上様、落胆
次の日、上様と菊之助様は朝から領主のお屋敷に出向かれた。さすがに、お奉行様のお取調べに私が同行することは出来ないので、おりんさんと家でお留守番をすることとなった。おぎんさんは、しばらく別の用事でお忙しくなられるようで昼間は来られないとのことだった。おりんさんと昨日のことについて話をした。
「昨日は、本当に斬り合いになるかもしれなかったのでしょうか?」 私はもし斬り合いになったらと思うと怖かったと話をした。
「お里様、あの場でのお付きの方は4人だったでしょう? しかも刀を持っているだけで、この戦のない世の中で人を斬ったこともないようなひ弱な者ばかりでした」
「そうなのですか? 私にはそこまでわかりませんでした」
「もし斬り合いになったとして・・・菊之助様がお二人、平吉さんがお二人、私とおぎんさんで補助に入れば一瞬で取り押さえることが出来たのですよ」 そう言っておりんさんはにこりと笑われた。
「そうなのですか? おりんさんはいつも私の傍にいてくださるのに、いつ訓練をされているのですか?」 私はそれが不思議だった。
「私たちは隠密と呼ばれるようになるまでに、全ての訓練を受けて習得しております。今は体がなまらないようにたまに、訓練所で訓練をしにいくだけなんですよ」
「なるほど・・・身のこなしや剣の技術はすでに見に付いておられるのですか・・・やはりすごいですね」 私は感心するしか出来なかった。
「ですが、困ったことにお里様とお会いしてからは幸せボケをしておりまして・・・訓練をサボりすぎだと平吉さんに叱られてしまいました」 そう言っておりんさんは肩をすくめられた。
「まあ でもおりんさん自身も幸せでいっぱいでしょう?」 私はいつもおりんさんにからかわれているので、たまにはやり返してみようとそう言ってニヤッと笑った。
「お里様にからかわれるなんて・・・」 おりんさんはそう言って顔を真っ赤にされた。とても可愛い仕草だったので、私は微笑んでその様子をみていた。
「お里様、あまりジッとみないでください」 おりんさんはそう言ってそっぽを向かれた。しばらくバタバタとしていて掃除をまともに出来ていなかったので、二人で気合を入れて部屋の隅々まで掃除した。お昼ごはんも二人だけなので簡単なもので済ませることにした。
日も暮れかかった頃、上様と菊之助様がお帰りになられた。お二人は、少しお疲れのようだったので、早めに夕食を済ませゆっくり休んでもらうことにした。
「お里、おりん、ただいま。お前たちにも話をしてやりたいのだが、なんだか今日は気が張っていて話を出来そうにない。明日でもいいか?」 上様は申し訳なさそうにおっしゃった。
「もちろんでございます。お取調べというものが私にはわかりませんが、お疲れのことでしょう。今日はゆっくりお休みくださいませ」 私は上様に言ってから、菊之助様をみて頷いた。
「お里殿、かたじけない」 菊之助様も相当お疲れのようだった。
お二人は早々にお部屋に入られた。私はおりんさんと食事の後片付けをしてから、お部屋へと戻ると上様は寝息をたてておられた。
(よほど、お疲れになられたのね・・・領主は素直にお話したのかしら? 話を順序だてて聞いていくだけでも大変なのに、それが悪事を白状させるお取り調べですものね)
寝息をたてられている上様の頬をさすると 「んん・・・うんん」 と上様は少し薄目を開けられた後「おさと・・・」 と言って私を抱き寄せられ、そのまままた規則的な寝息をたてられた。
次の日、皆さんを集められた上様がお話をされた。
「領主の取り調べはほぼ終わった。あとは、江戸へ連れて帰り沙汰を決めることとなるだろう」
「辰吉はどうなりますか?」 弥助さんが聞かれた。
「辰吉もとりあえず、江戸へ連れて行く。沙汰は私が戻ってから決めることになるだろう。庄屋を殺した罪は償わせねばならないが、やり直せるきっかけもやろうと思っている」
「そうでございますか・・・有難いことでございます」 弥助さんは上様に頭を下げられた。上様は弥助さんに頷いてから、菊之助様を見られた。菊之助様は頷かれ話始められた。
「領主は、最初は自分が取り仕切っている農村にすべて税を重く徴収したのだと言っていました。だが・・・ほとんどの農村がこんな重い徴収をされてはたまったものではないと、一揆を起こすと領主に抗議してきたそうでした。領主は、自分が治めている土地で一揆など起こったならばお咎めを受けることになると即座に徴収を元に戻したとのことです」
「最初から自分の私腹を肥やそうとしていたわけですね」 平吉さんが言われた。
「ああ、だが思っているようにはいかなかった・・・しかし、ここの村だけは抗議することなく税を納め自分たちが満足に暮らせなくなっても、一揆など起こして抗議することもなかった・・・」
「そこにつけ込んだなんて・・・ひどい・・・」 私は声を上げた。
