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大捕り物

 夜の闇に包まれて、家の中は静まり返っていた。すると、廊下の方で着物が擦れる音がした。襖がそっと開けられたが、昼間では全く気にならない程の音が部屋中に響いたような気がした。その瞬間上様が私を強く抱きしめられて、半身を起こして枕元に置いてある刀を手に取られた気配がした。私は恐怖で目を閉じたまま、上様にしがみついていた。

 上様は私の頭の所まで布団を被せられ、ご自分は上半身が布団から出ている状態だった。


 「うわあ!」 「ヒッ!」 「痛い!」 という言葉と共に布団の中でも振動が伝わるほどの人の数が動き回っている様子だった。人が殴られているだろう音を生で初めて聞いた。

 ほんの数分の出来事だったけれど、私には30分以上経ったのではないかと思う程長い恐怖の時間だった。今のことが夢だったのではないかと思うくらい、また辺りが静まり返った瞬間上様が今度は刀を置かれたのか、両腕で抱きしめてくださった。


 「お里、大丈夫か?」 とても優しくおっしゃった。私は、ゆっくり目を開けて上様のお顔を見た。いつもの優しい笑顔で、涙を拭ってくださった。私は知らない間に恐怖で泣いていたようだった。そしてもう一度、大丈夫かと聞いてくださった。


 「はい・・・」 布団の中からだと上様のお顔しか見えなかったので、ゆっくり被っていた布団から顔を出し、辺りを見渡した。明かりが灯され、暗闇の中にいた私は少し眩しく目を細めたけれど目が慣れてくると・・・そこには、きっと殴られたのはこの方だろうとわかるくらい頬を赤く腫らした辰吉さんの姿が目に入った。そして、辰吉さんを取り押さえられている平吉さん、あと二人見知らぬ人をとり押さえられている菊之助様、おぎんさん、おりんさんがおられた。その横で、片膝をついて控えておられる方もいらっしゃった。控えておられているお二人の方には見覚えがあった。最初に村の方が挨拶に来られたときに、一番に挨拶をされた八兵衛さんだった。もう一人の方もご挨拶に来られていた。


 (お二人とも、隠密のお方だったのだわ)


 「お里様、大丈夫でございますか?」 おりんさんが聞いてくれた。


 「はい・・・どうなることかと怖かったのですが・・・大丈夫です」 すると上様が、座られたまま


 「やはりお前だったのか」 と辰吉さんを見て低い声でおっしゃった。辰吉さんは下を向いたまま声を発することはなかった。


 「おい、何か言わぬか」 と平吉さんが縛っている辰吉さんを揺すられた。


 「どうして庄屋ごときに・・・こんなに手厚い警護があるなど聞いてなかった・・・」 と下を向いたまま呟くように言った。


 「それはおいおいわかることだ」 と菊之助様がおっしゃった。


 「それより、誰から警護があるなど聞いてなかったのだ?」 上様が尋ねられた。


 「そんなことを、お前に言う必要はない」 辰吉さんは、今まで見ていた爽やかな笑顔など微塵も感じさせない程の顔で悪態をついていた。顔と口の悪態とは反対に体は身じろぎひとつ出来ないようだった。それほど、平吉さんの力が強かったのだろう・・・


 「お前は誰に向かって口を聞いていると思っているのだ!」 菊之助様が顔を真っ赤にして怒鳴られた。


 「菊之助! よい」 上様が、続きを話そうとされる菊之助様を止められた。


 「辰吉、ならばそのまま奉行所で話をするか?」 上様がおっしゃると「どうせ私はすぐお咎めなしになる! こっちには領主様がついているのだからな」 と鼻で笑いながら言った。


 「ほう・・・領主様がなあ・・・」 上様がニヤリとされて言われると、辰吉さんはしまった!という顔を一瞬したがそのままニヤリと笑い返してきた。


 「ああ そうだ! だから、奉行所になんていかなくていいんだよ! お前らが逆に領主様からお咎めを受けることになるだろうよ」 


 「そうか・・・」 上様は低い声でそうおっしゃると、布団の横に一度置いてあった刀をもう一度手にされた。そして、おりんさんに目で合図をされてから立ち上がられた。上様が私から離れられた瞬間、おりんさんが私の傍に来て羽織を掛けてくれてから肩をさすってくれた。


 (気付いてなかったけれど、私まだ震えているのだわ。寒さで震えているのか、恐怖で震えているのかはわからないけれど・・・上様とおりんさんはそれに気付かれていて合図をしてくださったのね)


 私はおりんさんを見て、目でありがとうと伝えた。おりんさんは心配そうに微笑んでくれた。上様は刀を抜きながら一歩ずつ辰吉さんに近付かれた。私はこの先を見ていられるだろうかと不安になり、目を逸らして下を向いていた。


 ズサッ!!


