不安
市は大成功に終わり、千太郎さんのお店を知ってくださったお客さんからその後も屋台を見つけて買いに来てくださるようになったと、お仲様からお手紙を頂いた。私にはまだ読めない字もあったので上様が読んでくださった。
「良かったな」 上様が微笑んでくださったので私も「はい、本当に」 と言った。
「お里、ちょっと休むか?」 上様がそう言ってくださった。
「はい・・・それでは、少し休ませて頂きます」 私は布団の方へ行って横になった。
市が終わってから、ドッと疲れが出てしまったようで最近は昼間に少し休ませてもらっていた。食欲もあったりなかったりしていたので、上様が匙をよぼうと言ってくださったけれど「疲れが溜まっているだけですので、少し休めば大丈夫です」 と言ってお断りをした。やはり、昼間に少し休めば夜はだいぶ楽になるのだった。上様は心配されて、おぎんを早くに呼び戻そうかとおっしゃった。
「おぎんさんも村の片付けもありますし、そんなに急いで戻られなくても大丈夫でございます」と言った。長く居られた村なので、色々整理したいこともあるだろうと思ったので予定通りあと2、3週間でこちらへ戻られるのだから急かすようなことはしたくなかった。だから昼間の空いた時間を見つけては、上様が様子を見に来てくださった。別にこれといって頭が痛いわけでもなく熱があるわけでもなかったので、普通にしていれば問題なかった。ただ、体がだるくなった時だけ休ませてもらっていた。
その日も、昼間に少し横になり目を覚ますと喉が渇いた。お水を飲もうと、水差しを手に取ると空に近かった。いつもならお昼過ぎにお常さんが替えを持って来てくれるのだけど、今日は昼から用事があると言われていた。おりんさんも間もなく臨月に入られるので、こちらへは来られない・・・どうしようかと迷ったけれど、今なら御膳所は皆さん休憩をされている頃だろうから行ってみようと思った。お常さんももう戻られているかもしれない・・・私は、着替えをして御膳所へ向かった。御膳所の扉を開けてそっと中を窺うと、先輩と目があった。
「あっ お里・・・いえ、お里様?」 先輩は咄嗟に言い直された。
「ご無沙汰しております。お里でかまいません」 私は先輩に頭を下げた。
「そうよね。今更様で呼ばれても困るものね」 と気さくな先輩は言われた。私もはいと笑顔で言った。
先輩は私に近付いてこられ、小声で話始められた。
「あのねお里、ちょうど良かったわ。聞きたいことがあったのよ」 と周りを確認されてから言われた。
「何でございましょう?」 私も小声で尋ねた。
「最近では、上様は新しく側室を迎えられていないそうじゃない? お里も、あれきり声がかからないでしょう?」
「ええ・・・」 私はとりあえず話を合わせることにした。
「この間、宿下がりで昔馴染みに会ったんだけど・・・最近の上様は町で側室を探されているという噂なのよ」
「えっ?」 私は意味がわからなくて、一瞬頭が真っ白になった。
「なんでも、町にいる子に声をかけておられて、気に入ったら側室にしてやると・・・宿へ連れて行かれるとか・・・それはそれは、とても男前で声をかけられたらどんな子だってついて行ってしまうらしいわよ」
「そんな・・・」
「今では声をかけられたくて、娘たちが町を用もないのにウロウロしてるってその昔馴染みが言っていたんだけど・・・お里は何か知らない?」 先輩は話しているうちに自分でも興奮されたのか私の両腕をギュッと掴まれた。
「私は何も聞いたことがありませんが・・・」 私はそう答えるのが精一杯だった。そのとき・・・
「何をしているんだい?」 お常さんの声がした。先輩は、明らかにチッと舌打ちをされた。そして小声で「また何かわかったら教えてね」 と言って持ち場に戻られた。
「あら、お里 どうしたんだい?」 お常さんが私に急いで近付いて来られた。
「体の方は大丈夫なのかい?」 お常さんは私が寝たり起きたりしていることを知っておられた。
「はい、ちょっとお水を頂こうかと・・・」 私は平静を装った。
「ああ お昼に持っていってなかったね。ごめんね。すぐに用意をしてくるからここで待っててね」 そう言ってお常さんは奥へ小走りで行かれた。
