起伏
私たちが隣の襖を開けると、おぎんさんはホッと息をつかれた。
「おぎんさん、ご心配をおかけして申し訳ございません」 私はそう言って頭を下げた。
「お里様・・・どうやら心配はいらないようですね」 そう言うと微笑んでくれた。おぎんさんの腕に抱かれていた優を上様は「さあ 優おいで」 と声をかけてから受け取られ、ご自分の席に着かれた。
「おぎん、優は乳母を付けずにお里がここで一日育てることにする」 上様はおぎんさんにおっしゃった。
「はい 承知いたしました」 おぎんさんがそう言って頭を下げられた。
「だから、おぎん、お里を助けてやってくれ。お里は無理をするところがあるからな・・・」 そうおっしゃると私の顔を見られた。
「はい それもわかった上でお里様と優姫様のお傍にいさせて頂きたいと思います」 おぎんさんもそう言って私の方を見られた。私は二人の視線を一度に浴びて、急に照れくさくなった。「よろしくお願いいたします」 そう言って頭を下げた。
「上様、お里様、昼食を早めにとられて揃って少しお休みになられてはいかがですか?」 おぎんさんが上様に言われた。
「ああ そうしようか お里?」 上様が私の方を見られたので「はい」 と返事をした。
(感情的になってしまったりするなど、やはり少しつかれているのかもしれない・・・まだまだ子育ては始まったところなのだから、休めるときは休ませて頂こう)
昼食を終えて、優が起きている間は一緒に過ごした。優は産まれたての小さな体を一生懸命に動かしていた。その様子がとても愛しくて、上様と一緒に癒されて過ごした。突然、泣き出した時には上様はオロオロとされて私の方を見られたけれど、抱き上げてあやすとすぐに泣きやんだ。しばらくすると、優は口をチュッチュと動かし始めたのでお乳だろうかと思って飲ませると勢いよく飲み始めた。私がお乳を飲ます様子を上様はにこにこしながら見ておられた。「本当にお里は母親になったのだなあ・・・」 としみじみとおっしゃられた。おしめを替えて上様に抱かれているとまたウトウトと寝始めた。寝そうで寝ない優の様子がまた可愛らしく上様と二人でいつまでも見ていられた。
「上様は寝かせるのがお上手でございますね」 とおぎんさんが言われると上様は嬉しそうに笑われた。それからは、おぎんさんに優をみてもらい、私たちは少し布団に横になって休ませてもらうことにした。
「お里、おいで」 上様はご自分の方へ近付くようにおっしゃった。私も「はい」 と言ってその腕の中に自分の体を預けた。
「優は私に抱かれているとよく眠れるらしいからな。お里もこうやって眠るといい」
「上様は温かくて気持ちがいいのでございますよ」 私がそう言うと上様はその手に力を入れられた。
「そうか・・・ゆっくり休みなさい」 そう優しくおっしゃったので、私はそのままで目を瞑ることにした。
優もゆっくりと眠ってくれたようで、私たちは自然に目が覚めるまで眠ることができた。上様の方が先に起きられていたらしく「お里、ゆっくり眠れたか?」 と私に聞いてくださった。
「上様は?」 上様もしっかり休まれたのだろうかと聞いてみた。
「私もさっき目が覚めたところだよ」 私の頬を撫でながらおっしゃった。そうしていると、優がぐずる声が聞こえてきた。
「姫が呼んでいるようだな」 上様はクスっと笑われた。私も一緒になって笑ってから起きあがり、襖を開けた。
すると、菊之助様がいらっしゃった。菊之助様はぐずっている優を一生懸命あやしてくれていた。
「菊之助様、先ほどは失礼いたしました。お見苦しいところを・・・」 私はその場で頭を下げた。おぎんさんが立ち上がられ、私に羽織をかけてくれた。寝巻のままだった私は急いで身なりを整えた。
「お里殿、私の方こそ先に上様と話し合われてからお返事を聞けばよろしかったものを・・・先ほどのことは上様の意向として御台所様にお話してまいりました」 菊之助様はそう言われて申し訳なさそうにされた。
「えっ? もうですか?」 菊之助様は私が部屋に籠もったときに、お部屋をさがられたはずだったのでそう聞いた。
「私がお二人が寝ておられる間にお伝えさせて頂きました」 おぎんさんが横から言われた。
(やはり、おぎんさんはすごいわ。優の面倒もみてくださり、私のことも気遣ってくれて、その上菊之助様に報告をされるなんて・・・分身の術でも使えるのかしら・・・)
「御台所様は気を使わず、お二人が好きにすればよいとおっしゃっていました。もともと、乳母を付けなくてはならない決まりはないと・・・みなさん、ご自分の体を気遣われてそうされているらしいということでした」 そうおっしゃると菊之助様は微笑まれた。
「菊之助、ご苦労だったな」 上様も羽織をおぎんさんからかけてもらわれて席に着かれた。
「はっ。 ですが上様、明日からは通常通りにお仕事に戻っていただきたいと・・・もちろん、今まで通りお時間の合間にはこちらへ来られるように手配をいたしますが」 菊之助様は上様の方を窺いながらおっしゃった。
「ああ わかっている。明日からは仕事に戻る」 上様は別に気分を害されることなくお返事をされた。
「あの・・・上様? これからしばらくは夜中に何度も優が起きることでございましょう」 私は話し始めた。
「ああ そうだろうな」 上様はそれはわかっているというお顔をされた。
「私は昼の間は優と一緒に休むことも出来ますが・・・上様はお昼はお仕事がおありになりますので、表のご寝所でお休みになられた方がいいのではないでしょうか?」 男の方が夜に何度も子供の泣き声で起きられてはお昼はつらいだろうと思った。
「それはそうかもしれませんね・・・私も、おりんが休みの前日以外は寝所を別にしてくれております」 菊之助様もおっしゃった。上様は黙って考えられるようにされていた。
「菊之助? 私がお里が横にいないのにゆっくりと休めると思うのか?」 まじめなお顔をされて尋ねられた。
「はあ・・・それは・・・」 菊之助様は返事に困られていた。
「だろ? やっぱり私はこの部屋で夜も休む」 上様ははっきりとおっしゃった。
「上様・・・でも・・・それではお体に障られます」 私がそう言うと上様は首を横に振られた。
「お里が心配する気持ちもわかるが、私は一緒に優の成長を見守るのだよ。さっきお里が言ったように、そんなことは苦にならない。もし、本当に疲れたときには表で休むようにする・・・それではだめか?」
「わかりました。ありがとうございます」 私はそう言って頭を下げた。
「今後も色々と話し合わなければならなことが出てくるだろう・・・お里はその度に正直に自分の気持ちを話せばいい。ここにいるものは、みな、お里の為に動いてくれるのだよ」 上様が優しくそうおっしゃった。私は上様に頷いてから、菊之助様、おぎんさんを見ると、お二人とも微笑みながら頷いてくださった。
「上様、女は赤子を産んだ後は気持ちが不安定になるものです。特にお気を付けてくださいね」 おぎんさんがフフフと笑いながらおっしゃった。
「ああ よくわかった。気を付けることにしよう」 上様も笑いながらおっしゃった。私は改めて恥ずかしくなって、優を見つめることに集中することにした。
上様に気持ちをぶつけたり、優しくしていただきホッとしたり気持ち的に忙しい1日だったような気がした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。