初めての抱っこ
しばらくして、産湯に入って綺麗になった赤子がおぎんさんの手に抱かれて連れてこられた。
「上様、本当に可愛らしいお顔ですこと」 そう言っておぎんさんが私と上様の間に赤子をおいてくださった。気持ち良さそうに目を閉じて、眠っているようだった。上様は、最初は恐る恐るといったかんじで・・・それから次第に笑顔になられ「お里に似ておる」 と言って、私と赤子を交互に見られた。
「本当でございますか?」 私は嬉しくなって聞いた。上様は、微笑んで頷いてくださった。
色々と処置と片付けが終わり、改めて布団も敷き直されたところに私は横になった。その横には小さな布団に寝かされた赤子も一緒だった。上様は、私が産気付いてから一度も食事を取っておられなかったのと、相当汗をかかれたようでお着替えもされに一度ご自分のお部屋の方へ戻られた。おぎんさんに、そうするように何度言われても私の傍を離れないとおっしゃっていたのを見かねて私がお願いをした。
「上様、私も着替えがしたいので、その間に上様もお食事とお着替えを・・・私の準備が済めばお声をかけさせて頂きます」 私がそう言うと上様は渋々お部屋を出て行かれた。一旦部屋を出て行かれると、私が子を無事に産んだことを御台所様やお清様にもお伝えせねばならないので、上様はその段取りもされていたようだった。
「お里、粥のようなものなら口に出来るかい?」 お常さんが聞いてくれたので、私が食べれると言うとお膳の準備をしてくれた。私は食欲はあまりなかったけれど、少しずつそれを口に運んだ。
「お里、改めておめでとう。少し時期が早かったようだから心配したけど、無事に元気な子が産まれて良かったね」 お常さんは私の食事の世話をしてくれながら、そう言われた。
(こういうときのお常さんは涙を見せないように、用事をしながらお話をされるのだわ)
「はい ありがとうございます」 私はそれだけ言った。お常さんは、一瞬私の方を見られてから頷いてくれた。
しばらくすると、赤子が目を覚ましたのか泣き出したので私は初めてのお乳を飲ませることにした。私のお乳の出は良いようで、赤子は満足するとまた眠った。そうやっていると、本当に上様と私の子が誕生したという嬉しさが込み上げてきた。
上様は、連絡が全て済まれると私に声をかけられてからお部屋に入ってこられた。赤子の寝顔をとても嬉しそうに見られると、私の横に座られた。
「お里様、今日は私があちらのお部屋で赤子を預からせて頂いてよろしいですか? といっても、もう夜も更けておりますので少しの時間ですが・・・今日は少しでもゆっくりとお休みください。上様のお布団もお隣に敷かせて頂きますので・・・」 おぎんさんがそう言われた。
「おぎんさん、ありがとうございます」 と言ってから私は上様の方を見た。
「また明日から大変であろう。今日はおぎんに甘えておけばいい」 上様がそうおっしゃった。「はい」 と返事をしてからおぎんさんに頷いて返事をした。おぎんさんは、赤子を起こさないようにそっと抱き上げられてからお部屋を移動された後、上様の寝間の準備をするために戻ってこられた。いつものように、素早く準備を終えられ挨拶をして隣のお部屋へと下がられた。
「お里、体の方は大事ないか?」 上様が私の横に寝ころばれておっしゃった。
「はい 疲れてはおりますが、それよりも無事に産めたことが嬉しくて・・・興奮しているのでしょうか・・・」 私は、まだまだ眠れないような気がしてそう言った。
「そうか・・・でも休めるなら休んでおきなさい」 上様は私の頬をなでられたので、私はその手に自分の手を重ねた。
(ん?)
