上様の思い ①
ここからは上様が今までを振り返っています。本編を思い出しながら読んで頂ければと思います。
私は、15歳という若さで第11代将軍となった。当然、政のことなどわからず、ほとんどお飾りであるということは最初からわかっていた。父上には
「お前は、子を沢山作り徳川の世を今後も絶やすことなく守っていかなくてはならない」と、ことがある度に聞かされていた。
私は父上に逆らったことなどない。そもそも、父上と遊んだ記憶もない。何かがある時だけお部屋に呼ばれ、指示を受けるといったかんじであった。それを不思議に感じることさえなかった。
将軍になってすぐに正妻(ただ子)を娶った。だが、ただ子とは幼いころから婚約しており、小さいときから一緒に育ったようなものだった。いわば、幼馴染みという間柄だった。もちろん、ただ子のことを大切にしていたし、ただ子も私の父上からの命を理解し、多くの側室を抱え、子を作ることを理解してくれていた。
私は昼も夜もなくただただあてがわれるまま、仕事をこなすといった毎日を過ごしていた。
だが、側室の中でとても愛おしいと思う女が出来た。お楽という・・・私は、お楽に会いたくて、時間があると毎日のように部屋へ通っていた。お楽は姿も綺麗であったし、私のことをとても愛おしいといってくれた。こんなに感情が高ぶったのは初めてだった。そのうちに、お楽が妊娠したと聞かされた。私は二人の間に子が出来たことが嬉しく、以前にも増して部屋へ通うようになり、お楽の体調を気遣っていた。
その日も、お楽の様子を見に部屋へ向かった。中からは、お付きの侍女と話すお楽のかわいい声が聞こえてきた。私は胸を弾ませ部屋まで小走りで向かおうとしたとき、信じられない言葉が耳に入ってきた。
「もう上様のお相手をしなくていいと思うと、少し気が楽になるわ。だって、子供みたいなんですもの・・・毎日毎日通って来られても、気を使って仕方がないわ」
「そんなことをおっしゃってはいけませんよ」侍女がたしなめているようだった。私は、その場に立ったまま、続きを聞かされることになった。
「このお腹の子が、男子だったら世継ぎになるのよね。そうすれば、私は御生母になるのよ。だって、このままじゃ私はただの一側室だもの。何のために、大奥に入ったと思っているのよ」
「まだ男子と決まったわけではありませんよ」
「もし、女子だったらまた上様に頑張っていただくわ」そう言って、侍女と笑いあう声を、私は廊下で聞いていた。
そのまま、その日は部屋には行けなかった・・・何かの間違いであって欲しいと願ったが、自分の耳で聞いてしまっては疑いようがない。あれだけ、愛しいと言ってくれていたのに・・・
それ以降、私はお楽の部屋へはお清からの声がかからない限り行かなくなった。だが、お楽は私の顔を見ると「もっと会いに来てくれなくては寂しい」とか「愛している」と平気な顔をして言うのだった。
女というのはこういうものなのか・・・自分が権力を持つために、したたかに抱かれるのか・・・と思い知らされた。
それから、お楽が男子を産んだと菊之助から聞いたが、自分から会いに行こうとは思えなかった。お楽も、もう私に用事はないだろうと思った。結局、お楽からも会いに来てほしいという連絡もなかった。
私も、ある意味心を入れ替え、感情などないまま、子を作ることに専念した。父上も、そんな私を褒めてくれた。
心が疲れてきたころ、菊之助が大奥の端に部屋を用意してくれた。これで、表向きは大奥にいることになるから、昼間に父上とお会いすることはない。私は、その部屋で好きな本を読んだりして昼間はゆっくり過ごした。夜も褥で夜を明かすことはなく、ことが終わると部屋に戻り休んだ。
その日も、夜中に部屋に戻ろうとおぎんとおりんに着替えをしてもらうつもりで菊之助と小屋へ入った。 すると、一人の女がそこで倒れていたのだ。私は駆け寄り、「大丈夫か?」と体を起こした。菊之助が息を確かめると、かろうじて息をしているという。そのとき、女が呟いた。「自分を大切に・・・」と。私は、自分のことを言われているのではないかと思った。父上に言われるがまま、自分の気持ちなんて押し殺して・・・それが自分の役目であると過ごしてきたことを振り返った・・・そんな私のことを言っているのかとその女の顔をジッと見た。でも、その目は閉じたままだった。
とりあえず二人で、部屋まで運んだ。真冬の寒さの中、倒れていた女は体が凍っているのではないかと思う程冷えていた。すぐに、布団を何枚も重ねてかぶせ、火鉢に火をおこした。おぎんとおりんが到着してからは冷えた手足をさするようにして温めた。すると、少しずつ息をしっかりとするようになり体も体温を取り戻してきたようだった。ひとまず安心したところで、菊之助たちと話をした。
「なぜ、この女はあんなところにいたのでしょうか?」菊之助がそのまま疑問を口にした。
「それはわからないな・・・」私もそう答えるしかなかった。
「大奥のものかはわかりませんね。誰かに閉じ込められたとも考えられません。あの小屋の存在は私たちしか知らないのですから・・・」 菊之助が言った。
「もしかしたら、どこかから逃げてきたのかもしれない・・・ならば、助けてやるか」
「上様、そのようなことをして、もしこの女が怪しいものであれば大変なことになります」 菊之助が心配して言った。私もそれはわかっていたが、一目見たときからこの女が悪いものには見えなかった。
「とりあえず、ここに置き様子をみてみよう。おぎんとおりんも見張りを頼む」 私はなぜこの女がここにいるのはわからないが、ここで働かせてみようと思った。
「承知しました。御膳所を取り仕切っているお常というものに、奉公が増える旨伝えてまいりますが、この女の名前はどうしますか?」と菊之助が聞いてきた。私は、何も考えることなく頭に浮かんだ名前を口にした。
「お里にしよう!!」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。