 人が切られた音ではないとわかったので、そっと目を上げると上様は刀を畳に突き刺された。


 「お咎めを受けるのは私の方だと? ふざけるな!!」 今までに聞いたことのない、大きく怒りを露わにした声だった。辰吉さんは一瞬、体をのけぞらせた。


 「お前でもこの刀の意味はわかるだろう? 刀の紋を確認させて頂いてみろ!」 菊之助様が横からおっしゃった。辰吉さんは、お二人の圧力にすっかり飲み込まれてしまったようで、菊之助様の言われた通り畳に突き刺さっている刃の部分から、じっくりと上の方に視線を移した。刀の柄の部分を見られた時、辰吉さんの目が大きく見開くのがわかった。


 「こ、これは・・・」 辰吉さんは頭の中が整理できていないのであろう、そこまでしか声が出せなかったようだ。


 刀の柄の部分に金色で彫られていたのは、葵の御紋だった・・・


 「今、お前が お前と呼んでいたお方は11代将軍家斉様だ」 菊之助様はゆっくり、はっきりとおっしゃった。辰吉さんは、あれだけ強い力で取り押さえられていたのに、その平吉さんがバランスを崩されるほどの力で座り直し、後ろ手に手は縛られたまま頭を畳にこすりつけた。


 「知らぬこととはいえ、も・・申し訳ございません」 ほとんど叫ぶように言った。


 「辰吉、お前のせいで一人の命がすでに亡くなっている。しっかりお咎めは受けなければならない。ただ・・・全て真実を話し、お前が心底反省しやり直す覚悟があるのなら命は助けてやる。庭の手入れを手伝ってくれた礼だ・・・だが、お前に反省する意思が見られないときは・・・次はわかっているな」 上様は威厳のある声で一言一言発せられた。


 「有難きご慈悲を・・・」 最後の方は何を言っているかわからなかった。


 「みな、ご苦労だった。とりあえず辰吉のことは平吉に任す。明日、もう一度集まり話をしよう」 上様は周りを見渡して、皆さんにおっしゃった。


 「はっ! 承知致しました」 皆さんが声を揃えて言われ、頭を下げられた。そして、辰吉さんとあと二人の悪党は平吉さんとおぎんさん、八兵衛さんたちに連れて行かれた。


 「上様、見事な差配感激いたしました。別の部屋に寝間の用意がしてありますのでそちらでお休みください」 菊之助様がおっしゃった。


 「ああ ご苦労だったな。今日は今から休むため、明日は私たちが起きてくるまでそっとしておいてくれ」 いつもの上様の話し方に戻られていた。菊之助様にそうおっしゃると、上様は私の元へ来てくださりおりんさんと交代して、抱き締めてくださった。


 「お里、怖かったであろう・・・こんなことに付き合わせてしまって悪かった」 上様の腕の中で安心したのか、少しずつ震えが治まっていくのがわかった。


 「私も望んだことでございます。謝らないでください」 私は抱きしめられたまま言った。


 「お里、今日はこのまま部屋を移動して休もう」 そういうと、上様は私を抱き上げられた。私も上様にしがみついたままでいた。


 「お里殿、ゆっくりお休みください」 菊之助様がおっしゃったので、私は「ありがとうございます」 とだけお礼を言った。おりんさんが襖を開けてくださり、私たちは部屋を移動した。いつもは使っていなかったお部屋に布団が敷いてあった。上様は私をそこへ座らせてくださった。


 「おりんも、もうよいぞ。ゆっくり休むがいい」 部屋まで付き合ってくれたおりんさんにそうおっしゃった。


 「承知いたしました。失礼いたします。お里様、おやすみなさい」 とおりんさんは頭を下げられた。

 

 「おりんさん、おやすみなさい」 私がそう言うと、優しく微笑んでからお部屋を出て行かれた。二人きりになると、上様は枕元に用意されていた水を湯飲みに入れてくださり、私に渡してくださった。


 「大丈夫か?」 心配そうに私の顔を覗きこまれた。


 「はい、怖かったですが・・・もう大丈夫でございます」 私は顔を上げて上様をみた。


 「ならいいのだが・・・お里、今日はゆっくり休もう。明日は二人ともが目を覚ますまで、布団から出ないと決めておこう」 上様は優しく微笑んでおっしゃった。


 「はい ありがとうございます」 私もその微笑みにつられた。布団に入ると、上様はしっかりと抱き締めてくださり、後ろに回された手で背中をさすってくださった。私は自分が安心して、眠りに落ちていくのがわかった。そして、今日2度目の夜の闇に包まれた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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