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事件

 忙しさと、自分がおかれている状況にも慣れてきた中、最近気になることができた。どうも、周りの女中たちが、お加代さんに厳しい。同じことをしていても、お加代さんは厳しく当たられる状況を度々見かけるようになった。


 (こういうのは女の世界にはあるあるだろうけど…大人しいお加代さんのことだから、特に言われやすいのかな…)


 仕事はほとんどお加代さんと一緒だったので、何か言いつけられても私と一緒にこなすことがほとんどだった。


 「お加代たちに言いつけておけばいいよ」

 「仕事が遅いんだから、朝一番に来るのは当たり前だけどね」


 時々そういう陰口が聞こえてくる


 (全部、聞こえてます…仕事が遅いのではなく、あなたたちが仕事を回しすぎなんだけど…なんて声に出しては言えないけど)


 

 この年の一番寒い日を迎えた早朝、いつもより早く目が覚めるとお加代も起きていた。二人で御膳所の水汲みのために井戸に向かった。今にも雪が降りそうな雲がかかり、井戸も凍るのではないかと思うくらいに寒い日だった。二人とも、何度も両手に息を吹きかけ、温めながら水汲みを終わらせた。


 「次は厠の掃除ですね」


 「はい。みんなが起きてくる前に済ませてしまいましょう」 お加代がそう言って、厠へ向かおうとしたとき、私たちよりも少し先輩のお高がこちらの方へ歩いてきた。


 「おはようございます。お高さん」 私もお加代に続いて挨拶をした。


 「……」


 「私たちは厠の掃除へいってまいります」

 「……」


 (無視か……まあ いつものことです)


 厠の掃除を終わらせ、御膳所に戻っていたところ、どうもまわりが騒がしい。

 二人で顔を見合わせ覗いてみると、私たちが朝一番に水汲みをした水瓶がひっくり返り、朝餉に用意してあった魚の干物が生き返るのではないかというくらいに水浸しになっていた。


 (どういうことだろう…)


 そう思っていたとき、お高が私たちをみつけ、お常さんに向かって話し始めた。


 「私が朝こちらへ来たときには、このような状態でした。その時、お加代とお里が2人で急いで厠の掃除へ行くところでした」

 

 そこにいた女中たちが一斉に私たちの方をみた。


 「いえ…私たちは…」 お加代がそういうのを聞いてから


 「私たちが厠へ掃除に行く前には水瓶は倒れておりませんでした」 と言った。


 (こんなことを発言するのははじめて…)


 するとお高が割って入るように


 「この期に及んで2人で言い訳するのかい! あんたたちの言うことなんて、誰も信じないんだよ」 と声を荒げた。


 お常さんがため息をつきながら


 「とりあえず話は後で聞くから、まずここを片付けて朝餉の準備をするよ」

 と言ったので、女中たちは一斉に動き始めた。


 私も水瓶を片付けているとき、水瓶の下に木のふだのようなものを見つけた。


 (これは?) と思ったけれど、今この状況では誰にも聞けないので、懐にしまっておくことにした。


 (あとでお加代さんに聞いてみよう)


 その後は、2人ともいつもの倍くらい動き回って、少し休憩に入るときお常さんから呼び出された。お高とお加代と私がお常さんの部屋へ入った。


 「それで、あんたたちがやったのかい?」


 「……」


 お加代が何も言わないので、私が


 「いえ…先ほども申しましたが、私たちが厠へ行く前は水瓶は倒れておりませんでした」


 「まだそんなこと言っているの?」


 すかさずお高が入ってくる。お常さんは困ったように


 「あんたたちがやっていないという以上、もう少し調べてみないといけないかねえ…」


 私たちは「よろしくお願いします」 と頭を下げて、部屋を出た。その間も、お高がこちらを睨んでいる気配を感じながら…


 その日はいつも以上に周りの冷たい視線を浴びながら仕事をした。途中、魚の干物が台無しになったためだろうか、珍しく魚屋さんがお勝手まで顔を出していた。その様子を横目に見ながら


 (……!!!)


 気付いたが、仕事の途中で声を出すことができなかった。その後も、すっかり忘れていた。


 夜になって、私はお加代より早く寝床に入ったがなかなか寝付けなかった。


 (昔はこんな薄くて重い布団で寝ていたんだなあ…そういえば、お加代さん遅いなあ……)


 と思っていたところ、廊下でコソコソ話す声が聞こえてきた。


 (誰だろう? こんな時間に…)


 話し声がやむと、廊下を歩いていく音が遠のいた。


 (今この部屋にいないのは、お加代さんとお高さんだけ…イヤな予感がする…)


 そう思うと、私は布団から出て羽織をかけ、音が遠のいた方向へ廊下を歩いた。


 御膳所を抜け、井戸の方で話し声が聞こえる。


 「あんたがやったことにしておけばいいんだよ。別に今更何も変わらないじゃないか」


 「いえ…でも…」


 お加代の姿に以前の私の姿が重なった。


 (ああ… 私もこういうとき何も言えなかったなあ)


 「あんた、どうせもうすぐ実家に戻るんだろう? だったら今回のことがあんたのせいになったって、別にいいじゃない」 


 「でも…私がやったことにすると…お里さんに迷惑がかかります…私は実家に戻るけれど…お里さんはまだここで働かれるのだから」


 (……! 違う! 以前の私とお加代さんは違う! お加代さんは私のことをちゃんと考えてくれている!)


