幸せの報告
お仲様が来られる日の朝、上様は心配そうにされていた。
「今日であったな、お仲が来るのは・・・お里、本当に大丈夫か?」
「はい、おりんさんも廊下にいてくださるそうですし・・・大丈夫でございますよ。お仲様が出て行かれるときには、私たちはもっと早く出会いたかったと言っていたくらいでございます。わざわざ、嫌なことをするためにお城へ来られるとは思えません」
「そうか・・・何の話だったのか後で私にも聞かせてくれ」
「はい、そうさせて頂きます」 私は上様に笑顔を向けた。上様も私の手を取り頷いてくださった。
上様が表のお仕事に向かわれてしばらくするとおりんさんが来てくれた。
「おりんさん、今日の体調はいかがですか?」
「はい、元気でございますよ」 おりんさんは笑顔で答えられた。
「朝から菊之助様は心配されていたのではないですか?」 私はクスッと笑って聞いた。
「この間の、お清様のお言葉が効いたみたいでございます。最近は、あれをするなこれをするなということはおっしゃらなくなりました。ですが、何かあればすぐに言うようにと・・・」
「そうでございますか。菊之助様の変わりようには私も驚いています」
「はい、私もでございます。先日、上様のお気持ちが少しわかるような気がする・・・とおっしゃっていました」 おりんさんは笑いながら言われた。
「まあ、そんなことを・・・おりんさん、幸せそうですね」 私はおりんさんの顔を見て言った。
「これも上様とお里様のおかげでございます。上様を見られていたから、妻を心配することは恥ずかしいことではないと思われたのでしょう。上様ほどになりますと大変でございますが・・・」 そう言って苦笑いをされた。
「それはそうかもしれませんね。でも、お子が生まれたら上様を越えられるかもしれませんよ」 私は苦笑いを返しながら言った。
「それは大変でございます。お清様にもう一度登場頂きましょうか」 と言って笑われたので、私も一緒にその様子を想像しながら笑った。
時間になり、お部屋を出る用意をした。お清様が表近くのお部屋を用意してくださっていた。そこなら、奥のものは近付かないからとのことだった。
「失礼いたします」 そう言って襖を開けると、お仲様が頭を下げられて下座の座布団に腰を下ろされていた。私はとりあえず、部屋に入り襖を閉めて挨拶をした。
「お仲様、お久しぶりでございます」
「お里様、お久しぶりでございます」
「あの・・・どうぞこちらへ」 私は上座の座布団に座って頂くように言った。
「いえ、私は今は城を離れております。お城に仕えておられるお里様がそちらへお座り頂くのが常識でございますよ」 お仲様は笑顔で言われた。
「ですが・・・」 私はどうしようとオロオロしていると、クスッと笑われたお仲様は笑顔でもう一度上座の座布団を指された。
「失礼いたします」 お仲様の笑顔の裏にある意思がお強そうだったので、従わせてもらうことにした。
「お里様、お元気そうで何よりでございます。今日はお時間を取って頂きありがとうございます」 お仲様はもう一度頭を下げられた。
「お仲様、そんなに頭を下げないでください」 私は頼むように言った。
「それでは、お仲様とお呼びになるのもおやめくださいね、お仲でお願いいたします」
「そんな・・・呼び捨てなんて出来ません」
「私も困ります・・・」 お仲様も困られているようで、変な沈黙が流れた。
(こんなことをしていてはいつまでたっても、お話が進まないわ)
「わかりました。それでは、お仲さんと呼ばせて頂きます。それで、ご勘弁くださいませ」
「はい、承知しました」 お仲様も笑顔で答えてくれた。
「それで・・・今日はどうされましたか?」 私は本題に入ろうと話を促した。
「はい・・・その前に私がお城から出てからのことを少しお話させて頂いてもかまいませんか?」
「もちろんでございます。私も聞きたいです」 私はお城を出られてからお仲様がどうされていたのか、時折思い出すことがあったので是非聞きたかった。
「お城を出て実家に戻ってしばらく暮らしていたのですが、始めは今まで座っているだけで食事が用意され、着替えも髪結いもしてもらっていたことが当たり前だったことに慣れ過ぎていたらしく、どのように一日を過ごしていいものかわからなかったのです」
「それは大変でございましたね」
「ええ でも母や姉たちが私に気を使うことなくあれこれと言ってくれたので、すぐに気を取り直してお城に入る前の生活に慣れることができました。そうすると、町への買い物や散歩なんかにも自由に行けることが楽しくて仕方がなくなりました。用もなく散歩に行き、町の賑わいを感じたくてよく出掛けていました」
「町に出ると心が弾みますものね」 私も上様と歌舞伎を観に行ったり、京都の町を散策したときのことを思い出した。
「ある日、町を歩いていると『お仲』と私を呼ぶ声が聞こえたのです。振り返ってみると、昔の知り合いでございました。その方は、私が大奥へ入る前に好いていた方でございました」
「まあ そんな出会いが?」
