復帰
この頃は御台所様のご名代としても慣れてきたつもりだった。相変わらず、上様の素敵なお姿に見惚れてしまうことはあるけれど、話を聞き逃すことはなかった。
「お里もだいぶ慣れてきて、私も安心しております」 とお清様からお言葉を頂いた。お会いするのは大名の方や、たまには外国の方もいらっしゃった。きっと私が歴史好きであったなら聞いたことのある大名の方もいらっしゃったかもしれない・・・
私がご名代としてのお役目がある日は、いつもおぎんさんが着替えを手伝ってくださるので優は私が少し部屋を出て行くことがわかっているのか「おしごと?」 と聞いてくる。そして、私が出掛けるときには「いっ・・しゃあい」 と笑顔で送ってくれるのだった。
最近、上様は「今日は御台所の所で食事をするから」 と言ってお昼は戻られないことが多くなっていた。私は御台所様のお体の具合がよくないのではないかと心配になって聞いてみたけれどそういうことではなく、決めねばならないことがあるということだった。
不思議と私は御台所様の所へ通われることに胸がモヤモヤしなかった。御台所様を信用されている上様のお気持ちもとてもわかり、寛大なお気持ちで私たちのことを見守ってくださっている御台所様に嫉妬心などなかった。
(もしこれがお楽の方様だったなら・・・考えるだけでも不安になるわ)
時々、気になるのは上様は私に何か言いたそうにされていることだった。
「上様? どうかされましたか?」 と私が上様の視線に気付き聞いてみると 「いや 何でもないよ」 と心配させないようにおっしゃる気がした。上様がもし本当に話そうと思われた時は話してくださるだろうと私も気にしないようにしていた。それ以外は、優と楽しそうに遊んでくださり、私にも優しくしてくださっていた。
ある日、お清様がお部屋に来られたときにお話をされた。
「お里、御台所様のご名代としてもだいぶ慣れてきたようですし、そろそろ総触れに出席することを考えてみてはどうかしら?」 とおっしゃった。御台所様から優が落ち着くまでは総触れに出席しなくてもいいとおっしゃって頂いたけれど、優もかしこくおぎんさんとお留守番をしてくれるようになってきたこともあり私も気になっていた。
「はい・・・私も気になっておりました。一度、上様に相談をさせて頂いてもかまいませんか?」 私がお清様に聞くと、「わかりました」 と言ってくださった。私たちのお話はそれだけで終わり、お清様はしばらく優と遊んでくださってからお部屋を出られた。
「上様、今日お清様から総触れの出席をそろそろ考えてはどうかとお話を頂きました」 私は上様が夜にお部屋に戻られたときに、切り出した。
「そうか・・・お里はどうしたい?」 上様は優しく尋ねてくださった。
「他のご側室であれば、既に総触れにも復帰されていることでしょう。私は甘えさせてもらい、ずっとお休みをさせて頂いておりました。優もおぎんさんとお留守番をしてくれるでしょうし、出席をさせて頂こうと思います」 と私が言うと、上様はため息をつかれてから「そうか・・・」 とおっしゃった。
「上様がもし、まだ優の傍を朝と晩に離れることを良く思っていらっしゃらないのでしたら、まだ少し先でもかまいません」 私は上様が納得されていないと思ってそう言った。
「いや そういうわけではないよ。そうだな・・・早い方がいいのかもしれない」 とおっしゃってから私の方を見て微笑まれた。私はその先も何か言いたそうな上様が気になったけれど、自分からは尋ねなかった。
「わかった・・・じゃあ お清にそのように私から伝えておくから、心配するな」 と上様がおっしゃったので「はい よろしくお願い致します」 と頭を下げた。
その後、総触れに参加するのは1週間後からとなったと上様から教えて頂いた。1週間の間におぎんさんと打掛を整理し、この部屋にいる間は質素なかんざしを好んで付けていたのでかんざしなども以前のものを出してきてもらった。
「お里、準備をしているのだな」 と上様がおっしゃったので「はい お清様付きの身でもあり、御台所様のご名代のお役目を頂いているので今までお部屋で過ごしていたような姿ではご迷惑をかけてしまうかもしれませんので」 と私が言うと「そんなことは気にしなくてもいい。お里は何を着ても似合うのだから」 とおっしゃって、私の手を取られた。
