擦れ切った仲間
店を出たとたん、耳障りな音楽が狭い路地裏を通ってくる。他の質問をする前に、バダトが場所を変えようというので、店先に出ることにした。通ってきた路地裏を注意深く眺める。ヴァ―ナがいるかもしれない。
ライフルの一丁でも持ってきた方が良かっただろうか。
バダトは銃を背負っているが、アイゼは手ぶらだ。使っていない銃はまだいくつかあったはずだ。しかし、入用になるかもしれないと言い出せなかったのだ。
アイゼが目を覚ました時の一連のことを、ヴァ―ナのことをバダトにはまだ話していないからだ。破壊された彼らのことも話さなければいけなくなる。それが恐ろしかった。
バダトは懐かしむように太陽に目を細める。つられるように上を向く。相変わらず、日の向きは全く変わっていない。空には薄い線が縦横無人に敷かれている。
「俺たちが目を覚ました時から、この国はこんな感じだったぜ。人っ子一人いやしない。
一体どこに行っちまったのやら。俺も所々記憶があやふやなんだよな。人間がいない代わりに俺たちみたいな機械に閉じ込められた連中がちょいちょい居た。無人で電力は稼働していたり、インフラもそのままだったりする。丈夫なのも考え物だな」
――俺達って人間だったんだよな?
記憶が無い今、それすら自信が持てない。
「そこも忘れてんのか」バダトはかぶりを振っている。「まあ、久しぶりに会ったんだし、昔話に花でも咲かせるか」
バダトは店から離れようとする。どうやらどこかへ行くらしい。ヴァ―ナが徘徊しているかもしれないが、注意を促すためには例のことを話さなければいけない。どっちが恐ろしいか、比重が変わっていくのを感じる。今では破壊される危険より、仲間だったらしいこの男に、仲間を見殺しにしたことを咎められることが何よりも怖かった。
――待ってくれ。その、中じゃダメなのか。
「別にいいじゃねぇか。外に出るのも久し振りなんだよ」
――俺はまだ記憶が戻らないから、外の世界が怖いというか……。
冗談のつもりだが、遠回しの忠告でもある。
前を歩くバダトは首を捻って、アイゼを窺う。
「ここにはもう俺たち以外誰もいないんだよ。それに」バダトは云う。「だれも俺たちを壊せない」
小ばかにしたようにそう云って、バダトはそれっきり黙って足を動かす。アイゼも大人しく後ろに付く。不幸中の幸いか、バダトか向かった方向はアイゼが目を覚ました場所とは逆だった。
歩き出してから少し経つと、バダトは昔話を始めた。
「目を覚ました俺たちは、最初こそは生きるために必死になろうとした。けどよ、無理だった」
バダトは下に視線を向けずとも、散らばった空薬きょうを避けている。アイゼはまた踏みつぶしてしまう。
「みんなで面白おかしく過ごそうとしたんだよ。誰も使わねぇからそこら中から泥棒したり、公共の場所でドンパチもしたな。あとは……なにしたかな?あれ、もっとたくさんいろんなことしたんだけど」
バダトは考えるそぶりをするが、三秒も経たずに切り上げる。アイゼはその様子に言い知れぬ不安感を覚えた。今、彼は切り替えた。
「どんどんみんなおかしくなっていく。やることがねえんだ。何を作ろうが、どんな日々を過ごそうが何も変わらねぇ。数年もすれば全て元通りだ。むしろ悪化しているなんてのが当たり前でな。そんなことを何回も繰り返した後、皆が真剣になれることが見つかった」
云い終えるや否や、バダトは腰で構えていたライフルを急に胸元まで持ち上げ、アイゼ目掛けて構える。
――なにをっ
驚きを声に出しながらも、身体は反応してくれた。身体を半身にして射線から外れ、横合いから片手で銃身を掴む。そしてもう一方の掌をバダトの顔面目掛けて伸ばす。押し倒すつもりだった。バダトは笑っていた。確実に。それを見てアイゼは動きを止めた。
「お前、鈍ったんじゃねぇか」
――鈍ったかどうかもわからないよ。覚えてないんだから。
拳を下ろし、アイゼは銃身を放した。
バダトは自らの顎下に銃口を突きつけ、引き金を引いた。轟音と共に彼の足が地面から少し浮いてから、そのまま後ろに倒れ込む。