「上様?これは・・・申し訳ありません」 私は上様の手を確認しながらそう言った。上様の手の甲には私の握っていたときの爪痕がクッキリと残っていて、少し出血しているようだった。
「ああ これな・・・こんなのお里の辛さに比べたら何でもない。お里が頑張ってくれた印だからな。この印が消えなければいいのにと思うよ」 上様はご自分の手を眺められながらおっしゃった。
「上様・・・」 私はもう一度上様の手を取り、その傷を確かめるようにさすった。
「お里、本当にありがとう。私にこんなに幸せな気持ちを味あわせてくれて」 上様はそう言うと私を抱き寄せてくださった。私を気遣われてとても優しく・・・
「お里をこんな風に抱き寄せるのはしばらくぶりだな」 上様は耳元でそう囁かれた。
(お腹が大きくなってきてからは、抱き寄せられることにも気を使ってくださっていたものね)
「はい・・・」 私はそう言うと、久しぶりの上様の温かさに体も心もほぐれていくのを感じた。そして、あれだけ眠れないと思っていたのに自然と眠気がおそってきた。
一瞬で熟睡してしまった私は赤子が愚図る声で目覚めた。隣で寝ておられる上様はよほどお疲れだったのか私が動いても起きられなかった。静かに布団から抜け出し隣の襖を開けた。
「お里様、申し訳ございません。もう少し寝てくれるかと思ったのですが・・・」 おぎんさんが声を潜めて申し訳なさそうに言われた。
「いえ、ありがとうございます。グッスリ眠ったので大丈夫です」 私は廊下を見て、夜が明け始めた様子を確認した。そして、赤子をおぎんさんから預かった。
「お乳が足りなかったのかもしれませんね」 私はそう言いながらお乳を飲ませる準備をした。おぎんさんは私の肩に羽織をかけてくれ、お乳をあげるとき用に縫った手ぬぐいを前からかけてくれた。
(以前、おりんさんにしてあげた時にすごく喜んでもらえたので、お揃いで私のも一緒に縫ったのです。後ろで結べるようにしたので、少々動いても大丈夫なように・・・)
赤子はやはりお腹が空いていたのか、勢いよく音を立ててお乳を飲み始めた。
「お里様は初めての出産だと思えないくらいに落ち着いておられて驚きました」 私の様子を見ながらおぎんさんが言われた。
(初めてじゃないんです・・・)
「そうですか? 上様がお傍にいてくださり私を落ち着かせてくださったからだと思います」 私はこれは本当だったのでそう言った。
「そうですね。まさか、上様が出産に立ち会われるなんて・・・そこまでされるとは思いませんでした」 おぎんさんはその時のことを思い出されて、フフッと笑われた。
「はい 私も驚きました。でも、とても幸せを感じてこの子を産むことができました」
「本当に・・・私も見ていてとても幸せでございました」 おぎんさんはそう言われると、優しく微笑んでくれた。すると、私の部屋の方の襖が開いた。
「お里?」 上様が私を呼ばれた。
「上様、まだ寝ていらしてください。そんなに、眠られておられません。お疲れが出てしまいますよ」 私は上様に言った。
「ああ・・・どうした? 乳を飲ませているのか?」 上様は私の横へ座られた。
「はい、お腹が空いて起きてしまったようですので」 私は今は布の下で隠れている赤子を見せるようにして言った。
「そうか・・・お腹が空くのは元気な証拠だな。安心したよ」 そう言って優しく笑われた。
「上様、もう一度お布団に入られませんか?」 私はもう一度寝て頂くように上様に言った。
「でも、目が覚めてしまったから・・・起きておくよ。おぎん、お茶を淹れてくれるか?」
「はい、かしこまりました」 おぎんさんは早速動かれた。
お乳を飲み終えた赤子は満足そうな顔をしていた。私は上様に赤子の顔が見えるようにして抱っこし直した。上様はそっと覗き込まれるようにして、赤子の手を触られた。赤子は上様の指を小さな手でギュッと握ったようだった。上様は驚かれたようにして私の顔を見られた。
「わかるのね。この手は私とあなたを守ってくださるおててなのですよ」 私は赤子に向かってそう言ってから上様の方を見て微笑んだ。上様も嬉しそうに微笑まれた。
私は上様から一度離れて向かい合うように座り直した。そして、上様の腕にそっと赤子を乗せようとした。上様は一瞬私の顔を見られてから、少し体勢を直された。そして、赤子が乗りやすいように腕を前へと出された。準備が出来たところへ、私はそっと赤子を乗せた。すっぽりと上様の腕の中に納まった赤子はとても落ち着いていた。
「上様の温もりが気持ちいいのかもしれませんね」 私はおぎんさんが持ってきてくれた上様の羽織を掛けながら言った。
「こんなに軽いのだな・・・」 上様は赤子をマジマジと見ながらおっしゃった。
「そうですね・・・無事に産まれてきてくれて本当に良かったです」 私は赤子の顔を覗きこみながら言った。
「ああ 私とお里の宝物だな。大切に育てような」 上様は赤子を見たままおっしゃった。
「はい」
「あらあら本当に気持ち良さそうでございますね」 お茶を持って来られたおぎんさんが赤子を覗きこんで言われた。
「上様の腕の中はきっと気持ちがいいのですよ」 と私が言うと「お里様もそうなのですね?」 とおぎんさんがからかうように言われた。私は、顔を赤くして上様を見ると上様はニヤッと笑われてから「もちろんお里もそうに決まっている」 とおっしゃった。おぎんさんが笑われると続いて上様も笑われた。
笑い声の中、気持ち良さそうに眠る赤子を上様はもう一度見つめられていた。
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