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あーちゃんのアンティーク  作者: つばさねずみ
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ガラクタのオルガンが十万円で売れたでござる

 自転車を必死にこいで汗だらだらになりながらようやく家にたどりつくと、骨董屋の前におじいさんがたたずんでいた。ガラス戸に向かって立ち「準備中」と書かれた札をながめている。

「ああああ、今開けます、ちょっと待ってくださいね」

 自転車の後輪をすべらせながら停めたあずは頭を何度も下げながら、家の鍵を取り出そうとカバンの中を引っかき回す。

「そんなにあせらなくてけっこうですから」

「いいえ、すぐ開けます」

 とは言うもののこういう場合、あせればあせるほど事態は悪化するもので、たしかにカバンに入れておいたはずの家の鍵が見つからない。何をやってもドジなあず。

 とうとうその場にしゃがみ込んでカバンの中の教科書やノートをぶちまけて、カバンを逆さにして振るとようやく中からチャリンと鍵が落ちた。

「ありました、ありました」

 あずは額の汗をブラウスの袖口でぬぐって微笑んだ。おじいさんもつられて笑う。

 骨董屋のガラス戸を開けておじいさんを中に案内し、あずは自転車を押して裏口へ回り、さてどうしたものかと考える。

 おじいさんはオルガンを買いにきた。しかし、いまだあのオルガンの値段がわからない。頼りはママだけ。パソコンを起動させるとママからのメールが来ていた。さすがママ。


 あーちゃんへ。

 好きな値段で売りなさい。以上。

 ママより。


 うひゃー。なんだ、これだけ? 殺生な。あずはがっくりとひざをついた。力の抜けた体で畳の上を這っていき、携帯電話に手を伸ばしてママに電話をかける。やっぱり留守電だ。

「ねえママ、どういうこと? お客さん来てるんだけど、どうしたらいいの?」

 悲鳴のようなメッセージを吹き込むと、すぐに折り返しママから電話がかかってきた。

「あーちゃん? メール読んだんでしょ」

「読んだけど、好きな値段って言われても……」

「だから、あーちゃんが送ってくれた写真見たけど、メーカー名も製造年もわからないじゃない」

「だって、ラベルとかないし」

「その程度の製品なのよ、ただの古いオルガン」

「そうなの?」

「近くのアンティーク・ショップに行って見てもらったけど、やっぱりあの写真だけじゃわからないって。ブランド物ではなさそうだし、たぶん個人が趣味で作ったものじゃないかって。楽譜もついてないし音だって変なんでしょ、だからそんなに値の張るものじゃないわよ」

「好きな値段で売っていいの?」

「そうしなさい。あとでパパになにか言われたら、ママがいいって言ったからって、言いなさい」

「うん」

「もともとあの人が値段を付け忘れるのがいけないんだからさ」

 ママはそう言って電話を切った。

 あずは取り置きしていたオルガンを持って店に出た。おじいさんは手を後ろに組んで、古い茶碗を見ていた。あずの気配に気づいて顔を上げる。

「たいへんおまたせしました。こちらでよろしいですね」

 あずが差し出した手回しオルガンを見て、おじいさんは満足そうに目を細める。

「おいくらですかな」

 そう訊かれてあずは心臓がドキドキするのを感じた。お客さんと面と向うとやっぱり緊張して変な汗がでる。

 おじいさんはきっと骨董マニアでこういうものの値段はよく知っているはずだ。もしかしたら、この店のことを試しているのかもしれない。

 この世界は魑魅魍魎、バケモノがうじゃうじゃいる世界だってパパが言ってたけど、そんなことを思い出しちゃうと上品なおじいちゃんがじつはバケモノが変装した姿に見えてくる。取って食われそうだ。

 売り手と買い手の腹の探り合い。あんまり安い値段を言っちゃうとその程度の店だと思われちゃうし、高すぎても悪徳業者だと思われる。ちょうどいい値段っていっても、そんなのあたしにわかるわけないじゃない。

「えーと、十万円です……」

 最後のほうは消え入るような声になった。

 言ってしまってから、やっぱ高過ぎだよなあ、と思った。父がそんな高いものを仕入れてくるはずはないのだ。高いと言われたらすぐに値引きしよう。

「はい」

 おじいさんはひとつ平然とうなずいて、背広の胸ポケットから黒い革の札入れを取り出した。

 えーっ、そんなに高くていいの? こんなボロっちい木の箱、音が出るかどうかもわからないオルガン。そうだ、おじいさんはまだこのオルガンの音を聞いてないわよね、楽譜がついてないってことも知らない、楽譜がなければ演奏できないわよね、そうだ、ちゃんと説明しなくちゃ。

