……全てを忘れたままで
目を覚ますと、辺りは静まり返っていた。
夢を見ていた気がした。過去の出来事ではあるが、まるで他人事のような素っ気なさを感じる、それでいて胸から湧き出してくるような夢。
寂しくて怖い。
誰かいないのか。そうだ二人は。
身を起こすと、倦怠感はあるが痺れに似た痛みは無い。辺りを見回す。二人は居た。アイゼは言葉を失った。
ヴァ―ナは正座をし、膝の上にミナの頭を乗せ、寝かせている。ミナは顔と胸を横向けにして、片頬が形を崩していた。紅い髪が膝から少しこぼれている。
ヴァ―ナはその髪をおもむろに撫で、指を使って梳く。
ミナは腰から下が失われていた。腰の断面から飛び出ている血管のように躍動する線から、寒色の液体がとめどなく溢れている。
ミナの表情は最初の無機質な顔とも、襲い掛かってきた獣のような表情とも違う、昼下がりに夢うつつな少女と変わらない。
何も知らないのに、良かったと素直に思えた。
訊きたいことがたくさんある。それでも、話はあとでいくらでもできる。今は邪魔するべきではない。そう判断して、アイゼはその間に、端に転がり込んでいたライフルを拾い上げた。いつ自分の手から離れたのか、どうしても思いだすことができない。
「戦闘中に武器を手放すなんて、勝てるはずが無いよな」
アイゼは呟き、ライフルの背中に掛けた。
分かり切っていることだが、初撃を躱しただけだ。それだけで頭が文字通り割れるほどの被害を受けたのだ。継続していたら白黒はあっという間に付いていた。
死んでいたのだ。その事実を再認識する。
「あなたの仲間、埋葬せずに放置して、ごめん」
急な謝罪に驚きながら振り返ると、ヴァ―ナは申し訳なさそうにこちらを見ていた。
「ミナが襲ってきたから、そのままにしてきてしまった。この後ちゃんとやり直す」
「それは俺がやっておいたから、大丈夫だよ。ありがとう。気にしてくれて」
よくわからないが、早口になってしまった。ヴァ―ナは少し呆気にとられたようにした後に「わかった」と云って、ミナの頬を撫でる。アイゼはヴァ―ナのことが、もう少しも怖くなくなっていた。
「いったい何するつもりなんだ?」
「埋葬」
アイゼが尋ねると、ヴァ―ナは振り向かずに答える。
アイゼとヴァ―ナはビルの外に出ていた。外はもう暗くなり、満天の星が見える。
ヴァ―ナはビルの中にミナを置いてきていた。アイゼはその訳も尋ねずにただ見守っている。
ヴァ―ナはハンマーを構えて、円柱の機械を身体に纏わせると、アイゼが意識を失う前に見た姿に変貌する。彼女はビルの前に立ち、ハンマーを振りかぶり、ビルに叩きつけた。
「もしかして、ビルごと破壊する気か?」
アイゼが尋ねたころには、ビルは軋みを上げていた。
そんな下の方から壊したら、こっちに倒れてくるんじゃ。
ヴァ―ナが軽く気合を入れて声を張ると、奇妙なことが起こった。ハンマーの接触点から銀色の糸が伸びてゆき、ビル全体を纏綿していく。ビルそのものに銀色の血管が張り巡らされたようになると、倒壊が始まった。
横に倒れるのではなく、内側からほどけていくように静かに崩れていき瓦礫が殆ど立地の中からこぼれることは無かった。倒壊が終わると、辺りに吹き荒れた粉塵も落ち着いてきた。この身体なら咳き込むこともない。
「これが君の、俺たちを殺せる理由か」
「この糸は、相手を内部から破壊する。いくら外皮が固くても関係ない」
茫然とアイゼが得心していると、ヴァ―ナが答え合わせをしてくれる。
「がれきの山に埋めることが、埋葬になるのか?」
「私の決め事だから、あなたにとってはそうでなくてもいい」
いまいち答えとは云えないこと云って、ヴァ―ナはアイゼを見据える。
「あなたは死にたくないんだ?」
ヴァ―ナはアイゼが一度逃げたことをそう解釈しているようだった。間違いでもないが、正解とも云い難い。
「死にたくないって気持ちもあったんだろうけど、大きな理由としては、記憶が無いから状況が何も理解できなくて、君から逃げ出したんだ」
「記憶が消えたの…か」
アイゼの説明に納得したようにヴァ―ナは云う。それからコルク色の瞳をこちらに向けた。
「なら、どうして戻ってきた。死にたくなって?」
アイゼはすぐには答えられなかった。生きる覚悟を決めていたはずなのに、いざ静かな、安らかな死を目前にすると、迷うが生まれた。ヴァ―ナはハンマーをこちらに向けて、振り上げる。
「安心して、一撃で終わらせる」
地面が割れ、円形にへこむ。
「どうして?」ヴァ―ナは心底不思議そうだった。
槌の頭はアイゼの股の間の地面を打ち砕いていた。アイゼは後ろに倒れ込んだ結果、避けた。わざとだ。
「どうしてって、云われても」
身体に力が入らない。腰が抜けてしまっている。どうやら、空元気もここまでのようだった。当たり前だ。命のやり取りをしたことなんて生まれて初めてだった。そのはずだ。
