顔面の割れたアンドロイドの昔語り
全部ペシャンコにするの?
それは少し嫌だと思って、彼女は尋ねる。
「ああ、皆潰す。潰したら、そこらの建物に入れて、瓦礫に埋めるんだ」
こともなげに彼は云い、倒れ伏した人型の機械を、手にしたハンマーでひしゃげる。
環境音一つ響かない、静寂すら生ぬるい都市の中。二体はコンクリート造りのひび割れた大路の上におり、背を向けて作業している彼を、彼女は座り込んで眺めていた。
二人を挟むようにビル群が林立している。すべての高層ビルのガラスは割れ、内部に乾ききった風を通していた。
彼女が寄りかかっている街路樹は、太い根っこが地面から顔を出し、道路のひびを助長している。この道では車両は通れない。しかし、もうずっとこのままだということを、彼女は知っている。誰も直す者がいないのだ。必要もない。
彼女が何もせずに座り込んでいたところへ、彼が突然現れた。
彼女が知る限りでは、人間はこの国にはもういない。外からも誰も来なかった。つまり彼の来訪は驚くべきことなのだが、興味の持ち方を忘れてしまった。
私もペシャンコ?
「君が望むなら」
彼はハンマーの柄を肩に掛ける。
「どうする?」
返事に窮してしまう。首を縦にも横にも触れなかった。
彼は目の前でしゃがみ込み、こちらの目線まで下りてくる。彼女が少し身を引くと、彼は怯えを察したように下がった。
どうしても決めなきゃダメ?
「そうだな。大事なことだから。いつかは決めなくちゃいけない」
縋るように尋ねると、彼の言葉に真剣味が纏わりつく。
彼女は急に怖くなってきて、顔を膝に埋めると、腹の中にある歯車が軋み、嫌な音を立てた。
何年も、何十年も、何百年も、この音に耳を澄ませてきた。
飽き飽きだ。
顔を上げると、目の前に傷だらけの手の平が差し出されている。彼が危害を加えるとは思っていない。けれど、どうしてか体がこわばった。
彼女の怯える姿を見ても、彼は腕を伸ばし続ける。指先まで銀色でとても冷たそうだ。実際冷たいはずだ。それでも、平に幾筋も引かれた傷が、だんだんと、しわにまみれた老人の手相にも見えてきて、緊張がほどけていく。だから、より自分の気持ちも見えてくる。
無理だよ。
声には出さず、首を横に振る。
しばらくの間、背にした街路樹の葉が互いに擦れる音だけが耳に届く。
「ちょっとごめんな」
彼が左腕を無理やり掴んできた。彼女は驚きのあまり声も出ない。
何するの。
全身をばたつかせて抵抗するが、掴まれた腕は一向にほどけない。一息で引っ張られる。
腕が自由になった。
気づいた時には、両の足で地面を踏みしめていた。彼が引っ張り上げたのだ。立ち上がってもなお、彼の方が頭三つは大きい。
「考え飽きたら、まずは立ってみてくれ。座り込んだままだと、思考が堂々巡りするだろ」
全身を流れるものを感じる。この身体には血は流れていない、はずだ。それでも、熱を感じる。体を動かしたせいか。
再び、手の平が差し出される。
「俺たちの身体を牢獄だと例える奴もいた。それは事実だと思う。それでも、この牢獄は身体の形をしていて、歩けるんだ」
無理だよ。
「本当に辛くてたまらなくなったなら、いつでも君を壊してあげる」
無理。
「そんなことない。俺は君を壊せる」
彼女は瞳を見開いた。
「そうじゃない。私には決められない。皆は簡単に死んじゃったけど、私はまだ死にたくないし、……生きるのだって」
彼女は震えながら両手を伸ばし、彼の腕を掴む。彼が差し出した手の平を無視する形になった。その手の平が、しばし中空を彷徨ってから、彼女の小さな頭に置かれた。撫でることはせず、ただ包む。
「ごめんな、急かしすぎた。……一緒に考えようか、時間はあるんだ」
無理だよ。何も決めたくない。
そう思うのに、彼を突き放せない。ずっとこの冷たい熱を感じていたい。
涙は流れず泣き続ける彼女を見て、彼は困ったように笑う。
「聞き流してもいいから、俺の話を訊いてくれないか? 君のこれからの参考になるかもしれない。まず、自己紹介だな。俺はアイゼだ。ずっと旅を続けてる」
そう前置きしてから、アイゼはこれまでの道のりを語り始める。私がこうしてうずくまっている間に流れた、彼の人生を。