「お里、総触れへ行くからといって私たちは何も変わらないからな・・・優には少しの時間我慢をしてもらわねばならないかもしれないが」 と上様がおっしゃった。
「はい 今までもご名代として表へ行く時も優は愚図ることもなくおぎんさんと一緒に送り出してくれています。大丈夫でございますよ」 と私が笑顔で言うと上様はまた何か言いたそうなお顔をされた。
「上様? 何か考え事をされているのですか? 私にお役に立てることがあれば言ってくださいね」 私はやはり気になり、上様に聞いてみた。
「いや 今は・・・ とにかく、私はお里がどんな役目をしようと傍にいてほしいのだよ」 そう言ってもう一度力を入れて手を握られた。
「もちろんでございます」 私もその手を握り返した。
当日の朝、朝食を早めに済ませて準備を始めた。久しぶりだったので、少し早めに用意をした方がいいだろうとおぎんさんと話し合っていた。上様はその様子を眺められていた。
「上様もそろそろ表へ行かなければならないのではないですか?」 と私が言うと「ああ そうだな」 と言って立ち上がられた。
「お里、何があってもお前は私の傍に自信を持って並んでいればよいということを忘れてはいけないよ」 上様はそう言って廊下へ出られる前に私の頬を撫でられた。私は「はい」 と返事をした。
(上様は久しぶりに総触れに行って、私が誰かに意地悪をされないか心配しておられるのかしら? でも今は私も少しずつ自信を持って上様のお傍にいられるように努力をしている途中・・・誰に何を言われても気にしないのに)
そろそろ時間になったので私は優に「いってきますね」 と言い、おぎんさんに「よろしくお願いいたします」 と頭を下げて廊下を出た。
以前は毎日通っていた廊下なのに、今日はとても長く感じた。すれ違う御中臈さんたちは私とすれ違うと2度見をされていた。でも、そんなことは何も気にならなかった。広座敷の近くまで行くとお清様が待っていてくださった。
「お清様、おはようございます」 私は立ったままで頭を下げた。
「お里、おはよう」 お清様はにこやかに挨拶をしてくださり「さっ まいりましょうか」 と言って私を案内してくださったので、私はお清様について行った。以前とは違うお鈴廊下の方へとお清様は歩いていかれた。
「お清様? 私もこちらでよろしいのですか?」 私は不安になってお清様に確認をした。
「あら? 私がボケてしまったとでも思いましたか? あなたは私付きの御中臈でしょう? 私の横についていなさい」 とおっしゃった。私は何も言い返すことが出来ず、そのままお清様について行った。既に並ばれていたご側室たちは私が前を通り過ぎるのをジッと見られていた。
とうとう廊下のすぐ入り口まで来てしまった・・・お清様がそこで座られたので私も横に座らせて頂いた。しばらくすると、御台所様が廊下を歩いて来られた。皆さんが順番に頭を下げていかれたので私も頭を下げた。御台所様は私の前で足を止められた。
「お里、今日からよろしくお願いしますよ」 と声をかけられたので、「はい 精一杯つとめさせて頂きます。よろしくお願いいたします」 と頭を下げると、御台所様はご自分の席まで行かれて座られた。
(こんなことなら、言っておいてほしかった・・・)
と私は総触れについて何も尋ねなかったことに後悔していた・・・
「お里、上様が通られた後も私の後についてきなさい」 お清様が小声でおっしゃったので、私はお清様の方を見て頷いた。急に緊張と不安で頭の中がいっぱいになってくるような気がした。その時、上様が朝お部屋を出て行かれる前におっしゃったお言葉を思い出した。
(上様のお傍で自信を持って並んでいる・・・どんな私でも上様は受け入れてくださる)
私はそのお言葉を頭の中で繰り返し、その時の上様の優しいお顔を思い出した。そして、大きく深呼吸をした。
・・・お鈴廊下につながる鈴がシャンシャンと鳴り出した。皆さんが一斉に頭を下げられた。私も同じように頭を下げた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。