甘やかし
ふと風が気持ちよく目が覚めると、上様は扇子で私をあおいでくださっていた。私は自分が寝ていたことを頭の中で整理した。
「上様、申し訳ございません」 私は急いで起き上がろうとすると、上様が肩を押さえられた。
「急に起きてはいけない。気持ちよく眠れたか?」 上様は優しくおっしゃった。
「はい、いつの間にか寝てしまっていたようで・・・」
「そうか、なら良かった。私がお里に気持ちを伝えている途中で寝てしまったようだからな」
「も・・申し訳ございません」 私は上様のお気持ちを聞き逃した残念な気持ちと、申し訳ない気持ちとで落ち込んでしまった。
「ははは・・・かまわないよ。私の膝の上で安心しているお里をみていて幸せだったからな。それに、お里への気持ちならいつでもまた言ってやる。だから、そう落ち込むな」 上様は私を扇子であおいだままおっしゃった。
「ありがとうございます。上様、足がお疲れになられたでございましょう? もう、私は起きます。それに、背中の方は大丈夫でございますか?」
「なに、そんな心配はいらぬ。お里一人くらい大丈夫だ。それより、暑くなってきたが大丈夫か?」
「はい、上様があおいでくださっていたので、とても風が気持ちよく感じられました」 私はそう言いながらゆっくりと起き上がって上様の隣に座った。上様は手を添えてくださった。
「お里、少し休んだら腹が減ったであろう? 果物でも食べないか?」 そう言って上様は立ち上がられると、おぎんさんが用意しておいてくれた果物を持ってきてくださった。
「はい、ありがとうございます。 でも上様、そんなに私を甘やかされてはどんどんと太ってしまいます」 私は何から何まで動いてくださる上様に感謝しながらも、少し甘やかせすぎなのではと思っていた。
「安静にしている間は特別だ。お里のために動くことが楽しいのだから、やらせておいてくれ」 上様は本当に嬉しそうにおっしゃった。
「わかりました。ありがとうございます」 私は素直にお礼を言った。上様は頷いて、果物を一つ楊枝でさして、私の口の前に持ってこられた。
「上様、それはいくらなんでも恥ずかしいです。自分で食べられますので・・・」 私は上様の差し出された楊枝を手に取って自分で食べた。
「そうか・・・残念だな」 上様はそうおっしゃってから、ご自分も食べられた。その日は二人で、お腹の子供のこと、おりんさんのことなど話しては二人で横になったりと本当に休養を取らせていただいた。隣に上様がいらっしゃることに安心して過ごせた一日だった。夕方になると、菊之助様がおりんさんと一緒にお部屋に来られた。
「上様、お変わりございませんか?」 菊之助様が尋ねられた。おぎんさんは、その間夕食の準備をしてくれていた。
「ああ ゆっくり休養させてもらった」
「そうでございますか。特に表の方も変わったことはございませんでした」
「そうか わかった」
「それでは私は今日は表の用事も全て済まさせて頂きましたので、失礼してもよろしいでしょうか?」
「ん? それはかまわないが・・・えらく早いな」 上様は何かあったのかというお顔をされた。
「今日はおりんが昼から少しお腹がはっている感じがすると言っていたので、そのことを菊之助様にお伝えした途端、ソワソワとされているのでございますよ。まだ、産まれるわけではございませんのに・・・」 そう言っておぎんさんがクスクスと笑われた。
「それは大変だ。菊之助すぐに帰ってやれ」 上様は真剣なお顔でおっしゃった。菊之助様は一礼をすると、すぐにお部屋を出て行かれた。おぎんさんはその様子を呆れたお顔で見ておられた。
「お腹が張ることなど、よくあることでございますよ。その度にソワソワされては、産まれるまで体が持たないのでは・・・」 そう言って大きくため息をつかれた。
「まあ おぎんさん、放っておかれるよりもその方がいいではないですか」 私はおぎんさんをなだめるように言った。
「でも、お里様、まだ菊之助様にはお仕事がございますけれど・・・上様の場合、ご自分でお仕事を後回しにしてでもお部屋に戻られますよ」 おぎんさんは上様のお顔をチラッとみて言われた。
「それは、少し困るかもしれませんね。お仕事はしっかりとしてもらわなくては」 私もそう言いながら上様を見た。
「わかっておる。仕事はしっかりとした上でお里の心配もするのなら文句ないだろ」 上様は早口で私たちから目を逸らしながらおっしゃった。私たちは二人でクスクスと笑った。
「おぎん、食事の支度はできたのか?」 上様は話題を変えられた。
「はい、出来ております」 おぎんさんが言われると、「さあ、お里、食事にするぞ」 とサッサとお席に着かれた。私はその後について、席に向かった。食事を終えると、おぎんさんが上様に聞かれた。
「本日はこのままおやすみになられるよう、用意をさせて頂いてもよろしいですか?」
「ああ お里は汗もかいているであろうから、体を拭いて着替えをさせてやってくれ。私はここで着替えを済ませる」
「承知しました」 おぎんさんはそう言われると、私を立ち上がらせられて隣のお部屋へ連れていってくれた。私が着物を脱いでいる間に、上様のお着替えと体を拭く用意をしに行かれた。
「おぎんさん、ありがとうございます」 私はおぎんさんが戻って来られて、体を拭いてくださっているときにお礼を言った。
「お里様、いちいちお礼を言われては私も返事に困ります。これから、私はお里様の横でずっとお世話をさせて頂くのですから」
「はい、でも・・・」
「お里様が私に感謝をしてくださっているのは充分に伝わっております。今は、上様のお子を無事に産むことを考えて過ごしてください。少しわがままを言ってもいいくらいですよ」 新しい着物を着せてくれながらそう言われた。
「わがまま・・・でございますか?」 私は上様には充分好きにさせて頂き、やりたいこともさせて頂いているので特に今更思うこともなかった。
「ええ 上様はお里様が甘えてくださると喜ばれると思いますよ」 おぎんさんはそう言って微笑まれた。
「・・・考えてみます」 私はまた何かのときには頭に入れておこうと思った。着替えが終わり、襖を開けると上様も着替えを終えられていた。
「上様、それでは私はまた明日の朝にお伺いさせて頂きます。明日も一日こちらでお過ごしでございますか?」 おぎんさんが確認をされた。
「ああ 朝はこっちでゆっくりするが、昼からは少し御台所の所に行こうと思っている。その間、お里のことを頼めるか?」
「かしこまりました。それでは・・・」 そう言われるとおぎんさんは私に微笑んでからお部屋を出て行かれた。
「上様、明日は御台所様の所へ?」 私は上様に確認した。
「ああ 早い方がいいであろう」
「そうでございますね」
(明日、上様はどのように御台所様に報告されるのだろう? そして、御台所様はどう思われるのだろう・・・私はこのお腹の子をどのように育てていくことになるのかしら? でも、上様と御台所様に今後のことはお任せすると言ったのだから・・・)
「お里?」
「はい」 私は、不安で色んなことを考えていた。この大奥で御台所様のお考えに背くことは許されないことはわかっていた。
「何も心配することはない」 上様はそう言って、私の手を握ってくださった。
(いつもならどうしたい? と聞いてくださるのに・・・今回は、上様の中で何か決めておられるようだわ)
「御台所様によろしくお伝えください」 私はそれだけ上様に言った・・・
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。




