菊之助様とおりんさんの結婚 ②
おりんさんの着物を選ぶ日、上様と相談した結果、やはり菊之助様とおりんさんが気に入ったものを着てもらう方がいいのではないかということで、お部屋に来て頂くことにした。
もちろん、おぎんさんも同席してくれた。
私とおりんさんがいつも通りにお部屋で過ごしている時に、上様と菊之助様がお部屋へ来られた。
「お里、いいか?」 上様が廊下から声をかけられた。
「はい、どうぞ」
「まあ、こんな時間にお二人一緒に来られるなんて珍しいことでございますね」 おりんさんが驚かれていた。
「ああ まあな」 上様はそう言われて席に着かれた。
「あの 上様、お部屋での用事とは何でございましょう」 菊之助様も何のことか聞かされておられないので不思議そうなお顔をされていた。そこへ、廊下からおぎんさんの声がした。
「上様、おぎんでございます。入らせて頂いてよろしいでしょうか?」
「ああ ご苦労だったな。はいれ」 上様はそう応じられた。その時、菊之助様とおりんさんが顔を見合わせられて、首を傾げておられた。
「失礼いたします」 おぎんさんがお部屋に入って来られると「まあ おぎんさんまでどうしたのですか?」 とおりんさんが尋ねられた。おぎんさんはその質問ににこやかな笑顔で返された。ますますおりんさんは不思議そうな顔をされていた。
「菊之助、おりん、今日はお前たちと一緒に選びたいものがあってな。それでここへ来てもらった。おぎんが手筈を整えてくれた」 上様がお二人に向かっておっしゃった。
「はあ・・・」 菊之助様はとりあえず返事をされた。
「お里様のお着物でございますか?」 おりんさんは、少しワクワクした感じで言われた。
「おぎん」 上様がおぎんさんに目で合図をされた。すると、おぎんさんは一礼して襖の方へ歩いて行かれ、襖の向こうに用意された箱を運び込まれた。その箱が何の箱だかまだわからなかった様子のお二人はジッと運び込まれる箱を見つめておられた。おぎんさんが何往復かされて全ての箱を運び込まれると、上様が「お里」 と今度は私に合図をされた。
「はい」 と言って立ち上がり、その内の1つの箱を開けた。そこには鮮やかな色の打掛が入っていた。私はそれを取り出して広げてみせた。
「まあ 素敵なお色ですね。お里様にお似合いです」 おりんさんは、目を輝かせて言われた。私は上様の方を見て、クスッと笑うと上様も微笑まれた。
「いや、おりん。違うのだ。今日は、おりんの婚礼衣装を選ぼうと思ってなあ」 上様は菊之助様とおりんさんのお顔を交互に見ておっしゃった。
「えっ? 私の?」 おりんさんは唖然とした顔で言われた。そして、菊之助様を見られた。
「上様・・・これは・・・」 菊之助様も戸惑われた様子で上様を見られた。
「これは、私とお里からの贈り物だ。本当は選んでから渡すつもりだったのだが・・・お前たちが気に入ったものを見に付けて欲しいと思ってなあ・・・一緒に選ぶことにしたのだ」 上様は優しいお顔でそうおっしゃった。おりんさんはまだ驚いた様子で私を見られたので、私は笑顔でおりんさんに頷いた。
「お屋敷を建てて頂けることで、私たちには勿体ないと思っておりましたのに、まさか衣装までご用意してくださるとは・・・菊之助、有難くて言葉が出ません」 菊之助様は余程感動されたのか、ご自分のことを名前で呼ばれ、深々と頭を下げられた。それに続いておりんさんも頭を下げられた。
「屋敷はほぼ私の一存であったからな。お里も何か二人にしたかったのだろう。これは、二人で決めたことだ」 上様がそう言って私を見られた。私も頷いた。
「お里殿・・・ありがとうございます」 菊之助様はもう一度私の方に向き直ってお礼を言われた。
「お里様・・・私は幸せでなんと言っていいのか・・・ありがとうございます」 目に涙をいっぱい浮かべられたおりんさんが私に近付いて抱き付かれた。私はそれをしっかりと受け止めて背中をさすった。しばらくそうしていると
