半分こ
暑い夏も終わり、冬がきて・・・春がきて・・・
優もすくすくと大きくなり、大きな病気をすることもなかった。よちよちと歩き出すころには上様はいつも転ばないかと心配されて、一緒にいるときには目を離さないようにしておられた。優も相変わらず上様のことが大好きで、お部屋におられるときには自分から膝の上に座り遊んで欲しそうにせがんでいた。
「優? 今日は何をして遊ぼうか?」 上様は優と一緒に遊ぶことを楽しんでおられた。時々、小屋の向こうの庭で追いかけっこをされることもあった。上様はいつも「優にはしたいと思ったことをさせてやりたい。政には関わらぬと決めたのだからな」 とおっしゃった。それでも、最低限の礼儀や作法なんかは教えていかないと・・・と思っていた。私には教えることは出来なさそうなので、おぎんさんかお清様にお願いしたいと上様にお話をしておいた。上様は「まあ そんなに焦ることもない。今は元気に遊べることが何よりだ」 とおっしゃっているので、またそのときが来れば考えてくださるだろうと私もそう思うことにした。
優は少しずつ言葉も発するようになった。初めて話したと理解した言葉は上様を指した言葉だった。上様と遊んでいる時に優が上様を指さし「うぇ・・うぇ」 と言っていたのに気付いたのはおぎんさんだった。
「優姫様はもしかして上様のことを呼んでおられるのではないですか?」 とおぎんさんが言われたのを聞いて上様と私は顔を見合わせた。
「優? これは誰だ?」 上様はご自分の顔を指して優に尋ねられた。
「うぇ う・え」 と何度も優は上様を指さして言った。
「まあ 優に話すときには父上とお呼びしているのに上様と覚えてしまったのでしょうか」
「優? 私は上様か?」 と上様が尋ねられると優はうんうんと頷いた。上様は嬉しそうな顔をされて優を抱き上げて「そうか そうか」 と高い高いをされた。優はその動きに合わせてキャッキャと声を出して笑った。
「上様、今後は気を付けて直すようにいたします」 私がそう言うと「別にいいではないか。呼び方くらい・・・そのうちにしっかりと話せるようになるよ」 と上様は気にするなとおっしゃった。
「優姫様は上様とお里様の会話をよくお耳にされているので、お里様がお呼びになられる上様というお言葉の方がお耳に残られているのでしょう」 おぎんさんがそう言われて楽しそうに遊んでいる二人を見つめられた。
そのうち、私を指して「お・・と お・と」 と呼ぶようになると上様は笑って「可愛いからしばらくはこれでいいではないか」 とおっしゃった。
優が産まれて2度目の秋を迎える頃、上様がある日嬉しそうに話をされた。
「お里、優が産まれる前にお仲の手伝いで市に行ったであろう?」
「はい 私が作った飾り物をお店に並べて頂き、上様と一緒に市を回ることが出来てとても楽しかったですね」 私はそのときのことを思い出すと同時に、お仲様は無事に子供をお産みになり幸せになられているだろうと想像して笑顔になった。お仲様からお子がお産まれになったことはお手紙で知らされていた。上様は私が想像している姿を隣で微笑んでみておられた。
「今度、その市がまた催されることになったらしい。お仲の店もそこに出されるとのことだ」
「そうなのでございますか? お店の方も順調なのですね」
「そうみたいだな、それで、優を連れて私たちも行ってみないか?」 上様は嬉しそうにおっしゃった。
「市に、でございますか?」 私は以前は変装をして何度か上様と町を回ったことがあったけれど、優もいるこの状況で大丈夫なのかと思った。
「ああ 今回は菊之助の家族が護衛という形で同行する。離れたところに平吉とおぎんも同行させるつもりだ」
「それはとても嬉しいです」 町を見たのは、上様と車に乗って初めて優を連れて出かけたのが最後だった。
「優にとっては初めての町だ。きっと目を輝かせて町を見るだろう・・・楽しみだな」 上様はそう言って微笑まれた。私は出かけられることも嬉しかったけれど、優がどんな顔をするのか楽しみだった。
市が催される日、朝食を終えて早速着替えを始めた。
「優、今日は父上と母上とお出かけをしましょうね」 私はそう言いながら優に着物を着せた。
「お・で?」 優はたどたどしく繰り返した。私は「お散歩ですよ」 ともう一度言い直すと「しゃんぽ」 と言って喜んだ。上様はいつものお侍さんの格好をされて席に着きながら、私たちの様子を眺められていた。やはり、上様のこのお姿も何度見ても素敵だと思った。
「失礼いたします」 菊之助様がお部屋に入って来られた。
