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抜擢

 私は何度目覚めても以前の世界へ戻ることもなく、お加代が教えてくれたことに加え、主婦をしていたことも役に立って、最近はお常さんから指示される前に色んなことがこなせるようになってきた。そんな私を見守ってくれているお常さんの暖かさを感じることもあった。


 (そういえば…以前の私もそうだった…主人に何も言われなくても、欲しいものややってほしいことは先回りしてやり、「なんでわかったの?」と言われることがよくあった…でも…幼稚園の催しの準備などでは、こうやればいいのにと思っていても、絶対に自分から意見することなく指示通りに動いていた…自分から動いたことを任せてもらえるこの環境にやりがいを感じていた)


 特に最近気になっているのは…歳は私と同じくらいか少し上で、とてもかわいいお顔をされている女中である。私が配膳を終える頃に、静かに来て、静かに去っていく…誰とも会話しているところを見たことがない。そして、視線を感じるのでそちらを見ると、目が合ってからそらされる…


 私はその方が来たときに先輩に聞いてみた。


 「あの方は?」


 「ああ お夕の方様の雑用係だよ」


 「お夕の方様?」


 「お側室なんだけどね、お腹様になれなくて…今では一人寂しく、離れの一番奥の部屋におられるんだよ。御火の番の子が言ってたけど夜の見回りに行く頃には、もう部屋が真っ暗で明かりもついてないらしいよ。気味悪いよね」


 「私も何度かお見かけしたけれど、とても綺麗なお方なのに、可哀想だよね」


 と、他の先輩も入ってきた。


 「そうなんですか…」


 (お側室が多いということはなんとなくわかっていたけれど、お側室も大変なんだな…)


 ある日、いつものように食事を取りに来た例の雑用係に声をかけてみた。


 「御苦労様です。こちらですよ」とお膳を渡した。


 お膳を一目見てから「これは?」と尋ねられたので


 「朝、沈丁花の花が咲いていたのです。とてもいい香りなので、少しだけ切ってもらいました。よろしければ、お方様のお部屋において頂ければと…」


 「ありがとうございます」


 と、それだけ言って一礼した後、いつものように去っていった。


 (初めて話したけれど、お顔から想像するより低めの通る声だった。お夕の方様が、お花を見て少しでも和んでくださるとうれしいな…でも余計なことをしてしまったかしら…)



 私がそう思っている頃、お膳を持ってお夕の部屋と戻った雑用係のお菊は大汗をかいていた。


 「朝餉にございます」


 「ありがとう…これは?」


 「例の子に声をかけられてしまって…焦りました。朝、花が咲いていたのでよろしければお部屋にお飾りください…とのことです。沈丁花だとか…」


 「そう、あの子が…この花を…いい香りだね。早速飾っておきましょう」


 「かしこまりました」


 その日は縁側の傍に飾られた沈丁花を見つめながら、風と共に運ばれてくる香りに二人で酔いしれていたのだった。



 桜の花もそろそろ散ろうかという頃、私にとって思いもかけないことが起こった。

 お常さんから部屋へ呼び出された私は、何かしてしまったかしらと思い当たることを考えながら歩いていた。


 「お里でございます」


 「おはいり」


 「失礼いたします」


 部屋へ入り、お常さんの前に座った。早速、お常さんが話始めた。


 「お里、先日お夕の方様に何かしたかい?」


 (……!!)


 「はい。お膳を持っていかれる方に、沈丁花の花をお飾りください…と渡しました。申し訳ございません」


 (やっぱり余計なことをしてしまった)


 「ああ その子はお菊だね」


 (お菊さんというのか…)


 「お夕の方様は大変喜ばれていたそうだよ」


 「本当でございますか? 私はてっきり怒られるのかと思いました」


 「あんたが一生懸命やっているのは見ているからねえ。最初は少し変わった子で、何も知らない子だと思っていたけれど、最近はよく気がついて仕事をしていると思っているよ」


 (それは本当に何も知らなかったので…でもお常さんに評価してもらえたことがうれしいな)


 「そんなあんたの気遣いがお夕の方様にも伝わったんだろう」


(これを言うために呼び出されたんだ…勇気を出してお花を渡してみてよかった)


 私が一礼して部屋を出ようとすると


 「ちょっと待ちな。話はここからだよ」


 「えっ!?」


 初めに部屋に入ってきたときよりもさらに緊張しながら座り直した。


 「お夕の方様の部屋へ雑用係として時々来て欲しいそうなんだよ」


 「私がですか? どうして?」


 「それは私にもわからないんだけどね…どうする?」


 (どうするって…断れるの?…そんなわけないよね)


 「私が務まるかわからないですけど…頑張ります」


 「そうかい。じゃあ、伝えておくよ。詳しい話はまた別の方がされるそうだから。頑張らなくてもそのままでいいんだよ…」


 「ありがとうございます」


 そう言って、お常さんの部屋を後にした。

 (どうしよう…お部屋の雑用係って何をすればいいんだろう? 失敗してしまったら、追い出されるかしら…)

 そんなことを考えながら、その日はなかなか寝付けなかった。


 次の日、いつも通り御膳所の仕事をしているとコソコソとこちらを見ながら噂話が聞こえてきた。

 

 「あの子、お夕の方様の雑用係になるんだって」


 「なんであの子が? でも、お夕の方様ってもう上様に見放されているんだろう? だったら、あの地味な子でちょうどいいんじゃない?」


 (なんでコソコソしているのに、聞こえるように言うんだろう…確かに私は地味です)


 仕事が一段落したところ、お常さんからお夕の方様の部屋へ行くように言われた。


 「はい。今からですか?」


 「仕事について指南があるそうだから…部屋はわかるかい?」


 「えっと…離れの一番奥でよろしかったですか?」


 「そうだよ。じゃあ頼んだよ」


 (さあどうしましょう…身なりはこれ以上はどうしようもないので…とりあえず失礼のないよう…クビにならないようにしなければ)


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