昇格
私が根付が戻ってきたことに浮かれていたので、おりんさんが急に真面目な顔をされた。
「お里様? 御台所様はなんと?」
「はい。御台所様は上様と私のことをご存知でした」
「えっ?」 このことは、さすがのおりんさんもご存知なかったようだった。
「その上で、認めてくださったのです。上様が心から愛しいものが出来たことを嬉しいと言っておられました」
「私たちは、御台所様とお会いすることはありませんので、今日は本当にどうなることかと思いました。とても、慈悲深いお方なのですね」
「はい。それほど、上様のことを大切にされているのだろうと思います。そして、大奥のことをとても考えておられました」
「そうでございましたか。だったら、上様も言ってくだされば良かったのに・・・」おりんさんが少し怒ったような言い方をされた。
「上様にもお考えがあってのことでしょう」 私はおりんさんに笑顔で答えた。そんな話をしていると、襖の向こうから足音が聞こえてきた。
「お里、入りますよ」 お清様の声だった。
「はい、お入りください」 お清様はいつものように颯爽と入ってこられ、私の前にお座りになった。私が席を譲ろうとすると、「そのままで」とおっしゃった。
「お里、2週間ご苦労様でしたね」
「お清様にはお世話になり、ありがとうございました 」私は、頭を下げた。
「先ほどは驚いたことでしょう。私もあの場で御台所様があなたにお話をされるとは知りませんでした。ですから、驚きました」 お清様が苦笑いをされた。
「そうでございましたか」
「それで、本日あなたたちはこの後、部屋の整理をしてそれぞれの持ち場に戻ってもらいますが、最後にもう一度広座敷に集まってもらいます」
「はい。承知いたしました」 私はもう一度頭を下げた。
「お里、あなたは本当に知らない間にみなを虜にしてしまうようですね」
「???」(今日はこのお言葉を聞くのは2度目です)
「いえ、こちらの話です」 お清様はそう言われるとクスッと笑って部屋を出て行かれた。
「いったいどういうことでございましょう?」 おりんさんもお清様が何故そのように言われたのか不思議がられていた。私もおりんさんの方を向いて、首を振った。
「とりあえず、広座敷の方にむかいましょうか」 おりんさんがそう言われたので、私も返事をして立ち上がった。
広座敷に行くと、まだ誰も来られていなかった。初めてここへ来たことが遠い昔のように思い出された。
(まだ2週間しか経っていないのよね)
私は、以前と同じように一番下座に座った。しばらくして、お滝様とお雪様が同時に来られた。それぞれ、以前と同じ並びで座られた。お滝様の侍女さんと目が合ったときに、お滝様にはバレないように目で挨拶をした。向こうもそれに気が付かれ目で挨拶を返してくれた。
「それで、御台所様のお話は何だったの? 」気になって仕方がなかったのだろう、お雪様が座られるとすぐに聞いてこられた。
「はい・・・あの・・・ 」私はどう答えていいかわからなかった。簡単に口にすることは出来ない話ばかりだったので・・・
「そんなにもったいぶることないんじゃないかしら?」 お滝様も続いて話された。それでも、口ごもっている私にお二人は苛立っておられるようだった。そのとき、廊下からお清様が入ってこられた。
(助かった・・・)
私たちは頭を下げて、お清様が部屋に入って来られ座られるのを待った。
「2週間、ご苦労様でしたね。お敦は、こちらに来なくても良いと私から話をしたため、早速元の仕事に戻ってもらっています」
(もう私の見張りは必要なくなったから、御台所様のところへ戻られたのね)
「あなたたち3人も部屋の片づけが終了したらそれぞれの部屋へ戻り、明日から以前と同じように働いてもらいます」 そう話されたことに反応されたのはお雪様だった。
「お清様? 私たちはお手つきを頂けることはないのでしょうか?」
「今後、どなたかお手つきのものを推薦する場合には可能性があるかもしれないということだけしか今は言えません」 お清様がピシャリとおっしゃった。
「そうでございますか。承知いたしました」 お雪様はそれ以上は聞かれなかった。
「お里には、今後御膳所勤めではなく御中臈となってもらいます」
「えっ?」 3人同時に声を上げた。
(御中臈になるってどういうことかしら・・・)
私は、どうしていいかわからずおりんさんの方を見た・・・おりんさんも驚かれた顔をされていた。
「ただし、今までのようにお夕様付きというかたちになるので御膳所での仕事はなくなりますが、今まで以上にお夕様に尽くしなさい」
(これは、お引き受けしなくてはならないことよね)
「はい。承知いたしました」 私は、頭を下げた。
「どうして、お里様が御中臈に?」 少し不服そうにお滝様がおっしゃった。
「御台所様よりのお達しです。何か不満がおありですか?」 お清様はお滝様をするどい目線で制された。
「いえ、何もございません」 お滝様は、下を向かれた。
「お里、わかりましたね? これは、御台所様がお決めになられたことです。あなたは今後御中臈として、お夕様に精一杯尽くしなさい。とのことです」
「御台所様のお気持ちにお答えできるよう、精一杯勤めさせて頂きます」 私はこのことが御台所様の計らいであることを改めて知り、懐の深さに感激していた。それと同時に、上様に尽くすことを許された喜びを味わった。
「それでは各自、ご自分の部屋に戻りなさい」 そう言われると、お清様は部屋から出て行かれた。お清様がいなくなられ、また私たちだけになるとお雪様がまだ納得できないといわんばかりに私に話してこられた。
「これでは、今回お里様だけが出世したようなものね」 そういうお雪様の横でお滝様は笑っておられた。
「お滝様? 何がおかしいのですか?」 お雪様は少しムッとされた様子でお滝様を見られた。
「だって、御中臈になったといってもお夕の方様の雑用係には変わりないじゃないですか。お里様は、1度お夕の方様の計らいでお手つきになる機会を頂かれているのですよ。それでダメだったんだから、2度とお手つきになることはないでしょう? ふふふ・・・ 御中臈にされたのは、敏次郎様を守られた御台所様からのお礼といったところでしょう」
(なるほど・・・そういう考え方があるのですね・・・お滝様すごい)
私は感心して、お滝様をジッと見つめてしまった。このお方はとても逞しいと思いながら・・・そんな私の視線には気付かず、お滝様はお雪様の方を見られ「だから、お雪様もそんなに腹を立てられなくても」と笑いながら言われた。
お雪様もなるほどと思われたのか「そうですね」とお滝様の考えに同調された。私は一方的に進んでいた話を、黙って聞いていた。おりんさんが後ろから「お里様、そろそろお部屋に戻って準備を・・・」と言ってくれたので、席を立つ口実ができた。私はお二人に向き直って
「本当にこの2週間ありがとうございました。またお会いしましたときは、よろしくお願いいたします」そう言って、頭を下げた。
「御中臈となられたからには、またお会いする機会があるでしょうね。こちらこそよろしくお願いします」 とお滝様が軽く頭を下げてくれた。「私も・・・」と続いて、お雪様も頭を下げられた。
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