菊之助とおりん
次の日から、総触れには参加せず朝の食事が終わると、上様をお見送りしてから片付けや掃除を済ませた。庭掃除も最近忙しくしていてさぼっていたので、雑草を抜いたり、お花を植え替えしたりした。
「お里はジッとしていられないのだな」 戻られた上様が部屋から声をかけられた。
「はい、動いている方が楽しいのです」 私は笑顔で答えた。
「そうか。私は少し仕事をする。菊之助がきたら、そう言ってくれ」
「わかりました。菊之助様が来られましたら、お茶をお淹れいたしますね。今日は、お常さんが甘いお菓子を持ってきてくださいました」
「そうか、お里も一緒に食べるか?」
「私は、おりんさんが来られましたら一緒に食べたいと思います」
「わかった」 そうおっしゃると上様はお仕事の文机へ向かわれた。しばらくすると、菊之助様が来られた。
「お里殿、精が出られますね」 にこやかにおっしゃった。
「菊之助様、ご苦労様です。上様は先にお仕事をされているようです。ただいま、お茶をお持ちいたしますね」
「ありがとうございます」 そう言うとお部屋へ入られた。庭掃除を切り上げ、お茶の準備をして、上様の元へ持っていった。
「お里、ありがとう」 上様は大きく伸びをされ、少し休憩されるようだった。
「あの・・・少しお話をよろしいですか?」 私は上様と菊之助様を交互に見て言った。
「ああ かまわないよ」 と上様は不思議そうな顔をされた。
「それでは、私は少し席をはずさせて頂きましょうか?」 菊之助様がおっしゃった。
「いえ、菊之助様にお伺いしたいことがございまして・・・」
「私に?」 今度は菊之助様が不思議そうな顔をされた。
「はい、少し耳にした話なのですが・・・菊之助様は御実家に戻られる側室方に菊之助様に嫁ぎたいという申し出を受けられているとか・・・」
「えっ!」 菊之助様は飲んでいたお茶をこぼしそうになられた。
「そうなのか?」 上様は、少しニヤッとされて菊之助様を見られた。
「いや、えっと、はい・・・でもそれは・・・本気ではないかと・・・」 菊之助様はどう答えていいかわからないような返事をされた。
「では、本気ならば真剣にお考えですか?」 責めるつもりはなかったけれど、なんだか詰問をしているような言い方をしてしまった。
「そんなことはありません」 菊之助様はハッキリとおっしゃった。
「私もそうだと思います。ですが・・・おりんさんは不安がっておられます」
「おりんが? どうして?」
(やっぱり、菊之助様はわかっておられないようだわ)
「好いておられる方が、他の方に求婚されていれば不安になるのは当たり前でございます。菊之助様はおわかりではありませんか?」
「いや・・・それは・・・」
「では、もしおりんさんが他の方に求婚をされているとお聞きしたら菊之助様は不安になられたりしませんか?」
「・・・相手の男に腹が立ちます」
「そういうものです」
「でも、私はおりんのことを大切に思っているつもりですし、おりんもわかっているだろうと思うのですが・・・」
「はい、おりんさんは菊之助様のことは信じておられますし大切に思っておられます。でも、言葉にして欲しいと思うこともあるのですよ」
「ですが・・・一度、私から求婚したときには傍にいられればいいと・・・断られてしまいました」 少し落ち込んだように菊之助様が下を向かれた。
「それはおりんさんが菊之助様のご身分のことを思ったからではないでしょうか?」
「ですが、私は次男で嫡男には嫁も子もおりますし・・・その点では何も気にすることはないのですが・・・私は、てっきり断られたのだと思っていました」
「傍にいられればいいというのは、おりんさんの本心だと思いますよ。私も上様のお傍にいられれば、他に望むことなどありません」 そう言って上様を見ると、とても優しい笑顔で頷いてくださった。
「私もケジメを付けたいと思っているのですが、その機会を逃してしまい・・・」
(菊之助様は今までに見たことがないような顔をされているわ)
「菊之助様のそのようなお顔を見るのは初めてでございます」 私はフッと笑いながら言った。
「お里殿にこのようなことを言われる日がくるとは・・・」 菊之助様は恥ずかしそうにされた。
「私は面白いぞ」 横から上様がニヤニヤされながらおっしゃった。
「上様・・・ご勘弁ください」 菊之助様はお願いするように上様におっしゃった。
「菊之助様、上様のように正直に感情を出すのは難しいと思いますが・・・おりんさんを大切に思ってらっしゃるお気持ちは、お伝えされた方がいいのではないでしょうか?」 私はもう一度、菊之助様へ後押しした。「でないと、あれだけお綺麗なおりんさんです。どなたかに取られてしまうかもしれませんよ」 そして意地悪な顔をして笑ってみた。
「それは・・・困ります」 菊之助様はもう一度下を向かれた。その時、襖の向こうでコトッと音がした。私が立ち上がり襖の方へ行くと・・・おりんさんが座っていた。
「まあっ おりんさん!!」 私の声に菊之助様も立ち上がられた。
「おりん!!」
「申し訳ございません。お部屋に入ろうとしたところ、私の名前が聞こえたので・・・中に入る機会を逃してしまいました」 おりんさんは下を向いたまま言われた。下を向かれたままでも、耳まで真っ赤になっておられるのがわかった。
「上様、たまには一緒に庭で過ごしませんか?」 私は上様の方をみた。上様は頷かれて「そうだな、お里と一緒に庭掃除でもするか」と言って立ち上がられた。
「上様!!」 そう言われた菊之助様にも上様は頷かれた。
「では、おりんさん。お茶が冷めてしまいましたので、菊之助様に新しいお茶を淹れて差し上げてください」 私も立ち上がり庭へ向かった。
「お里様、ありがとうございます」 おりんさんが涙の浮かんだ目で私を見られたので、私はおりんさんに頷いてから笑顔で「正直な気持ちでお話してくださいね」と耳元で言った。すると、おりんさんも笑顔で返してくれた。
襖を閉めて、庭に出た私と上様は庭の大きな石に並んで腰を下ろした。
「お里?」
「はい?」
「わざとであったか?」
「何がでございますか?」
「あの時間におりんが来ることはわかっておっただろう? だから、わざと話をしたのではないか?」
「そうなればいいなと思っていましたが、あんなに上手くいくとは思っていませんでした。それにあんなに顔を赤くされて動揺される菊之助様はなかなかの見ものでございましたね」 私はフフフと笑い上様をみた。
「ああ いつも冷静な菊之助にもああいう面があったとはな・・・女のことになると男はダメだな・・・あとは二人次第だな」 上様は空を見上げながらおっしゃった。
「はい、お二人ならきっと上手くいきます」 私も一緒に空を見上げた。
しばらくして、襖を開けられたお二人は少し恥ずかしそうに私たちの方を見られた。
「上様、お里殿、私たちのためにお時間を作って頂きありがとうございました」 そう言いながら二人揃って頭を下げられた。
「ああ」 とだけ上様は返事をされた。私はおりんさんの顔を見るととても幸せそうな笑顔を向けられたので、ホッと胸をなでおろした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
本格的に寒くなってきましたが、皆様お風邪などひかれませんように。
休息のお供には引き続き、読んでくださると嬉しいです。