お常さんからお水を受け取り、部屋に向かった。その足取りはとても重かった。部屋に入ると、とりあえず喉を潤してから座った。
(町で側室を探されている・・・最近、夜は私と一緒に過ごしてくださることが多く、お勤めが減っているのは知っていた・・・だから、上様の大事なお役目だとはわかっていたけれど、少し嬉しく思っていた。だから町へ? 上様は私が夜のお勤めに行かれることを気にすると思われて・・・昼であれば私が気付かないから、そうされているのかしら? でも、その噂自体嘘かもしれないし・・・私が御中臈になったからといって、上様のお役目が終わるわけではないと以前御台所様に言われたことがある。私もそれは承知している。寝間での秘密もお仲様から聞いた・・・だから私は側室の方のお勤めは納得しているのに・・・町でご自分から声をかけられるなんて・・・少しショックだわ)
私はもう一度布団に入ることにした。少し体を休めれば、楽になるかもしれないと思った。でも、布団の中で最近のことを思い出していた。
(お仲様の家へ行った帰り、菊之助様とお会いしたことがあったわ。あの時お近くに上様がおられたから菊之助様は何か言いにくそうにされていたのかしら? 市のときも、お声を掛けられておられた上様は苦笑いをするだけできつくお断りされている様子もなかった)
考えれば考える程、頭がモヤモヤしてきた。おりんさんやおぎんさんに相談したいけれど今はどちらもおられない・・・いっそのこと上様に聞いてみようかと思った。
私は総触れをしばらく休ませて頂いていた。上様は総触れが終わってからお部屋へ戻って来られた。
「上様、おかえりなさいませ」 私は頭を下げた。
「ああ どうだ?体調は・・・まだ長引くようであれば、匙に一度みてもらおう」 心配されて私の顔を覗き込まれた。
「だいぶ良くなってきましたので、大丈夫でございますよ」
「そうか・・・無理はしないでくれよ」 上様は優しくおっしゃった。私も「はい」と答えた。上様の着替えを済ませて、布団に入ると尋ねてみた。
「上様、最近菊之助様が町へよく行かれているようですが・・・上様も一緒に行かれることもあるのですか?」
「ん? ああ たまにな」 上様はそれだけおっしゃった。私もそれ以上聞くことが出来なかった。私の様子に気付かれたのか上様が尋ねられた。
「どうしてそんなことを聞くのだ? 何か買ってきて欲しいものでもあるのか?」
「いえ、そういうわけではございませんが・・・ 町でどんなことをされているのだろうと・・・」 私は思い切って一歩突っ込んで聞いてみた。
「んー どんなことと言われてもなあ・・・お里が心配するようなことではないよ」 それだけおっしゃった。もうこれ以上は聞けなかった。上様が私と夜を一緒に過ごすために、気を使って昼にお役目を果たしておられるなら・・・私は知らないことにした方がいい。何でも知りたいというのはわがままだと思われるだろうか・・・色々考えた結果、何も言えなかった。
次の日の朝、上様と朝食をとっているときに上様がおっしゃった。
「今日、菊之助が町へ行くようだが、甘いものでも買ってきてもらうか? それか、他のものの方が食べられるか?」
「ありがとうございます。おまかせします」 と言ったあと、「上様もご一緒に?」 と聞いた。
「いや、私は昼から表で人と会う約束があってなあ・・・だから、昼は様子を見に来られないが大丈夫か?」 上様が心配そうに言われた。
「はい、今日は体の方もだいぶ楽でございます。大丈夫でございます」 と笑顔で言った。
「そうか、でもゆっくりしておくのだよ」 と体を乗り出して肩をポンと叩いてくださった。私は笑顔で頷いた。本当に体の方は、今日はだるさもなく、楽になっていた。でも、気持ちはしんどかった。いっそ、自分で本当のことを確かめればモヤモヤせず、真実を受け止められるのにと思った。そういうふうに一度思うと、ドンドンと変なやる気が沸いてきた。上様が表へ行かれた後、私は急いで着替えを始めた・・・
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。




