御台所様
沈黙を破るように侍女の方が言われた。
「さあ、お二人とももう少し近くまで」
「はい」 私とお敦様は返事をしてから立ち上がり、侍女の方が示されたところまでいき、座ってから手をついて頭を下げた。すると、御台所様が話された。
「おもてをおあげなさい」 私はゆっくりと頭を上げたが、御台所様を直視する事が出来なかった。御台所様の反対側のお席には、いつもと同じようにご側室の方が座られていた。そのお姿はとてもお綺麗だったが、何か怒っておられるようなお顔だった。
(この方は、もしかしたら敏次郎様のご生母かしら。だとすれば、上様のお隣にお座りになられるのも当たり前ですものね)
「お里、2週間ご苦労様でしたね」 御台所様がお優しい話し方で話された。
「もったいないお言葉でございます。2週間、お勉強させて頂きありがとうございました」 私はもう一度深く頭を下げた。
「それに、ケガを追ってまで跡継ぎである次郎を助けてくれたのでしたね。ありがとう」
「いえ、お礼を言って頂けるようなことは・・・偶然その場に居合わせただけでございます」
「まあっ 噂のとおりとても控えめな方ですこと。お楽!あなたからもお礼を言ってもよろしいのでは?」 と、やはりご生母であろうお方の方を向いておっしゃった。
「はい。お里、次郎を助けてもらってありがとう」 と、私とは目を合わさずにおっしゃった。私はもう一度お方様の方を向いて頭を下げた。
「あなたのことを知るために、お敦にはこの見習いに参加してもらうことにしました」 御台所様がおっしゃった。
「えっ?」 私は、声が裏返った。そしてお敦様の方をみると、お敦様は私と目を合わせ今までとは違う笑みをされた。
「この短い2週間で、あなたのことを少し知ることができました」
「・・・」
「床の拭き掃除を、楽にする道具を作ったのはあなただとか? 私もよく目にしていますよ」
「はい。それは、偶然思いつきました」
「みな、助かっているようです」
「おそれいります・・・」
「お琴も出来るようですね」
「少し触ったことがある程度で、お耳汚しにしかなりません」
「それから・・・」
「・・・」次に何を言われるのか、体から血の気が引いていくのがわかった。きっと、顔色も真っ青であっただろう。
「上様ともよく会われているようですね」
「・・・」 (きた!)
「返事はしないのですか?」
「はい・・・あの・・・」(何と言えばいいのかしら)
後ろにいるおりんさんに目をやると、おりんさんも顔色が悪かった。ここは、私がしっかりせねばならない。だけど、どうすればいいか浮かんでこなかった。
「お里、どうしましたか?」
「はい・・・私が勝手に上様をお慕い申し上げているだけでございます。上様のお優しさにつけこみ、時々お会いして頂いておりました。申し訳ございません」
(私が勝手に慕っているだけということにすれば、少しでも上様のご迷惑にならないのでは・・・)
「あなたが一方的にということですか?」
「はい」
私は、このときにはもう覚悟を決めていた。きっと、この選択は私にとって悲しい結果になるだろうけれど、悲しむのは後にしよう。今は、上様にご迷惑をおかけしてはならないということだけを考えた。
「そうですか」 御台所様は、何か考えながらおっしゃった。私も黙ったまま下を向いていた。すると、御台所様は、何かを考えつかれたようだった。
「それではお里? あなたは、御膳所勤めの御目見得以下の分際で、上様に取り入ろうとしたことを私が咎めればあなたはどうするのですか?」
「はい。もう上様とお会いせず、ただの御膳所勤めに戻らせて頂きます。ただ・・・」
「ただ?」
「できれば・・・お城から下がらせて頂きたく思います」
(上様にお会いすることが出来ないのであれば、この大奥にいることは地獄だわ。ならば、何もわからないけれど、お城から出て一からやり直した方がいいのかもしれない)
「城から出ていくのですか?」
「ご配慮頂けるのであれば・・・ 」続きをどう言っていいかわからず、頭を下げた。
「それがお里の答えと思ってよろしいですか? 」御台所様はあまり感情を出さず、問われた。
(ここで、私がはいと言ってしまったら本当に上様にはもうお会いすることなくこの大奥を去ることになるかもしれない。私は、以前の世界で死んでしまったとわかったときに、上様が私を手放されるまでは自分から離れずお傍にいると決めたはずなのに・・・本当にこれでいいのかしら)
「お里?」 御台所様がもう一度問われた。私が返事をしないことに苛立たれたのか
「わかりました。もう、下がってよいですよ」 と言って席を立とうとされた。
「御台所様!」 私は咄嗟に呼び止めてしまったものの、そこから声が出ずもう一度頭を下げた。御台所様は、私の声を聞いてもう一度座り直してくださった。そして、一度大きなため息をつかれて周りの方におっしゃった。
「少し、お里と二人で話をいたします。お里以外の者は下がりなさい」 とても威厳のある言い方だった。皆さん、返事をしてから頭を下げられ順番にお部屋を出て行かれた。おりんさんも、お部屋を出ていくときには心配そうなお顔を私に向けられた。私はそれに、何とか笑顔で返したつもりだった。そして、ご側室でご生母であるお方が出て行かれるときに私を睨んでおられるのに気付いたけれど、そんなことを気にしている余裕はなかった。
御台所様と二人きりになり、さらに広く感じる広座敷で私はずっと頭を下げていた。
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