段取り
「お里、不安なことはないか? 何か用意してもらいたいものがあれば言いなさい」 最近の上様は私が村で不自由な思いをしないように、気にかけてくださってばかりだった。
「上様、おぎんさんとおりんさんにお任せしてありますので大丈夫でございますよ」 私は上様の気遣いが嬉しいながらも、取り立てて持って行きたいものもなかったのでそう答えた。
「そうか・・・だが、向こうへ行ってからも必要なものがあれば持ってこさせるから言うんだぞ。私たちは、状況を探るために行くがお里は向こうで少しでも楽しんでいてほしいからな」 私の肩に手を置いて、上様はおっしゃった。
「はい、ありがとうございます。どのような生活になるのか楽しみの方が大きくなっています」
「ああ 私も総触れもなくお里と一日一緒にいられることが楽しみだ」 上様は、そう言いながらいつものように私の膝に頭を乗せられた。
「ところで上様? 向こうでは上様はどのようなお名前で生活をされるのですか?」
「ああ 詳しく言ってなかったなあ・・・そのことも含め、昼から皆を集めて話をしようと思う」
「そうでございますか。わかりました」
「私はしばらく、非公式の旅程に出ることになっている。やはり、黙って城を開けておくより、旅に出ていると言った方がいいのではないかということになってな。特に変わったことはなさそうだが、何かあれば御台所の隠密が知らせにくることになっている」
「やはり、御台所様にも隠密が付いておられるのですね。いったい、どれだけの方がいらっしゃるんでしょう・・・」
「私も数はよくわからないのだ・・・取り締まっているものとだけしか話をすることはないからなあ・・・」
(この大奥で、しかも上様のお傍にいるから隠密という言葉をよく聞くだけで、普段の町の人たちは隠密なんて言葉も使わないでしょうね。なんだか不思議だわ)
「お里は隠密に興味があるのか?」 上様が尋ねられた。
「いえ そういうわけではございません。私の周りの隠密の方々は皆さん優秀な方ばかりで・・・他にもどのような方がいらっしゃるのかなと思っただけでございます」
「そうだな・・・村に行ったら、他の隠密とも接することがあるかもしれないな。その中で気に入ったものが出来たらと思ったら、私の方が少し不安になってきたな」
「上様・・・んん」 私が少し怒ろうかと思った瞬間、上様が起き上がられその口を塞がれた。顔を離された上様が「ハハハ、冗談だよ」 と笑顔でおっしゃった。急なことで真っ赤になってしまった私は、席をたちお茶を淹れることにした。上様はその様子をジッと見られながら「幸せだよ」 と呟くようにおっしゃった。「私もでございます」と言って笑顔で返した。
昼の食事を上様と一緒に済ませて部屋でくつろいでいると、菊之助様、おりんさん、平吉さん、おぎんさんがお部屋へ来られた。
「上様、みなで段取りの方を・・・」 と菊之助様がおっしゃった。
「ああ わかっている。はいれ。お里はこちらへ」 とご自分の隣をさされた。私が上様の隣に移動すると向かい合うように4人の方が座られた。菊之助様が話始められた。
「まず、上様には 多田 豊兵衛 と名乗って頂きます。庄屋の姓が多田でございましたので、そのまま使用し下の名は上様の幼名を少し使わせて頂きました」
「わかった。弥助だけは、いまだに豊丸と呼ぶからな・・・その方がいいだろう」 私は皆さんはどのように呼ばれるのか気になったので聞いてみた。
「あの・・・皆様は上様を何とお呼びされるのですか?」
「はい 私たちは庄屋への奉公人、使用人として同行させて頂きますので、上様のことは旦那様、お里殿のことは奥方様と呼ばせて頂きます」 と菊之助様が答えてくださった。
「わかりました」 奥方様と呼ばれることに違和感はあったけれど、これは仕方がないと受け入れることにした。
「お里も私のことを旦那様と呼ぶがいい。それとも、豊兵衛と呼ぶか?」 ニヤッと笑われながら上様がおっしゃった。
「旦那様と呼ばせて頂きます・・・」 私は下を向きながら答えた。
「そうか・・・残念だな」 上様はそう言うと、菊之助様の方を向かれた。
「出発の際は、上様は表から籠で向かって頂きますが、お里殿はおぎんとおりんと歩いて向かって頂きます。宿を用意してありますので、そちらで合流して次の日から一緒に村に向かいます」
「ああ わかった。おぎん、おりん、お里を頼んだぞ」
「はい 承知致しました」 お二人揃って頭を下げられた。
「村へは一日かければ到着するのですが、夜に到着するのは危険もあるかと思いますので、もう一日宿に泊まってから次の日の昼前に到着します」 菊之助様が続けられた。
「私とおりんは、すでにあちらに住まいがございますので庄屋の家には上様、お里様、菊之助様、おりんで住んで頂くこととなっております。近くに警護の隠密を配置しておりますので、ご心配なく・・・」 平吉さんが付けたされた。
「それから、食事は私とおりんとで作らせて頂きます。基本、材料は全て城から用意したものが届くようになっております」 おぎんさんが言われた。
「あの・・・お食事は私も作らせて頂けないですか?」 私が割って入った。
「お里、そのようなことはしなくていいのだぞ」 上様が優しくおっしゃった。
「お里様がお食事を?」 おぎんさんもとんでもないというような言い方をされた。
「お里様のお食事はとてもおいしいのですよ。ね、菊之助様」 とおりんさんが言われたのを菊之助様が「ああ とてもおいしかったです」 と返事された。
「そんな手の込んだものは出来ませんが・・・上様に私のお料理を食べて頂きたいと思っていましたので・・・出来れば、一緒にお台所に立たせて頂きたいのです」 私は以前おりんさんの家で料理をさせてもらったことが楽しかったので頼んでみた。
「そうだな、そう言っておったな。よし、じゃあ料理はお里にも任せよう。だが、疲れたときなどは2人に頼むようにな」 上様がお許しをくださった。
「はい ありがとうございます」 私は隣に座っておられる上様に向き直って頭を下げた。上様は笑顔で頷いてくださった。
「私もお里様のお料理が楽しみになってきました」 おぎんさんがそう言われた。
「では、家の中のことはお里様とおぎん、おりんと相談して決めるということでよろしいですか?」 菊之助様が上様に尋ねられた。
「ああ そうしてくれ。必ず、私にも報告するように・・・」 おりんさんをキッと見て上様はおっしゃった。その視線を受けておりんさんはニヤッと笑われてから「承知いたしました」と言われた。
「お里、他には不安はないか?」 上様が尋ねてくださった。
「はい 大丈夫でございます」 私は上様にそう答えた。
「それでは、出発はあさってになります。荷物はほぼ運び込みが終了しておりますので、また何かございましたら言ってください」 菊之助様が最後にまとめられた。
「上様、私はこの後村に戻らせて頂きます。あまり長いこと家を空けますと、不審に思われますので・・・おぎんは実家の手伝いが残っているので遅れて戻るということにしておきますので、よろしくお願い致します」 平吉さんがそう言われた。
「ご苦労だな。よろしく頼む」 上様がそうおっしゃったので、私も続いて「よろしくお願い致します」と頭を下げた。
さあ、いよいよ出発の日が近付いてきました。楽しみな反面少し不安もあるけれど、上様と一緒だと思うと・・・やっぱり楽しみです。
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