「おりん、お里様のお着物が汚れてしまいますよ。いつまでも泣いていては、着替えも出来ないでしょう? さっ そろそろ選びましょう」 おぎんさんが微笑んだまま言われた。
「お里様、すみません」 おりんさんは急いで私から離れると着物が汚れていないか調べられた。「大丈夫でございますよ」 私は笑いながらそう言った。すると、今度は上様の方を見て「上様、申し訳ございません。お里様に勝手に抱き付いてしまいまして・・・」 と言われた。
「べつに、そんなことは気にしない」 と上様は苦笑いをされた。
箱をいくつか開けて着物を取り出し部屋に順番に広げていった。ここまでは、おぎんさんが選定してくれたので、おりんさんのことをよくわかっておられるおぎんさんだけにどれもこれもおりんさんに似合うものばかりだった。
「こんなにあると迷ってしまいますね」 おりんさんは、どれもこれも素敵だと手にとっては迷っておられた。
「菊之助様はどれがいいと思われますか?」 私は菊之助様に尋ねてみた。
「私は女子の着物のことなどわかりませんが・・・どれもおりんに似合うと思います」 とおっしゃった後、ハッと口を押さえられて恥ずかしそうに下を向かれた。耳まで真っ赤にされた菊之助様は初めてだった。
「菊之助、かまわないではないか。似合うものを似合うと言っただけであろう」 と上様は少しからかうようにおっしゃった。
「勘弁してください。上様がいつもお里様に思ったことをおっしゃるものですから、つい何も考えず口走ってしまいました」 下を向いたまま菊之助様はおっしゃった。
「菊之助様、そう言われると嬉しいものですよ。ね、おりんさん」 とおりんさんの方を見ると、おりんさんも真っ赤になっておられた。
(なんだか以前の私を見ているようだわ。可愛い・・・私も今でも赤くなってしまうけど、いつもすまされている菊之助様が突然甘くなられるとすごい威力だわ)
私はお二人の様子をしばらく笑顔で見ていた。
散々、悩んだ結果二つに絞られた。ひとつは、大きなお花が彩られた艶やかな着物、もうひとつは小花が沢山散りばめられた可愛らしい着物だった。
「ようやく二つに絞られましたね」 私がその二つを眺めて言った。
「お時間を取らせて本当に申し訳ございません」 とおりんさんが言われた。
「今日は充分に時間を取ってあるから、急ぐことはない。ゆっくり、納得がいくまで選べばよい」 上様はそうおっしゃった。
「ありがとうございます」 菊之助様がお礼をおっしゃった。
「さあ、この二つ・・・どちらにしますか?」 おぎんさんが言われた。
「気に入ったなら二つとも買ってもかまわないぞ」 上様がそうおっしゃった。
「上様? それでは、ダメでございます。 みんなで一番おりんさんが似合うものを決めることがいいのでございます」 私は上様に言った。
「そうか・・・それはすまなかった」 上様が素直に謝られたのを、皆さんが笑われた。
「おりんさん、両方を羽織ってみられてはいかがですか?」 私は着物を手に取って言った。
「はい、いいのでございますか?」 おりんさんは嬉しそうに言われた。おりんさんに立ち上がってもらって、順番に着物を羽織って見せてもらった。本当に、どちらもよく似合っていた。
「どちらもとてもおりんに似合っていますね」 おぎんさんが迷いながら言われた。
「お里様はどちらがいいと思われますか? 私はお里様が勧めてくださったお着物が着たいです。菊之助様、よろしいですか?」 そう言って、菊之助様を見られた。
「もちろん。 おりんのことをよくわかってくださっているお里殿に決めてもらうのが私もいいかと思います」 そう言われて私は上様を見た。
「おりんがそう言っているのだ。お里、どっちがいいと思う?」 と上様がおっしゃった。
「はい・・・私はこの小花が沢山描かれているお着物の方がおりんさんの可愛らしさを表していて似合っていると思います」
「そうか・・・おりんはどうだ?」 上様がおりんさんに尋ねられた。
