無事
その日の夜は、いつ連絡が来てもいいようにと灯りをつけたまま寝ることにした。布団に入ってからも、私はおりんさんのことが心配でなかなか寝付けなかった。
「お里? 寝ないと体に障るぞ」 私が寝付けないことに気付かれた上様が声をかけられた。
「はい・・・わかっているのですが・・・心配で」 私はそう言った。すると、上様は私に近付いてくださり、優しく抱きしめて背中をさすってくださった。
「気持ちはわかる・・・私もおりんが心配だ。だが、寝付けないお里の方がもっと心配になってしまう。ゆっくりと目を閉じておきなさい」 お顔は見えないけれど、私のことを心配してくださるお気持ちが言葉から伝わってきた。
「はい・・・」 私は上様がおっしゃるように、上様の温もりを感じながら目を閉じることにした。
(やっぱり寝れないけれど、上様にこうして頂いているだけで癒されて体は休まっているようだわ)
しばらくすると、上様の寝息がリズムを刻み私も少しまどろんできた・・・そのとき、廊下から囁くようなおぎんさんの声がした。
「上様、おやすみのところ申し訳ございません。おぎんでございます」 その声を聞いて私が飛び起きようとしたところ、上様に肩を押さえられてしまった。
「いつも言っているだろう、急に起きてはいけないと・・・」 私にそう言われてから、「ああ はいれ」 と襖の向こうに声をかけられた。
「失礼いたします」 とおぎんさんは素早くお部屋に入られた。私はそのときにようやく上様に支えられ座ったところだった。
「どうだ?」 上様は早速尋ねられた。私も息を呑んで、おぎんさんを見つめた。
「はい 元気な男児が産まれました。それはそれは、夜の闇を一変に明るくするような立派な産声をあげました」 上様は笑顔になられ、私を見られた。私も上様のお顔を見て一緒に笑顔になった。
「それで、おりんさんは?」 私は同時におりんさんの様子も聞きたかった。
「はい、おりんも元気でございます。あれだけ、痛い痛いとわめいておりましたのに・・・ケロッとしているくらいでございます」 おぎんさんは笑いながら言われた。
「そうですか・・・良かった」 私は胸を撫でおろした。
「おぎんもご苦労であったな。すぐにまた戻るのか?」 上様はおぎんさんを労われた。
「いえ、菊之助様のお母上様が来られておりますので、私は一度自分の家に戻らせて頂きます。親子水入らずの方がいいかと」
「そうか・・・わかった。明日の朝は、私たちだけで食事をしてもかまわないから今日はゆっくり休むがいい」
「いえ、それは私の仕事でございます。明日の時間にはまた来させて頂きます」 おぎんさんはそう言って頭を下げられた。
「わかった。頼む」 上様も強制はされなかった。
「取り急ぎ報告まで。おやすみのところ申し訳ありませんでした。失礼いたします」 おりんさんはそう言って頭を下げられた。
「ああ ありがとう」 上様がそうおっしゃった後に続いて「ありがとうございました」 と私も頭を下げた。おりんさんは、私に笑顔で頷いてからお部屋を出て行かれた。
「上様、元気な男児だったのですね。無事に産まれて何よりです」 私はもう一度笑顔になって上様を見た。
「ああ よかったな」 上様は私が興奮する様子を眺められながらおっしゃった。
「早く会ってみたいです」 私はどちらに似ているのかしらと想像しながら興奮が止まらなかった。
「お里、そんなに興奮してはよくないのではないか」 あまりにテンションのあがった私を上様が心配された。
「そうでございますね」 私は自分が少し恥ずかしくなった。
「さあ これでお里も安心出来たであろう? ゆっくり休むとするか」 そうおっしゃると、上様は立ち上がって灯りを消しに行ってくださった。
「ありがとうございます」 私はお礼を言ったあと、上様が布団に入られたのを確認して 「上様? 先ほどのように、背中をさすってくださいませんか?」 と言った。
「ん? お里がそんなことを言うなんて珍しいな・・・もちろん、かまわないよ」 上様はそうおっしゃると先ほどのように、優しく抱きしめてくださった。
「はあ・・・ 温かいです。まだ夏なのに・・・上様に包んで頂くのはとても心地がいいです。わがままを言って申し訳ございません。腕が痺れませんか?」
