衝動
着替えを済ませた私は、何も考えずいつもおぎんさんとお仲様のところへ向かう時のように門へ向かった。そこで、門番の方へ挨拶をした。何度か通っているため、門番の方とも顔馴染みになっていた。
「ご苦労様でございます」 そう言って通ろうとすると「お待ちください」と呼び止められた。
「今日は奥からお出かけになられるかたは聞いておりませんが・・・」と言いにくそうに言われた。
「えっ? そうなのでございますか? おかしいですね」 と私はとぼけてみた。
「申し訳ございませんが、聞いていない以上お通しするわけには・・・」
「わかりました。確認してまいります」 これ以上門番の方にご迷惑をおかけするわけにはいかなかったので、私は諦めて部屋に戻った。でも、私の気持ちはまだおさまらなかった。どうしても、確認だけしたい衝動でいっぱいになっていた。私は、少し考えて隠し通路を使うことにした。
(もしおりんさんがいらっしゃったら、正直に話をしよう・・・)
そう覚悟を決めて、小屋へ向かった。お屋敷を建て替えられてからの隠し通路は初めて通った。蝋燭を自分で持ち、暗い中を進んだ。怖さなどなかった・・・
お屋敷の方へ着くと、隠し通路は小さな戸棚に隠されていた。私は、その戸棚を中からそっと開けた。家の中はシンと静まり返っていた。
「おりんさん」 私は一度声を出しておりんさんを呼んでみたけれど、返事がなかった。そのまま玄関の方へ向かって外へ出ようとしたが、外から錠をかけてあるようだった。私は諦めて、奥の庭の方へ廻りそこから屋敷の外側を一周して、表に出ることが出来た。お屋敷を振り返ると、以前菊之助様とおりんさんの祝言に来たときのことを思い出した。首を2度ほど振り、前を向いて歩き出すことにした。しばらくすると、何度もおぎんさんと通った道にでた。菊之助様とお会いした道も覚えているので、そちらの方に向かって歩き出した。通りを、上様がおられないかゆっくり見ながら歩いた。
(もし、上様をお見かけして噂通りだったとしたら、私は黙って城に戻り知らなかったことにして今まで通りお役目だと割り切り上様のお傍にいよう・・・)
私は何度もそう決心しながら通りを往復していた。そのとき・・・
「そこの娘」 と声をかけられた。一瞬、上様かと思った・・・それほど、似ていたからだった。
「はい?」 私は道でも聞かれるのかと思った。でも、その人は笑顔で笑いかけてくるだけだった。
(お顔は似ているけれど、笑った顔が全然違うわ。上様の方が品が良く、もっと優しく笑われる。こんな嫌らしい笑い方をされない・・・)
「何か?」 私は問いかけた。
「ん? 私の噂を聞いていないのか? お前はここのものではないのか?」 何で知らないのだという言い方をされた。声は全く似ていなかった。
「はい・・・」 私は適当に返事をした。
「そうか・・・私は徳川 家斉だ・・・実は側室を探しておってなあ。そこで、お前に声をかけた。私が気に入ったなら側室にしてやる。どうだ? そこの宿に一緒に入らないか?」 その人は、断られるなどあり得ないというかんじで言われた。
「あなたが上様? そんなわけございません。上様はもっと品があるお方でございます」 私は少し腹が立って、きつい言い方をした。
「なに? お前みたいなものが将軍を知っているというのか? ならば、品があるかどうか調べてみるがよい、一緒に来い」 そう言って手を取って引っ張ろうとされた。
「やめてください。あなたにはついて行きません」 私は必死で手を振りほどこうとした。
「なに? 世に歯向かうというのか!」 その人もいっそう力を入れて、手を掴み返してきた。
そこに、「誰が世だって? お前が本当に上様であるかどうか調べさせてもらおう」 何人かのお役人さんが囲まれた。
「連れて行け!」 そう言われたのは、村でお会いしたことのあるお奉行様だった。お奉行様は私の顔を覚えておられないようだったのでホッとした。そこへ後ろから
「娘さん大丈夫ですか?」 と話された声は間違いなく菊之助様だった。私は観念して振り返った・・・
「お里殿!」 菊之助様は驚かれたというか、目を丸くされたというかそれ以上言葉を発せられなかった。とりあえず、城に戻りましょうとのことで歩き始めた。
「私は細かいことは聞きません。上様にお話しください。このことは・・・どうしても私の口から報告せねばなりません」 菊之助様は申し訳なさそうにおっしゃった。
「いえ、かまいません。覚悟しておりますので・・・」 私はそれだけ言った。その後は、どちらも言葉を交わさなかった。そのままお城へ・・・お部屋へとただ歩いていった。
部屋に戻ってどれほど時間が経っただろう・・・私はとにかく、上様に謝ろうとしか考えてなかった。何も言い訳をするつもりはなかった。
廊下の向こうから明らかに聞いたことのないくらい大きな足音が聞こえてきた。一歩一歩大きく踏み込まれていて、その音が私の心臓に響いた。
襖が大きな音を立てて開けられた。私はそちらの方を向いて頭を下げていた。
「お里!! お前は・・・一体何を考えているのだ!!」 今までに聞いたことがないほどの怒鳴り声だった。
「申し訳ございません」 私は絶対に泣かないと決めていた。ここで泣くのは卑怯であると思っていたからだった。
「私に嘘をついて・・・裏切るつもりだったのか!!」 まだまだ声は大きくなりそうだった。裏切るなんてとんでもないけれど、嘘をついていたのは事実だった。
「申し訳ございません」 頭はずっと下げたままただただ謝るしかなかった。だから、上様の表情は見えなかった。でも、怒りは想像できた。
「上様、お里殿のお話も聞かれてはいかがですか?」 菊之助様がとりなしてくださった。
「うるさい! お前には関係ない黙っておれ!」 菊之助様は「失礼いたしました」 と一歩下がられた。菊之助様にも迷惑をかけてしまった。
「申し訳ございません」 私はもう一度謝った・・・こんな言葉で許されるはずはない・・・私は嘘を付いて勝手に城を出て行き、上様に迷惑をかけてしまった。
「謝れば許されると思っておるのか?」
「いえ・・・そんなことは思っておりません」
「今までの私に対しての気持ちは全て嘘であったのか?」
「いえ・・・」
「なら、一体なんなんだ! もうよい! 私はお前がわからぬ! 出て行くがよい!」 上様はそう言い放たれた。
そう言われるだろうと覚悟はしていた。でも、上様に対しての気持ちに嘘をついたことはなかった・・・
上様が部屋を出て行こうとされたとき、最後にもう一目でいいからお顔を見ておきたかった。私は立ち上がって叫んだ・・・「うえさ・・・」
そこで、周りが真っ暗になり意識がなくなっていった・・・
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