「はい、私はお里様が選んでくださったものにいたします」 そう笑顔で答えられた。
「それでは、決まりですね。こちらの柄で仕立てなおしてもらうことに致しましょう」 おぎんさんがホッとしたように言われた。
「よろしくお願いします」 おりんさんがおぎんさんに言われた。おぎんさんは笑顔で頷かれた。
「当日は見られないのが残念ですが、おりんさんがこれを着て菊之助様と並ばれるのが楽しみでございます」 私はその様子を想像しながら笑顔になった。
「菊之助様の羽織もと思ったのですが・・・紋付と決まっていますからね」 おぎんさんが言われた。
「そうなのですね・・・それは残念です」 と私は言った。お役人様には決まりがあるのだと改めて知った。
「さあ 今日は久しぶりにみなで夕食をとろうと思って、おぎんにお常に頼んでおいてもらった」 上様がそうおっしゃった。そのことは私も聞いていなかったので嬉しかった。
「そうなのでございますね。久しぶりに皆さんとお食事が出来て嬉しいです」 と笑顔で言った。
「なんだお里、私と二人の食事ではつまらなかったのか?」 上様が少し拗ねたお顔をしておっしゃった。
「そういうわけではございません」 私はすぐに否定ををした。
「ははは・・・わかっておる」 上様はニヤリと笑われた。
久しぶりの皆さんとの食事は、村での話や戻ってから上様の機嫌が悪かったことなど・・・沢山笑いながらの楽しい食事となった。
夜の総触れが終わると、私は上様が戻られるまでの間おりんさんの髪飾りを作ることに熱中した。着物が決まったので、それに合うように具体的に色を決めて取り掛かることが出来た。
「お里、戻ったぞ」 上様がお部屋に戻られた。
「上様、おかえりなさいませ」 私は作業の途中だったので、急いで片付けようとした。
「いや、かまわないよ。キリのいいところまでやってしまいなさい」 上様は私が片付けようとするのを制された。
「ありがとうございます。では少しだけ・・・」 私はお言葉に甘えてあと少しだけ作業をさせて頂いた。キリのいいところまで終わり、上様を見ると上様はジッと私の様子を見られていたようだった。
「上様、お待たせいたしました。申し訳ございません」
「いや、謝ることはない。お里が集中している姿をみていたら、すぐに時間がたってしまった」 上様はにこやかにおっしゃった。
「私も楽しくて時間を忘れてしまいそうです。おりんさんがお昼はこちらにおられるので、おりんさんがお部屋に戻られてからしか作業ができないので、つい・・・申し訳ございません。これからは、上様が戻られる頃には作業を済ませておきますね」
「私が戻ってからキリの良いところでやめればいい。私が戻るまでは作業をしておきなさい。ただ・・・無理をし過ぎるのはダメだ。私が戻って休むときには、お里も一緒に休むのだよ」 上様は私の頬を撫でられおっしゃった。
「はい、わかりました」 そう返事をすると 「よし」 と言って微笑んでくださった。
それからは、上様が戻られても少しだけ作業をさせて頂いた。おりんさんも家の方がほとんど出来上がられたようで、昼間でも少しの時間はお屋敷の方へ行かれることも増えた。少しずつだけど作業を進めることが出来た。
今回は組紐だけでなく、かわいい色の布も用意してもらい布を使って花を作ったりしたものも使ってみることにした。
「お里、だいぶ出来たではないか。可愛らしいものになったな」 上様は私が作業しているところを覗かれておっしゃった。
「はい、お着物に合わせて小さな花を沢山付けてみました」 私は上様にそれを見せながら言った。上様はそれを一度手に取って満足そうに頷かれてから返してくださった。
「さあ 今日はそこまでにして、もう休もうか」
「はい」 上様に褒めてもらえて嬉しかったと同時に、出来上がってくるとこれを付けて着飾られるおりんさんを想像してワクワクとした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。