 そのとき、昼間に気付いたことが頭の中によみがえってきた。私は咄嗟に井戸の方へ走りだしていた。


 「ちょっと待ってください」

 2人が驚いたようにこちらを振り返った。


 「お里さん……どうして…」

 お加代が不安そうに聞いた。


 「わ…わたし…わかったの」

 そう言うとお高が


 「何がわかったんだい」と、少しイラついたような言い方をした。

 私はとりあえず息を整えた。それから、ゆっくり話し始めた。


 「お高さんが、お加代さんに罪を被るように言うには訳があったんですね!」


 「何のことよ」


 「あの日、私たちはとても早く目覚めたのに、お高さんも早くに御膳所に来られた」


 「私も早く目が覚めたからだけど…?」


 「いえ、違います。それは、逢い引きのためだったんですね!」


 「はあ…? 何を言っているの?」


 強気な口調だが、明らかにお高は動揺しだした。


 「お相手は、八百屋の富さんですね。私たちが厠へ掃除へ向かったあと、富さんがここへ来られた。そして、2人で過ごしている間に(イチャイチャして盛り上がっているときに)水瓶が倒れた。自分がやってしまったことより、逢い引きをしていたことを隠すためには、私たちのせいにするしかなかった。でも、お常さんがもう少し調べてみると言ったので、焦ってこうやってお加代さんに罪を被るように言っているのでしょう?」


 「あ、あんた…何のことかわからないけど、勝手に話を作るんじゃないよ」


 (あーあ、顔が真っ青になってきている…)


 「勝手に言っている訳ではないんです。これが、その証拠です」


 と言って、私は水瓶を起こしたときに見つけた木の札を懐から取り出した。


 「それは…」


 「そうです! これって、お勝手まで出入りできる通行札ですよね? 私は知らなかったんですけど、昼間に魚屋さんが来られたときに同じものを見たんです。ここに《八百富》と書いてあります。これが、水瓶の下から出てくるなんておかしいですよね」


 「…それを、こちらによこしなさい!」


 今度は必死の形相で私に掴みかかろうとしてきた。私は、井戸にむかって札を投げた。黙って様子を見ていたお加代が「あっ!」と言った。


 ポチャン!!


 井戸の奥で音がした。駆け寄ってきたお高は、井戸の中を口を開けたまま眺めていた。


 「これがなくなれば、富さんはもうここへは出入りできなくなりますね。札をなくしたとなれば、処分を受けることも間違いないですね」

 お高は、井戸の傍で力なく座り込んだ。


 「もういいよ。お常さんに全部話せば…」


 「…いえ…報告はしませんよ」


 「……?」 今度はお高とお加代が顔を見合わせて不思議そうにした。


 (そうですよね。普通はすべてをお常さんに話して、お高さんが処分を受け、私の大勝利!!ってかんじですものね)


 「私はお高さんがやったということがわかって、お加代さんが罪を被らなくて済むのならそれでいいんです。あなたが誰と逢い引きしようが興味もないので…お加代さん…それでいいですか?」


 「はい」 私はお加代に向かって頷いてから


 「ということなので、これもお返ししますね」


 と、木の札をお高に渡した。お高はそれを受け取り、確認するように見つめた。そして、ゆっくり立ち上がり、したかしてないかわからないくらい頭を下げてから、部屋の方へ歩いていった。


 「お里さん、ありがとう」 お加代が私の方へ近寄りながら言った。


 「いえ…初めに助けようとしてくれたのは、お加代さんです」


 そう言って、2人でさっきのお高の顔を思い出し笑った。


 (井戸に札を落とす振りの意地悪くらいいいよね…ここでお高さんを打ちのめすのは違う気がした…お加代さんのために、自分が井戸に向かって走り出せたこと…そのことだけで充分心が満たされた)

 

 そんなことを考えていると


 「もう夜も遅くなってしまったわ。早く戻りましょう!」

 と、お加代が、言ったので2人で並んで歩き出した。


 その様子を、近くの茂みで誰かが伺っていることなど…気付きもしなかった…


 その後、お加代から実家に戻る話を詳しく聞いた。仲の良い人がいたわけでもなく、何の未練もなかったが、私と離れるのは寂しいと言ってくれた。私もお加代さんがいなければ、この世界でここまでやってこれなかった感謝を伝えた。

 そして、いつかまた会おうと…果たせるかどうかわからない約束をした。


 少し寒さも和らいできたころ、お加代は実家へと戻っていった。

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