「おはようございます、菊之助様。本日はよろしくお願いいたします」 私がそう言って頭を下げると、優は真似をして一緒に頭を下げた。菊之助様はクスッと笑われて、私と優に頭を下げられた。同じようにしてもらったことが嬉しかったのか優は菊之助様と目が合うと満足そうに笑顔を見せた。
「上様、そろそろまいりましょうか?」 上様に尋ねられると上様は頷かれ、立ち上がられて優を抱っこされた。
「お里、久しぶりに沢山歩くから疲れたらすぐに言うのだよ」 上様が優しくおっしゃったので、私は「はい」 と返事をした。
今日は小屋の隠し通路から菊之助様のお屋敷まで行き、そこから一緒に出掛けることとなっていた。隠し通路を初めて通る優は、少し暗いのが怖かったのか上様にしっかりとしがみついていた。上様は片手で優を抱っこされながら、もう一つの手で私の手をしっかりと握ってくださっていた。
菊之助様のお屋敷に着くと、おりんさんと彦太郎さんが出迎えてくれた。
「ひこしゃん」 優は上様の腕から飛び降りるようにすると、彦太郎さんに抱き付いた。
「ゆうさま」 彦太郎さんは笑顔で優を迎えてくれた。
「上様、お里様本日はお供をさせて頂きます。よろしくお願いいたします」 とおりんさんが頭を下げてくれた。
「ああ 頼んだぞ」 「よろしくお願いします」 と私たちは挨拶をした。
「上様、道中一緒に参らせて頂きますが、今日は上様方3人でのお出かけだと思ってご自由にお回りください。私たちは少し離れて歩かせて頂きます」 菊之助様が上様にそうおっしゃると「ああ わかった」 とお返事をされた。
菊之助様の家を出ると私たちは町へ向かって歩き始めた。しばらく歩いてみて、すっかり町が以前のように戻っていることが嬉しくなった。優は上様に抱っこされて、初めてのお城の外の景色を不思議そうに眺めていた。時々、彦太郎さんを見つけると大きくて手を振っていた。
上様は私のことを気遣ってくださり、ゆっくりと歩いてくださった。町の景色を見ながら歩いていると、あっという間に町の真ん中まで歩いてきたようだった。市の広場への入り口は既に吸い込まれるように人が入っていくようだった。
「とても賑わっているようでございますね」 私が上様に言うと、上様は「そうだな」 と笑顔で答えてくださった。
市の広場へ入るとすぐに人だかりのあるお店が目についた。若い女性が沢山いるそのお店はお仲様夫婦のお店だった。千太郎さんと赤子を負ぶったお仲様が、お客の対応に追われているようだった。
「お仲様はお忙しそうでございますね」 私がそう言うと、上様は「あとで 行くことにしようか」 とおっしゃった。他のお店をひと回りしようと上様は優を下ろされ私たちの間に立たされて片手を上様、片手を私がつないで歩き始めた。優は上様と私の顔を交互に見てからニッコリと笑った。
「優、甘いものを食べようか?」 上様はそうおっしゃると歩き始められた。少し行くと目の前に蒸したおまんじゅうが売ってあった。優は蒸し器から出る湯気をジッと見つめていた。
「ん? まんじゅうを食べたいのか?」 上様はそうおっしゃると、お店の主人に「ひとつくれ」 と言われお金を払ってからまだ湯気が出るお饅頭を持って優の前にしゃがまれた。「さあ 優、食べてごらんなさい」 そう言って半分に割ってそれを優に渡された。優はそれを一口食べて口の中でモグモグとした後「おいち」 と言って上様に笑いかけた。上様も笑顔になられ「そうか」 とおっしゃり、「あとの半分は母上のだ」 と私に残りの半分を渡してくださった。
「ありがとうございます」 と言って私はお饅頭を受け取り、さらに半分に割ってそれを一口かじった。暖かくて、甘くて本当に美味しかった。「優、美味しいですね」 と言って私も優に笑いかけた。そして、上様に「旦那様も」 と言って半分に割ったもう片方を渡した。上様は、それを受け取られ一口で食べられた。
「ああ 本当だ。うまいな」 と私たちに向かって微笑まれた。すると、優が自分の持っていたお饅頭を少し割って、上様に差し出した。上様は私と顔を見合わせてからそれを受け取られた。
「優もくれるのか? ありがとう」 とおっしゃり、同じようにそれを一口で食べられてから「うまい」 と言って優に笑いかけられた。
「仲睦まじい家族だなあ」 とお饅頭屋のご主人が私たちをみて言われた。私は様子を見られていたことに気付いて恥ずかしくなったが、「ありがとう」 と上様は爽やかな笑顔でご主人に挨拶をされた。そして、両手にお饅頭を持ったままの優を抱き上げられて歩き始められた。
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