上様の思い ⑤
「上様、ご隠居様が、お里様がお待ちになられているお部屋へ向かわれました」
「なにっ!!」すぐ横で、菊之助も驚いた顔をした。
「上様、ここは私にお任せください。幸い、みなも酔っ払い気分を良くしておりますので、このまま適当に宴席は終わりに致します。それよりも、お里殿のところへ早く!」
菊之助が最後まで話す前に私は席を立ち、部屋を出るまでは自然を装い、部屋を出て襖を閉めると大急ぎで廊下を走った。そのときの廊下は、とても長く感じた。
部屋の襖を挨拶もなく開けると、そこにはお里の手を取る父上の姿があった。私は一瞬頭が真っ白になったが、お里の恐怖に震える顔をみると自分が冷静にならなければと我に返った。父上は、悪びれることもなくお里を所望された。今まで父上がされることに反対したこともなく、反対する必要もなかった。世の習いとして、それは当然のことであった。だが、お里だけは渡せなかった。手を取っている父上をぶん投げてやろうかとも思った。
私は出来るだけ怒りを抑えて、父上に反抗した。父上は、私が初めてそうしたことに少し驚かれた様子だったが、すんなりと諦めてくれた。最後は、嫌みたっぷりだったが・・・
父上が出て行くと、お里を抱き寄せた。お里は始めこそ冷静であったが、そのうち私にしがみついて泣き出した。こんなに怖い思いをさせてしまったことを悔やんで私も涙が出てきた。お里が泣けば泣く程、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。お里を守りたいと傍に置いていたのに、そのことで危険な目に合わせてしまった。
泣き止んだお里は私を責めることなく、助けに来たことを感謝してくれた。そして、私が強くいられるよう傍にいてくれると言った。私はそんなお里の優しさと強さに心を打たれ、心からお里と離れたくない、ずっと大事にしたいと改めて思った。
京都から帰ると、私は父上を極力避けていた。お会いしても、挨拶をする程度で父上も不愛想に挨拶を返されるだけだった。時々、お清が私の中奥の部屋に来て、年に一度の宴席にお夕を呼ぶようご隠居様から言付かっていると知らせに来た。私は、絶対にお里をこの間のような怖い目に合わせたくなかったので、それは出来ないと断り続けた。お清も何度目かに諦めたのかその話はしなくなったので、ホッとしていた。私が断ったことに関して、菊之助も特に意見をしてこなかった。
当日、父上と会わなくてはならないという憂鬱な気分で宴席に参加した。父上も私に話しかけられることはなく、家臣の者たちと楽しそうに会話をされていた。ただ時が早く過ぎればいいとだけ考えていた。しばらくすると、お清が側室たちを連れてきた。私は、側室に感情など持っていなかったのと、数が多すぎるため、名前などはほとんど覚えていなかったが3番目に挨拶をした声に一瞬息が止まった。目の前で挨拶をしているのはお里だったからだ。驚いて菊之助を見たが、菊之助も知らなかったようで私と同じように目を見開いていた。
お里は、呼ばれた父上の横に座った。そして、早速父上が手を取ったので私は立ち上がりその手を振りほどこうと動きかけた。その時、お里と目が合った。お里は目で私を制した。その目の強さに私は怯んでしまい、仕方なく座り直すことにした。父上が、お里の耳元に顔を近付けて話す様子を見ているのは気が気でなかった。お里も笑顔で父上に話しかけていた。すると、父上が急に笑顔になられ、お里のことを褒めだした。ついでに私のことも・・・父上の上機嫌につられ、場もさらに和やかな雰囲気になった。
おぎんに手を取られ私の隣に座ったお里を私は見ることが出来なかった。お里は、初めは私のことを気にしていたようだが、しばらくすると俯いていた。あれだけ怖い思いをさせたくなくて、私が拒否していたことにお里が自ら飛び込んできた。私はなんと器の小さな男だろうと・・・私が守ってやらねばと思っているお里に守られていたのは私だったのだと思うと情けなくて顔を上げられなかった。それに、お里の顔を見てしまえばお里を抱き寄せ、自分の気持ちをぶつけてしまいそうで宴席が終わるまでの我慢だと自分を抑えていた。
無事に宴席を終えると、一目散にお夕の部屋まで走った。お里に会いたい一心だった。襖を開けると、月明かりだけが入る部屋でお里は泣いていた。訳を聞くと、勝手なことをして私が怒っていると思ったらしい。私は、正直にその時の思いをお里に話した。お里もそれを理解してくれたようだった。私は、何度抱きしめても足りないくらいかわいいお里を一晩中抱きしめた。
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