「はい、久しぶりに出会ったその方は以前よりも男らしくなっておられて、私もどう接していいものか思わず見つめたまま立ちすくんでしまっていました。少し話そうと言ってくれたので、川辺に座って・・・上様の計らいでお暇を頂き、今は実家で暮らしていること・・・その方は私が大奥へ入った後、すぐにご両親を亡くされ今は一人で小間物を売り歩いていること・・・そして、私のことが忘れられず誰とも夫婦になられなかったと・・・」 お仲様はその時のことを思い出されたように、とても柔らかいお顔をされていた。私は、その顔をジッと見つめていた。
「時が戻ったかのように、色んなことを話しました。その後も、時折待ち合わせをして会っておりました。時には、小間物を売りに行くのについていったこともあります」
「素敵でございますね。お仲さま・・さんも嬉しかったでしょう」
「はい、私もお城に入る前の頃のように毎日ドキドキしておりました。ですが、ある日夫婦になりたいと言ってくれたのです・・・私はすぐには返事が出来ませんでした。とても嬉しかったのですが・・・」
「側室であったことを気にされていたのですか?」
「はい、父や母はこの先誰かと夫婦になったとしても、後ろ指をさされる私を見たくはない、ずっとこの家で暮らせばいいと常々言っておりましたから」
「そんな・・・」
「それは私もわかっておりました。そのつもりでお城を出たのですから」
「それでは・・・諦められたのですか?」
「それが・・・その方は毎日私の父と母を説得しに来てくれたのです。もし、後ろ指を指されることがあっても、私が守ると・・・いつの間にか私も一緒に父と母に懇願しておりました」 私は少し目を潤ませて話を聞いていた。
「父と母は最後には娘を頼むと納得してくれました」
「そうでございますか。それはおめでたいことでございます」 私は嬉しくなった。
「ありがとうございます。生活は、更に厳しいものですが一緒にいてくれる方がいるというのは幸せなことだと思っています」
「そうでございますね。どのような立場でも、信じられる人がおられることは幸せでございます」 そう言った私をお仲様はジッと見られていた。
「お里様にもそのようなお方が?」
「いえいえ、とても羨ましく思います」 私は慌てて否定をした。
「お仲さんがお城を出られて、新しく幸せを見つけられたことを上様や御台所様が知られたらお喜びになられることでしょう」 私は上様に良い報告が出来ることが楽しみだった。
「それで・・・お里様へのお話はここからなのです」
(そうよね。お仲様の近況報告を聞いてホッとしている場合ではないですね)
「はい、なんでございましょう?」
「お里様、私がお城を出るときにくださった髪飾り・・・覚えておられますか?」 お仲様は今日もその髪飾りを付けてくださっていた。部屋に入ってそれがすぐに目に止まり、嬉しかった。
「はい、もちろんでございます。今日も付けてくださっているのですね」 私は髪飾りを見て言った。
「はい、とても気に入っております。普段も良くつけて小間物売りに行くのですが、これは売っていないのかとよく聞かれることがございまして・・・」
「まあ 嬉しいことでございます」
「それで、今度町の広場で市が開かれるのですが、私たちもそこで店を出させてもらうのです」
「市でございますか。沢山のお店が並ぶのでございましょう? 楽しそうでございますね」
「はい、それはとても賑やかでございます。それで、その時にこの髪飾りを出したくて・・・お里様にいくつか作って頂けないかと・・・断られるのを覚悟でお願いにまいりました」 そう言うとお仲様は頭を下げられた。
「髪飾りを作ることはかまわないのですが・・・御台所様のお許しがないと・・・」 私の一存で決められることではなかった。
「もちろんわかっております。お里様からお清様、御台所様にお取次ぎ頂いてお許しが出ればでかまいません」 お仲様は真剣な顔をされていた。私もお仲様の助けになるのならば、力をお貸ししたかった。
「わかりました。一度、伺ってみます。ですが・・・あまり期待しないでくださいね。お返事は、どなたか代わりの方に行って頂きたいと思いますので、住んでおられるところだけ教えて頂けますか?」
「本当でございますか? ありがとうございます」 お仲様は笑顔でもう一度頭を下げられた。
「そんな・・・まだ決まったわけではありませんので・・・」 私は少し焦って言った。
「わかっています。お里様が了承してくださっただけでも、私は嬉しいのです」
「私もお仲さんのお役に立てれば嬉しいです」 私たちは顔を見合って笑いあった。私はお仲様が幸せであること、そして私に頼みごとをしてくださったこと、両方がとても嬉しかった。
お仲様は住んでいるところの地図を簡単に書かれて、帰って行かれた。お仲様が部屋から出て行かれるとおりんさんが入ってこられた。
「何だか、楽しそうでございましたね」 賑やかな声が外にも聞こえていたとおりんさんは笑顔で言われた。
「おりんさん、体は冷えておられませんか? とりあえず部屋に戻りましょうか」
私はまだ顔が緩んだままで部屋に戻ることにした。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。




