お迎え
その後、おりんさんもお仕事に向かわれた。私は、先に食事の片付けをしてしまおうと台所に向かった。シンと静まりかえった家で、例の階段の方から足音が聞こえてきた。私はドキリとして色々と考えた。
(菊之助様とおりんさんは玄関から出て行かれた・・・あと、こちらに来られるとしたらおりんさん? とりあえず、隠れておいた方がいいかしら?)
そう思い、玄関の錠を開けておき逃げれるようにしてから竈の横に座り込んで様子を伺うことにした。足音は段々と近くなり、最後の階段を上がってくるようだった。階段を上りきると、足音は止まりどうやら周りを見渡しているようだった。私は、心臓をドキドキさせながら竈の横からそっと様子を覗いてみた。
上様だった!! 私は驚いて立ち上がった。
「上様?」 急いで上様に近づいた。上様は私の方を見られて、一瞬驚かれたようだった。
「おさと・・・」 そう言ったあと、少しとまどったお顔をされた。
「どうして、ここへ? まずは、居間の方へお上がりください」 そう言って居間の方へ案内した。上様はここへ来られたのは初めてなのか、辺りを見回しながら居間の方へと向かわれた。
「今、おりんさんはお仕事に出られていて私は一人でお留守番をしているところでした。台所で洗い物をしようと思っていたところで、そちらから足音がしたので、驚いて隠れてしまいました。驚かれたことでしょう?」 と笑いながら話した。
「ああ・・・」 そうお返事だけされた。私はそのまま台所に立ちお湯を沸かした。
「上様、お茶をお淹れいたしますので少しお待ちくださいね。それとも、お急ぎですか?」
「いや、急いではいない」
(きっと上様は私を迎えにきてくださったのだわ。今は、何を話していいのか戸惑っておられるようだから、私は普通に接していよう)
お茶を淹れ、上様がおられる居間まで運んで私も席に着いた。上様はお茶を一口飲まれても、何を話していいか迷っておられるようだった。
「上様? 私を迎えに来てくださったのですか?」 自分から尋ねてみた。
「・・ああ・・お里は戻ってきたいか?」 上様はまた不安そうなお顔で尋ねられた。
「もちろんでございます。今日もこうやって上様が迎えに来てくださって嬉しく思っています」 と笑顔をむけた。
「本当か?」 上様はもう一度尋ねられた。
「はい」
「良かった・・・お里があまりにも爽やかに振る舞うので、何か吹っ切れたのかと・・・」
「はい、吹っ切れました。上様の嫉妬は、私のことを大切に思ってくださるからなのだと・・・信用してくださっているのと、嫉妬とは別のものだとわかったのです」
「そうか・・・ありがとう・・・それから、すまない」 そう言って頭を下げられた。
「謝らないでください。私も悪いのでございます。申し訳ございませんでした」 そう言って私も頭を下げた。私たちは顔を見合わせて笑い合った。
「上様? ひとつだけよろしいですか?」
「ああ」
「嫉妬をされた場合は、嫉妬をしていると素直におっしゃってください。そうすれば、私は何度でも上様だけを見ていますと言うことができます。言ってくださらず、ただ怒っておられては私にはわかりません。だって、私は誰によそ見をすることなく、上様だけをいつも見ているのですからね」 そう言って私から手を取った。
「ああ すまなかった。これからは、お里に必ず話をする」 そう言って手を握り返された。私は上様のお顔を見て頷いた。すると、上様は私に近寄られ抱き寄せてくださった。久しぶりの上様の温もりがとても心地よかった。
「ところで、上様? ここへ来られていることは菊之助様はご存知なのですか?」
「いや、一人で考えていたらやっぱりお里に会いたくて・・・何も考えず来てしまった」 と苦笑いされた。
「それはいけません。菊之助様が慌てられておられます。とにかくお戻りください」
「でも、お里まだ話したいことが・・・」 上様は意を決せられたようなお顔をされた。
「私は、夜の総触れが終わりましたらお部屋に戻らせて頂きます。その後、ゆっくりお話しませんか?」
「今日戻って来てくれるのか? わかった。では、今は一度戻ることにする」 笑顔でおっしゃった上様が本当に愛しかった。
「はい、では後ほど」 と私は上様のお履き物を揃えようと立ち上がると上様も立ち上がられた。そしてもう一度抱き締められた。
「お里、必ず帰ってきてくれよ」 念を押すようにおっしゃった。
「はい、もちろんでございます」 私は笑顔で答えた。
夕方までに食事の準備をして、おりんさんの帰りを待った。土間や台所の掃き掃除をしているときにおりんさんが帰って来られた。
「おりんさん、おかえりなさいませ」 私は笑顔でおりんさんを迎えた。
「お里様、ただいまもどりました」
「お夕食の準備は出来ていますからすぐに準備いたしますね」 そう言って食事の準備にとりかかった。
「お里様、こんなによくしていただいては私がお部屋にお戻しするのが惜しくなります」 おりんさんは苦笑いをされた。
「こんなことで良ければ、いつでも私はここへまいりますよ」 私もここで動いていることが楽しかったので、本当にまた来たかった。
食事をしながら、おりんさんに上様が来られたことをお話しした。
「上様は我慢お出来になりませんでしたか」 そう言ってニヤっと笑われた。
「でも、お迎えに来てくださって嬉しかったです。言いたいことも言えました。上様もこれからは、一人で不機嫌にならずに話をすると言ってくださいました。おりんさんのおかげです。ありがとうございました」
「私は、お里様とここで過ごせて得をいたしました。とても楽しかったです。こちらこそ、ありがとうございました」 お互いに頭を下げた。
「それから・・・おりんさんには言っておいた方がいいかと・・・」 私は急に恥ずかしくなったが、例の件を言った方がいいかと思った。
「どうされましたか?」 おりんさんは不思議そうな顔をされた。
「あの・・・お仲様にお伺いしたのですが・・・上様は、ご側室と褥を共にされるときご自分からは触れられないそうです。上様がご自分から触れられない場合のご指南をお手付きの前にはされるそうで・・・」
つまりながら話したが、恥ずかしさで真っ赤になった。
「お里様・・・真っ赤でございますね。お可愛い」 おりんさんがニヤニヤされた。そして続けられた。
「私もさすがに褥の中のことは知りませんでした。でも、それが上様のけじめなのでしょうね。感情を持っていないと、ご側室の方々にも知らされておられるのでしょう」
「そうかもしれません」
「お里様はしっかり愛されておられますね。本当に羨ましいです」 おりんさんが少し寂しそうお顔をされた。
「おりんさんだって、菊之助様と仲良くされているでしょう?」
「だといいのですが・・・」
「おりんさん?」 私は何か言いたそうにされている様子が気になった。
「また、聞いてくださいますか?」
「もちろんでございます。友同志、恋のお話もしましょう」 そう元気づけるように笑顔で言った。
「はい、ありがとうございます」 おりんさんも笑顔に戻られた。
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