「あのう、このオルガン、もうここにずっと置きっぱなしだったから、動くかどうかわからないんですけど」

 そんな重要なことをいまさら言うなって話だが、あずは心配になってそう尋ねてみた。

「ずっと動かしてないのですか?」

「あ、ちょっとだけ、このハンドルを回してみたんです、でも音が出なくて、たぶん専用の楽譜がないとダメなんだと思います」

「ほう、そうですか」

「あ、もう一度試してみましょうか」

 あずはそう言ってハンドルに手をかける。

「ああ、いやいや、音が出ないなら出ないで、それも一興です。自分で修理してみましょう、それもまた骨董品を買う楽しみです」

 おじいさんはおだやかな顔でそう言った。

「でも、壊れたものを売ったとなるとなんだか申し訳なくて……」

「そんなことは気にしなくてかまいません。私がこれでいいと言っている、これが欲しいと言っている、あなたは売ってくれると言っている、それで売買は成立です。お互いが納得して取り引きをしている、それが商売というものです」

 なんと奇特なお方だ。こんなこわれてるかも知れないオルガンを十万円で買ってくださるとは。もしかしたらボランティア団体のお方? このお店があまりに不憫でお恵みをくださっているのかしら。

 おじいさんは札入れの中からピンと張った一万円札を数枚抜き取り、それを十数えてあずに手わたした。

 本気ですか? あとで返品したいと言っても聞きませんからね。

 あずは心の中でそうつぶやきながら代金を受け取った。

「包装しますね」

「いいえ、このままでけっこうです。抱えて帰りますから」

「そんなあ、重たいですよ、おうちまでお運びしましょうか」

「いえいえ、これはストリート・オルガンともいいましてね、もともと抱えて演奏するものなのです。ほら、ここのところにベルトを取り付けるでしょ、それを首からかけて、町のどこにでも出かけていって好きな場所で音楽を奏でることができるんですな」

 おじいさんはそう言って、あらかじめ用意していたベルトを手際よく取り付けて、ひょいとオルガンを抱えた。その姿はきまっていて、ベテランのミュージシャンを思わせた。

「それじゃ、失礼します。お嬢ちゃん、いい品物をどうもありがとう」

 にっこり笑って頭を下げると、手回しオルガンを抱えたまま店を出て行こうとする。あずは先回りして、玄関のガラス戸を引き開ける。

「こちらこそありがとうございました」

「そうだ、お店のご主人は?」

「あー、今日も運悪く仕入れに出てまして」

「そうですか、お忙しいんですな。かなりの目利きのようですから、一度お話をしてみたかったのですが」

「すいません、あたしで」

「いえいえ、お嬢ちゃんはよくやってますよ。ただもう少し欲張ってもいい。商売ですからね、こちらが言い値でいいと言った、それならもっと吹っかけたっていいんですよ。十万が二十万でも、私は買いました。いや、五十万、百万でも買いました」

「そんなに?」

 あずは驚いて声をあげた。

 おじいさんは優雅に微笑んで、分厚く膨らんだ札入れを見せる。

「そのためにほら、こうして軍資金を用意してきた」

「このオルガン、そんなにするものなんですか?」

「さあ、こういうものは人によりけりですからね。私には価値のあるものでも、他の人にはガラクタかもしれない。こんなものに十万円も出して、と思う人もいるでしょう。だけど、お金では計れないものがこの世にはあるんですよ」

「そういうものがあるって、いいですね」

「お嬢ちゃん、お名前は?」

「あずです、あーちゃんって呼ばれてます」

「あーちゃん」

「はい」

「きみは素直でいい子だ」

 おじいさんは目を細めてうなずいた。オルガンを大事そうに胸に抱え直して店を出る。

「それじゃあね、ありがとう。いい買い物をした」

「いいえ、こちらこそ、どうもありがとうございました」

 あずも一緒に店を出て、おじいさんを見送る。おじいさんは歩いていく。そのうしろ姿はセーヌ川のほとりからやってきた大道芸人のようだった。あずは深々と頭を下げた。おじいさんが手回しオルガンのハンドルを回した。するとどうしたことか、ふがふがきろろ~、と音が鳴った。あずはびっくりして顔を上げた。おじいさんの姿は街角に消えていった。それでもオルガンのやさしいような情けないような不思議な音色が風に運ばれてここまで届いてくる。あずのほっぺたが、なぜだかぽかぽか温かくなった。

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