今度は反応することすらできなかった。仰向けに倒れているバダトを見つめる。
顎下に穴が開くどころか、顔には傷一つ付いていない。
「俺たちはハマったんだ。死ぬことに」
当然とばかりに、バダトは生きている。何を伝えたかったのか、今の行動が何よりも雄弁に語っていた。
バダトは身体を大の字に広げる。周りに散っている空薬きょうと小石が彼の身体と擦れあう。気持ちよさそうだ。自分を撃ち抜いたのに。だからこそかもしれない。
「アンドロイドの身体は生身とは比べ物にならないほど丈夫だ。よっぽどのことをしないと、かすり傷すらつかない。そこが皆の情熱の拠り所になった。プレス機に身体を挟みこんだり、この国の一番高いビルから飛び降りてみたり、今の俺みたいに自分にぶっ放してみたりな」
ヴァ―ナに吹き飛ばされた時のことを思い出す。あの時は天地がひっくり返るような衝撃を頭に受けた。絶対助からない傷を受けたと、吹っ飛ばされながら信じた。結果はバダトと一緒だ。
「ほかの要介護者用の奴や、危険業務用の奴、頭だけ機械に変えた奴なんかは、思いつく限りの自分を痛めつける方法で、無事死んでいったよ。俺たちはそうはいかなかった。これを使うからな」
バダトは銃を掲げる。愛しそうに、そして憎々しそうに、それを掲げ続けた。
「俺たちの身体は銃弾に耐えられるようにできてっから、特別に頑丈だった。これは自業自得だが違法改造もした。こんなことになるなんて思わねぇだろ。だから、俺たちだけが残った。ほかの奴らは死んだか、国から出たか、それ以外は知らね」
ひどい話だと素直に思う。しかし、まだ聞いていないことがある。
――俺たちが目を覚ましてから……どれくらい経った?
「そんなの数えてねぇよ」
バダトは顔だけ上げてこちらを見る。彼の顔には傷一つないが、見えない傷が無数に浮かび上がっている気がした。バダトがああ、と何かを思い出したようだった。
「一時期、ペット型ロボットを飼ってた……。俺だけじゃなくて、全員でな。そいつには時計が付いてたんだ。すげぇんだぜ。そいつ三百年と四年半動き続けたんだよ」
――そんなはずない。
糾弾するような視線をもって、バダト睨み付ける。はたから見る分には顔は何も変わっていないはずだ。
――だって、おかしいだろう。それだけの時が立っていて、何故建物が崩壊していない?
俺だって詳しくないけど、それだけの時間が経って、これだけ周りが現状を留めているってのがおかしいのはわかる。
真横にあった建築物の壁を殴りつける。拳はめり込み壁はひび割れるが、崩壊はしない。
バダトは顎をしゃくる。口腔が存在しないので、顔の下部を突き出したといった方が適切だ。彼が何をしているのか分からなかった。アイゼは少しの逡巡の後、それが空を指しているとわかって、空を見上げる。
「多分、あのドームのせいだよ。あれは外に充満してる死の霧を断絶するためにあるもんだ。どうやら物の腐食なんかも遅らせるみたいだな」
青空を切り裂くように、線が金網のように広がっている。よくよく観察すると、線はドーム型にたわんでいた。
あれにも、なんの違和感も覚えていなかったはずだ。それだけ、馴染んでいたのだ。食い入るように見つめていると、何かが吹き出すような音が、足元から聞こえる。視線を下げると、バダトがその音を発していた。笑っているのか。それは失笑か、自嘲か、顔が無いと、それすら判然としない。
「お前が突っ立ってると、マネキンみてぇだな。だから言ったんだよ。あの時、カッコ悪りぃからやめろって」
云って、バダトはまた笑った。さみしそうに?
そうだ。俺はそんなこと覚えていない。期待しないでくれよ。
マネキンと云われて、ここに来る途中で見たマネキンを想起する。あれを見たときから、意識することを避けていたことがある。男性と女性、中心に小さなマネキン。
あれは家族を模しているのだろう。
――俺の家って、まだあるか?
それだけで、バダトはすべてを承知したように、笑うのを辞めた。本当は笑ってなどいなかったのだ。彼は黙ってアイゼを先導してくれた。