「こんなわがままなら大歓迎だよ。腕など痺れぬ」 上様は少し声を弾ませておっしゃった。
「いつおりんさんと赤子に会うことができますでしょうか」 私は上様に尋ねてみた。
「早く会いたいか?」
「もちろんでございます。でも、私のわがままで皆さんに迷惑をかけることは出来ませんので」
「そうか・・・籠で行くには揺れが今のお里にはきついであろうし・・・隠し通路は危険かなあ・・・」 また上様は独り言を言いながら考え始められた。
「上様? 今考えて頂かなくても大丈夫でございますよ」 私はフフフと笑いながら言った。
「ああ でも、お里の願いは叶えてやりたいからな。何とかするから待っていればいい」 そう言って少し抱きしめる手に力を入れられた。
「はい ありがとうございます」 私も上様の胸に顔を埋めた。
「さっ、本当にもう眠らないと体に障る」 上様はそうおっしゃると、また背中をさすり始めてくださった。
「はい わかりました」 私もそう返事をして、ゆっくりと目を閉じた。今度は上様の寝息がリズムを刻む前に私の方が眠ってしまったようだった。
次の日、目が覚めると隣に上様はいらっしゃらなかった。
(寝坊してしまったかしら?)
私はゆっくりと起き上がってから、隣の部屋に続く襖を開けた。
「おお お里 起きたか? まだ寝ていても良かったのだぞ?」 上様はもうお着替えを済まされて、席に着かれていた。その横で、おぎんさんが朝食のお世話をされていた。
「寝坊をしてしまったようで、申し訳ございません。おぎんさん、おはようございます」 私は上様に謝った後、おぎんさんに挨拶をした。
「気にすることはない。私は食事を終えたら総触れに向かうから、お里はゆっくりと食事をしなさい」 上様は優しく言ってくださった。
「お里様、おはようございます。しっかりと眠られましたか?」 おぎんさんが心配そうに聞いてくれた。
「はい、ありがとうございます。あれからぐっすりと眠りました」 私が言うと、上様もおぎんさんも笑顔で頷いてくださった。上様は食事を終わられたようで、お出かけになる支度を始められた。
「じゃあ お里、行ってくるからな。今日は少し一緒に出掛けるからゆっくりと準備をしておくようにな」 上様が出掛ける前に私の目の前に座られておっしゃった。
「お出かけでございますか?」 私は聞いていなかったので驚いて聞き返した。
(御台所様のところへ行くのかしら?)
「詳しくはおぎんに聞くがよい。とりあえず、私は行くよ」 上様は私の頬をひと撫でしてからお部屋を出て行かれた。
「いってらっしゃいませ」 私は頭を下げてお見送りをした。
「お里様、お食事・・・食べられますか?」 二人きりになるとおぎんさんが聞いてくれた。
「はい、お願いいたします」 私はそう言って、寝間着のまま席に着いた。おぎんさんは食事の準備をしながら話された。
「今日は、おりんに会いにいくとのことでございます。上様が朝、私に段取りをするようにおっしゃっておりました」
「本当でございますか? こんなに早くおりんさんに会いにいけるなんて」 私は驚きと嬉しさで心が躍った。
「上様が、お里が会いたそうだから何とかしてやりたいと・・・」 おぎんさんは笑顔で言われた。
「いつも私の願いを聞いてくださって・・・」 上様に感謝しながら言った。
「上様はいつもお里様の笑顔を見ていたいのでございましょう。お里様も気を遣わず、感謝をされて喜んでおられればいいのですよ」
「はい そうさせて頂きます」 私は素直に甘えておくことにした。
「さっ 食事を済ませたらお着替えをしておきましょう」 おぎんさんがそう言ってくれたので、私もしっかりと食事をとることにした。おりんさんに会えるのは久しぶりだったのでそれも嬉しかったけれど、おりんさんが産まれた赤ちゃんを見ることが楽しみだった。私がニヤニヤとしながら食事をする様子を見ながらおぎんさんもニッコリと笑われたので、どんな顔をしていたのだろうと少し恥ずかしくなった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
新しい年を迎えて、みなさんにとって良い1年となることをお祈りいたしております。
今年もどうぞよろしくお願い致します。