「だが、いくら何でもおかしいと庄屋は気付いたようで・・・領主の元へいき事情を聞きに行ったようです。そこで焦った領主は、ちょうど母の看病をするために村に戻ってきた辰吉を利用したと・・・」 菊之助様はそこで寂しそうなお顔をされた。
「その頃の領主は贅沢が身に付き、今さら慎ましやかに生活することなど出来なくなっておったのだろう」 上様が続きを話された。
「こんな小さな村の税を多くとったところで、贅沢などちょっとしたものに過ぎなかっただろうに」 弥助さんがおっしゃった。
「ああ そこももうわからなくなっていたのだろう・・・まして、もし奉行所に訴えられでもしたらと焦ったにちがいない」
「庄屋は亡くなる前に息子に税の徴収がおかしいということは、伝えていたようだ。だから、父親の死を不審に思い自分が後を継ぐと挨拶に行ったときに正直に疑問をぶつけたそうです」 また菊之助様が話をされ始めた。
「それで今度は家族全員が毒を飲むように辰吉を使ったということですか」 少し怒り気味に話されたのは平吉さんだった。
「ああ このままではいつか自分の悪事が公になってしまうと・・・今度は息子が奥方や使用人に話をしているかもしれないと思ったと言っておりました」
「全てが自分の為だったのですね。領主様は、農民が平和に暮らせるように働かれるものだと思っておりました」 私は腹が立つのと、悲しい気持ちだった。
「ああ その通りだ。これは、今後私の課題でもある。一人でも多くの民が贅沢とはいかなくても苦しまないようにしていかねばならない」 上様はそう言って肩を落とされた。
「上様のせいではございません。上様はこうやって、村をお助けになられました」 私は上様に近寄りそう言った。
「ありがとう。まだまだ城の中ではわからぬことばかりだな・・・」 そう言って寂しそうに微笑まれた。
(気が疲れたとおっしゃっていたのは、このことで深く傷ついていらっしゃったからかしら? でも、将軍様が領主にまで気を配るなんて到底無理な話だわ。このように村が苦しんだのはご自分のせいだと思っていらっしゃるのかしら・・・)
夜、二人きりになったお部屋で私は上様に尋ねた。
「上様、だいぶ気に病んでおられるようで・・・心配でございます。私でよければお話になってください」 私は上様の手を取って言った。
「ああ ありがとう・・・私は将軍になってもう何年も経っているというのに、一体何をしていたのであろうと考えてなあ・・・将軍になった当時はまだ若かったこともあり、父上に全て任せていた。だが、それが当たり前となり・・・私がしていたことは子を作ることだけだった・・・」 上様は元気のない話し方でそうおっしゃった。
「ですがそれは・・・お父上様のご指示だったでしょう? 上様が子孫を残されることは将軍様として大事な仕事だったはずです」
「わかっている・・・でもそれだけでは・・・な」 上様が私を見られて微笑まれた。そのお顔がとても悲しそうで私は何とかしてさしあげたかった。
「上様? 今からでも遅くはないではありませんか? 今回、このようなことを知ることが出来たことは良かったと思えませんか?」
「良かった?」
「はい、城の外での暮らしを知ることで上様がこれからやらなければならないことを知ることが出来たのです。もし今回のことがなければ、上様はこうやって村の方たちが困ってらっしゃることを知らないままだったのですから」
「おさと?」
「そんな終わったことをいつまでも悔やまれる上様は嫌でございます。これから、上様がもっと民のことを考えてお仕事をされる姿を私は見ていたいと思います」 私が息巻いてそう言うのを上様はジッと見つめられていた。そして、フッと短く息を吐かれた。
「そうだな・・・お里の言う通りだ。私が落ち込んでいても町が平和になるわけではないからな」 少し元気を取り戻された様子で笑われた。
「そうでございます。これからまた忙しくなられるでしょうね」
「ああ。 お里ありがとう。やっぱり、お前に話して良かった。菊之助では気を使われるだろうから、正直に話せなかった。話さなかったとしても、菊之助はわかっているだろうが・・・」
「明日からはお城に戻る準備もしなくてはなりません。上様に落ち込んでおられる暇はないのですよ」
私は上様が何か吹っ切れたようなお顔になられたのが嬉しくて張り切って言った。
「わかった・・・お里はどんどん強くなるのだな」 上様が私の手を取られおっしゃった。
「でも、私が強くなれるのは上様がいてくださるからです。信頼してくださり、上様に守られているからでございます」 私は上様の目をしっかりと見て言った。
「そうか・・・ならこれからもますます強くなるのだろうな。そのうち、私に代わって将軍になるかもしれぬな」 そう言って上様は声を出して笑われた。「そうかもしれませんよ」 と私が言うと、二人で笑いあった。
その夜は、上様は私に甘えるように眠られた。私もそのお姿がとても可愛く思え、しっかりと抱き締めるようにして眠りについた。
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