼ 1
「あの、これ……」
背後からそう声をかけられ、私は思わず、
「あ、ありがとうございます」
そう言って振り返った。
そこにいたのは気弱そうな、どこにでもいるようなごくごく普通の男性だった。このご時勢でみんな顔の下半分はマスクで隠れているが、見えている範囲は知らない顔。その見たことのない人が、片手を差し出し、おどおどとその手の上の物を差し出している。
「あの……」
てっきり何か落として拾ってくれたのだとばかり思い、確認もせずに返事をしてしまったことを、私は後々まで後悔することとなる。
その男性が持っているのは小さな箱だった。どこかで見たことがある柄の包み紙、若い女性に人気のブランドのジュエリーのお店の包み紙だと、そういうのに疎い私にも一目で分かった。
「はい、あの?」
意味が分からず尋ねると、その小箱をずずっと差し出し、
「今日、お誕生日だったよね? これ……」
そう言って私に受け取らせようとする。
言われて思い出した。確かに今日は私の誕生日だった。
(え、どうしてこの人そんなこと知ってるの? どう見ても私の知らない人なのに)
この時、背筋がゾッとした。
「あの、どうしてそれを」
なんでこんな廊下で一人の時に。せめて、誰か一緒だったらよかったのに。
今は6月の下旬、私が大学生活をするために都会に出て一人暮らしを始めたのがこの4月のことだ。やっと大学生活にも慣れてきて、友人もでき、サークル活動にも馴染んできたというのに、まさかこんな時期の、しかも自分の誕生日にこんな訳のわからない人と遭遇するなんて、思ってもみていなかった。
「どうしてって、僕が君のことで知らないことなんてあるはずないでしょ」
その男性は恥ずかしそうにそう言うと、
「だから、はい、欲しがってた指輪」
ぐいぐいと箱を押し付けてくる。
「あの、あの、いりませんから! ごめんなさい!」
そう言い捨てると、廊下を走って急いで校舎の外へと出た。
ばたん!
校舎の扉を閉めて後ろを振り返る。よかった、付いてきていない。
私はほおっと息を吐き、息で湿ったマスクをはずした。周囲には誰もいない、少しぐらいはずしても平気だろう。このままでは暑さと息苦しさで倒れてしまう。
季節は梅雨にしては雨が少なく気温が高い。長い割に雨が少なく、空梅雨と言ってもいいだろう。湿度はもちろんあるにはあるが、時たま日が差すとそれにもまして気温が高くなり、じめじめとした空気に閉じ込められたような気持ちになる。
ただでさえ不快指数が高いのに、その上になんでこんな目に合わないといけないのだろう。そう思いながら急ぎ足で自宅へと足を向けた。