今、話し始めたら心の中を吐露することと変わらないだろう。言葉を精査する余裕なんて無い。
「怖いんだと思う。君のこと」
やっとのことで云えた言葉は、あまりにも説明不足だった。
「怖い? 痛みは無いはず。それとも、あなたには痛覚が実装されてる?」
「死んでしまうのが怖いんだ」
「…………あなた」
「わかってる。俺が変なこと云ってることは。今がすごいチャンスだってことも。逃したら、それこそ一生後悔するんだろうってことも」
悩んでいる。本来ならそれ自体がおかしい。
こんなもの、初めから決まっている。殺してもらうべきだ。でも。
拳だけに力が入り、強く握り込む。
「家族の顔が見たいんだ」
顔だけなら知っている。写真を見たのだ。ただ、それは赤の他人の家族写真を見たことと何も変わらない。思い出がない。ヴァ―ナはあえてそうするように、冷たく云った。
「あなたの家族はとっくに死んでいる」
「わかってる。だから、もう一度思い出したい」
ミナとの戦闘により、記憶を取り戻したことをヴァ―ナに伝えた。
「今のところ記憶を戻す手掛かりは、君たちが纏っている銀色の糸しかないんだ」
アイゼは更に「だから」と続けて、自分が完全に勢いだけで話していることを自覚しながらも、止めることが出来なかった。
「連れて行ってくれないか。俺を」
「私はかつての仲間を殺し歩いている」
そう云ったヴァ―ナの顔に浮かんだものは、拒絶とはまた違うような、こちらを案じるような表情だった。
驚きはしたが、内心どこか得心した自分もいた。ミナを下した後に、ヴァ―ナがミナに向けていた視線は、絶対に敵へ向けるものではなかった。戦闘中はあえて秘めていたのかもしれない。
「…………ミナのような人たちがほかにもいるのか?」
ヴァ―ナは頷いた。
「私たちは敵を殺すための存在で、戦闘のための道具だった」
ヴァ―ナはハンマーを背に戻した。すでに黒色の棒に戻っている。
「ある作戦中に敵の罠によってウイルスを撃ち込まれ、私たちは意識を失って、気が付いた時には戦いが終わっていた。目的を失ったは仲間たちは、意識が戻った奴から四方へ散った……。私は最後に目が覚めて、この話は何処にも行かずに留まっていた子に訊いた。目的を失い用済みになった仲間たちは、死に場所を探すことにしたらしい」
アイゼはバダトのことを思い出した。ヴァ―ナは身の上を語り続ける。
「『心中システム』それが私たちには組み込こまれてる。この身体は滅多なことでは壊れない。だからこそ、このシステムは存在する。起動させれば、いつでも死ねる。内部から身体組織を全て瓦解させ情報は跡形もなくなる。もちろん記憶デバイスも。敵に情報を渡さないためのシステム。最後に私と話した子は、私の目の前でそれを使った。でも死ななかった。敵に撃ち込まれたウイルスが原因なのか、元々システムに不備があったのかは分からなけど」
ミナを思い出す。ヴァ―ナの指す「その子」はミナと同様の存在になったのだろう。ならば何があったのかは聞かずとも知れた。彼女の云う『解放』だ。
ヴァ―ナもミナが埋もれているはずの瓦礫を見遣る。
「私が理解していることは少ない。ただ、暴走した彼らは一度『心中システム』を使ったということ。結果死ぬことができず、無理やり生かされているということだけ。だから殺すの」
ヴァ―ナは語り終えたのち、アイゼに視線を戻した。
「そこで一つ提案。私は楯が欲しい。それも、簡単には壊れない楯」
俺はミナ相手に全く歯が立たなかった。
「あなたはミナを助けようとしてくれた」
ヴァ―ナは手を差し伸べることはせず、目で訴える。
「私の楯になれば死ぬかもしれない」
それは捉えようによってはサービスに等しいだろう。
「今決めて」
ヴァ―ナはそう云った。
アイゼは家族のことを思い出すために行動したい。そのためには、一人で右往左往するより、彼女と行動を共にすることが、何よりの近道だと思えた。しかし、それは言い訳だった。この何も分からない世界で、アイゼは彼女だけが、確かなものに感じたのだ。
地面に手を付き、アイゼは立ち上がる。
「俺は何もかも忘れたまま死にたくない。これは絶対に忘れちゃいけないことなんだ。思いだすためなら、君の楯になったってかまわない」
「強い衝撃を受ければ記憶が戻るなんて保証はない。ただ死ぬだけかもしれない」
「でも、記憶が戻るかもしれない手掛かりはこれだけだ。それに」
アイゼは尻に付いた砂を払う。
「それに、ミナのような目に遭っている人たちがいるなら、解放してやりたいと思う」
これも本心だと思いたい。
ヴァ―ナはフードを目深に被りなおしてから歩き出す。アイゼも後に続いた。
「言い忘れたけど、一つ条件がある」
こちらを見ずにヴァ―ナは云う。偶然同じことを考えていたらしい。
「俺も君に頼みたいことがあるんだ」




