乗馬
朝起きて支度を終え、上様とゆっくりしている頃に皆さんがお部屋へ来られた。
「おはようございます。ゆっくりと休まれましたか?」 菊之助様が挨拶をされた。
「ああ 今日は気分がいい」 上様はにこやかに答えられた。
「お里殿が一緒だとご機嫌が良くて何よりです」 菊之助様は少し嫌みっぽく言われたが、上様は気にされる様子もなかった。おぎんさんとおりんさんもニコニコされていた。今日は、袴のようなものを履かれていた。このような格好もとても似合われていて「お二人とも素敵で格好いいですね」と言った。
食事を取りながら、菊之助様が本日の行程を話してくださった。
「今日は、この宿から少しだけ籠に乗って頂きますが、そこからは馬で移動をしたいと思っております。私が馬を引きますので、ご安心を」
「えっ 馬でございますか? 私は馬に乗ったことがございませんが・・・」 私は馬には以前の世界でも乗ったことがなかった。
「お里様が馬を操るわけではありませんから、大丈夫でございますよ」 おぎんさんが言われた。
「はい」 私は不安に思いながら返事をした。
「お里、どうしても怖いようならその時に言えばいい。そのまま、籠に乗っていったっていいのだから」 と上様が優しく言ってくださった。
「はい ありがとうございます」
「それから上様、今回は籠はお一人ずつでございますが・・・」 菊之助様がおっしゃった。
「ああ 大丈夫だ。長い行列で行くわけではない。すぐそこにお里がいるのだから・・・」 とチラッと私を見られた。私は笑顔で頷いた。
(以前、京都への行程で籠が別々で不機嫌になられたことがあったから、菊之助様は尋ねられたのね)
朝食を終え、それぞれ準備をしてから玄関へと集まった。宿の主人が、出てきて挨拶をしてくれたが、もちろん今日泊まった客が将軍様だとは思ってもおられないだろう・・・ 用意された籠まで上様が手を引いてくださった。
「さあ お里、ゆっくり乗るのだぞ」 そう言って私が乗り込むのを見届けてからご自分も籠に乗られた。私の横にはおぎんさんとおりんさんが付いてくださるようだった。
以前よりも籠の揺れにもなれ、外を眺めながら進んだ。今日も天気が良くて、遠くの山々がとても綺麗に見えていた。お昼前に1件の家の前に停まった。おぎんさんが「お里様、着きましたのでゆっくりと下りてください」 と手を差し出してくださったところ、前の籠から下りて来られた上様が「おぎん、よい」 と言って代わって手を差し出してくださった。
「かしこまりました」 とおぎんさんが言われ、私に目配せをして下がられた。
「さあ お里。ゆっくりでいいぞ」 そう言って、私が履物をはいて立ち上がるまで見守ってくださった。「ありがとうございます」 と私は上様の手をしっかりと握った。その家の中に入っていくと、料亭のようだった。
「こちらでお昼にいたしましょう」 と菊之助様がおっしゃった。お昼ごはんは、釜飯のようなものとお吸い物だった。お野菜がたっぷり入った釜飯は、次回是非作ってみたいと思う程美味しかった。お吸い物も、具がたくさん入っていて、それだけでも充分なくらいだった。昼を食べ終え、さあ出発しようと外へ出ると籠はいなくなっていて、そこに馬が繋がれていた。
「ここから馬でございますか?」 私は菊之助様に尋ねた。
「はい とりあえず1度乗ってみられますか?」 と菊之助様が聞かれたので、「は・・・はい」と緊張しながら答えた。
「お里、こちらに来てみなさい」 前の馬を撫でながら上様が私を呼ばれた。私は上様の方へ行くと「ほら、かわいいであろう? お里も撫でてみるがよい」 とおっしゃった。私は恐る恐る馬の鼻の上の方を撫でてみると、馬が気持ち良さそうに目を細めた。
「ほら、やはりお里は馬の心も捉えるのだな」 上様が笑顔でおっしゃった。馬をよくみると、大きなクリッとした目がとても可愛かった。こんなに近くで馬を見たのも初めてのことだった。すると、上様がサッと馬にまたがられ、「さあお里 おいで」と手を差し伸べてくださった。私はどうしていいかわからずおぎんさんの方を見ると、おぎんさんが台を持ってきてくださった。
「さあ この台に乗って上様の手をお掴みください」 と言われたので、私は台に上って上様の方を見た。上様は私の手をしっかりと握られ、ヒョイと私を持ち上げられたかと思うとご自分の前に座らせてくださった。
「どうだ? お里、私がしっかり支えているからゆっくり周りを見てごらん?」 と優しくおっしゃった。私は上様にしっかりと掴まりながら、周りに視線を移した。いつも歩いている景色よりも一段と高いので、さっきまで遠くに見えていた山が少し近くに感じた。見晴らしがよく、気持ちが良かった。
「わあ なんだか見たことのない景色でございます」 私は感激して言った。
「そうであろう? 馬からの景色をお里にも見せたいと思っていたのだよ」
「ありがとうございます」 私は、そこで上様のお顔がとても近くにあることに気が付いた。そして、今さらながら少しドキッとした。すると、上様は菊之助様を呼ばれた。
「菊之助、このまま出発しよう。お里は私と一緒にいく」
「承知いたしました。でしたら、今日は宿には泊まらず、日があるうちに村に着けそうでございます。おぎんに手配させます」 と言っておぎんさんの方へ行かれた。何か菊之助様が話されるとおぎんさんは頷かれ、颯爽と馬にまたがられた。そしてそのまま、私たちの横へ来られ「上様、それでは私は先に村へ行かせて頂きます」 と言われた。「ああ 頼んだぞ」 と上様がおっしゃると、馬を走らせていかれた。あと、馬は2匹いたので菊之助様とおりんさんがそれぞれ乗られることとなった。
「では、まいりましょう」 と菊之助様が先頭を行かれた。その後ろに上様と私、一番後ろをおりんさんが進まれた。馬は、走るわけでなくゆっくりと歩いて進むようだった。
「お里、怖くないか?」 上様が聞いてくださった。
「はい、怖いどころか、こうやって馬に乗せてもらえるなんて夢みたいでございます」 私は上様にしっかりと包まれた腕の中でそう言った。
「だったら良かった・・・」
私は着物だったので、両足を揃えて横向きに馬に乗っている状態だった。だから、私の視線のななめ上には常に上様のお顔があった。
(こんな馬の乗り方は、漫画の世界だけかと思っていたわ。本当に私がこうやって馬に乗っているなんて信じられない・・・)
「お里、この体勢がつらくなったら言うのだよ」
「はい 上様の方が手綱を握りながら、私を支えてお辛くないですか?」
「いや こんな幸せなことはないよ」 そうおっしゃると私を見下ろされた。すると、とても近いところで目があった。私はとても恥ずかしくなり下を向いた。
「お里、顔が赤いな」 上様はわざと意地悪そうにおっしゃった。
「・・・」 私が何も言わなかったので、上様はクスッと笑われた。私は少し拗ねた振りをして、わざと上様にギュッと掴まった。今度は上様が少し照れられたようだった。そして顔を見合わせて二人でクスクスと笑いあった。
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