着付け
次の朝目覚めると、上様の視線を感じた。上様の方をみると、しっかり目を覚まされていたようで思い切り目が合った。私は、恥ずかしくなったが「おはようございます」と挨拶をした。上様も「おはよう」と笑顔で返してくださった。
「上様? もう起きられますか? 今から支度をさせて頂きますね」 と言って起きあがろうとした私に上様は抱きつかれて、もう一度布団に寝かされる形になった。
「まだ、起きるとは言っていない」 とおっしゃり、唇を重ねてこられた。しばらく、甘い時間を過ごしたけれど
「上様、そろそろ菊之助様がお迎えに来られます。起きてください」 と私は布団から出た。
「わかった」 と上様も素直に言ってくださった。昨日の夜と同様に、モタモタしながらお着替えを手伝い、少し落ち着いたところに菊之助様が来られた。
「おはようございます」 私は頭を下げた。
「ご準備は出来ているようですね」 菊之助様がおっしゃった。
「はい。ただ・・・上様のお着物はこれでよろしかったですか? なかなか上手に出来ず・・・菊之助様にご確認頂ければと思います」
「わかりました。お部屋を出る前に少し直しておきますね」 菊之助様は別に気にすることはないですよとも言ってくださった。
「でも、上様のお着替えがお手伝いできるくらいにはならないと・・・どなたか、練習させて頂ける方はございませんか?」 私は、もっと上手に着付けが出来るように練習しておきたかった。
「はあ・・・でもここに出入りできる男は私だけですので・・・」と菊之助様は困ったようにおっしゃった。
「それでは菊之助様、お時間があるときでかまいませんので練習のお相手を・・・」とお願いしようとしたとき
「それはならん! 練習するなら私でしなさい」 と上様がおっしゃった。
「上様に練習にお付き合い頂くのは・・・」と言おうとしたとき、また途中で遮られた。
「私なら、全然かまわない。 いいな」 少し怒ったようにおっしゃった。
「わかりました。上様、よろしくお願い致します」 そう言うと、上様はうんと頷かれた。
「まあ、上様が了承されるとは思いませんでしたが・・・それでは、上様一度中奥へ! お里様は、もうすぐおぎんかおりんが来ますのでお着替えをして御鈴廊下へ向かってください。お清殿からそちらで指示があると思います」
「はい、わかりました」 と言って頭を下げた。
「それではお里、総触れが終わったら一緒に食事をしよう」 と上様はお部屋から出て行かれた。
上様がお部屋から出て行かれるとすぐにおぎんさんがお部屋に来てくださった。
「お里様、おはようございます。早速お着替えを致しましょう」 と笑顔で言われた。
「おぎんさん、おはようございます。よろしくお願いいたします」 そう言うと、おぎんさんは素早い手つきで着替えを始めてくださった。私は着替えをしている間に、先ほどの上様と菊之助様とのやりとりを話した。
「お里様がそうやって菊之助様に頼まれれば、上様がそう言われるのはわかっていることですね」 おぎんさんが、笑いながら言われた。
「でも、上様をお相手に練習なんて・・・それに男性の方でそんなことを頼める方はいませんので・・・」 私はどうすれば良かったのか、悩んだ。
「上様が自分で練習するようにおっしゃったなら、もう決まりでございますね」
「やっぱりそうですか・・・」
「お里様、私とおりんが時間があるときは着付けをお教えしますよ」
「本当でございますか?」
「私たちをまず頼ってくださらなかったことが、少し寂しいです」 おぎんさんはわざと口を尖らせられた。
「男性の方に教わらなければと思いこんでおりました」 と言いながら頭を軽く下げた。
「上様にもご協力頂いた方が、早く覚えられるとは思いますのでこの際練習相手になって頂きましょう」 と舌を出された。
「改めて、上様にお願いしてみます」と言うと、「お里様がお願いされれば上様はまた上機嫌になられます」 とニコリと笑われた。
今日からは側室ではなくただの御中臈なので、長い廊下を一人で御鈴廊下まで歩いていった。一番手前の襖でお清様が待っていてくださった。
「お清様、おはようございます」
「お里、おはようございます。こちら側から入れば、廊下には並ばない御中臈が並んで座っています。あなたは一番後ろの一番廊下側に座っていなさい。終わったら、すぐにお部屋へ戻るように。いいですね」
「はい、承知いたしました、ありがとうございます」 そう言って、お清様から教えて頂いた廊下を歩いていくと何人かの方が既に並んでおられた。私は、一番後ろの一番手前にそっと座った。周りは私語をされている方もおられず、皆さん姿勢を正して前だけを見ておられたので少しホッとした。
しばらくすると、廊下の方も皆さんが並ばれ始められたのか騒がしくなってきた。私の位置からは全く見えなかった。
(向こうからも見えないように、お清様が配慮してくださったのだわ)
鈴の音が聞こえると、一瞬で静かになった。足音が聞こえ始めると、私たちも頭を下げた。足音と混じって着物の擦れる音がすると、まず上様が広座敷の中へ入って来られた。私の位置からは肉眼でお顔を確認するのがやっとというほど遠かったので、以前よりずいぶんリラックスして周りの様子を観察できた。
特に連絡事項もなくすぐに総触れは終了したので、私は側室方がこちらを通られる前に座敷を出て自分の部屋へとむかった。部屋へ戻るとおりんさんが朝のお膳を持って来てくださっていたので、打ち掛けを脱いで準備を手伝った。準備が整うと、ちょうど上様がお部屋に入って来られた。
「お里、総触れご苦労であったな」
「上様もご苦労様でございました」 私は頭を下げてお出迎えした。
「ああ、腹が減った。早速食事にしよう」 上様はそのまま席に着かれた。
「かしこまりました」 私はおりんさんに頷いて、自分も席に着いた。
食事をしながら、お清様にご配慮頂き目立つことなく総触れに参加できたことを報告した。すると、上様はニヤッと笑っておっしゃった。
「私はお里を見つけたぞ」
「えっ?」 私からは肉眼でやっとだったのと、上様の方からでは沢山の着物を着た女性の中から見つけることが本当に出来たのか疑問だった。
「一番入り口に近い方にいただろ?」
「はい。そうでございます」
「お里のいるところには、私だけがわかる灯りがともっているからな」
「・・・」
(おりんさん、無言の無表情です)
私は苦笑いをした。と同時に恥ずかしくなり、さっさと食事を済ませることにした。
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