ピンポンタヌキと吸血モモンガ
放課後。今日はさんざん先生たちにおこられた日だった。まあ今日に限らずいつもだけど。しかし授業が終わったからといってそれですぐ帰宅ってわけにはいかなくて、これから部活動があるのだった。これがまたみんな熱心で、学校の方針によってみんな何かしらの運動部に所属しないといけない決まりになっている。
ところがあずときたら勉強に続いてスポーツも大の苦手なのだった。それでも強制的になにかをやらなくちゃいけないってんで、運動量が少なそうな卓球部に入った。これが甘かった。卓球ってあの小さなピンポン玉をこれも小さなラケットで打ち返さなくちゃならなくて、めちゃくちゃ反射神経が必要じゃん。頭にハエがとまっても気づかないようなあずの能力じゃ、とてもじゃないが無理。
それに顧問の先生が、中学から大学までずっと卓球部でオリンピックも目指していたっていうとんでもない怪物みたいな熱血教師で、そのわりには太っているからピンポンタヌキってあだ名で呼んでるんだけど、もう卓球に命かけてるって感じでびしびし部員をしごくんだよねえ。
腕立て伏せ百回、反復横とび三十分、腿上げランニング百回、ラケットの素振り百回、なんかもう無茶苦茶なスケジュール組まれてて、あたしらべつにオリンピック目指しているわけじゃないんですけど。
ああもっと楽な部活にすりゃよかった、と後悔するも遅し、だけどほかに楽な部活ってのもなくてぜんぶしんどいんだけど、勉強もスポーツもできる子になるっていうのが学校の方針らしくて、そりゃなんでもできるのが理想だけど、できない生徒もいるのよ、大人の理想を子供に押し付けちゃダメよ。
それにしても腕立て伏せ三回でダウンしてしまうあずが百回なんてノルマをこなせるはずもなく、他の部員たちがせっせと練習に励んでいる横で、いつも早々に音を上げてへたり込むのがいつもの光景だった。
「こらあ、誰が休んでいいと言った」
顧問のピンポンタヌキが竹刀を片手にあずをにらみつける。
「あ、あ、あのう、今日はおなかが痛くて」
「また仮病だろ」
「そんなことありません、横っ腹がしくしくと」
「ほんとうなのか?」
「はい」
「それじゃ、保健室に行くか」
「え、はい」
とりあえず猛練習から抜け出すことができた、ラッキー。と思ったのもつかの間、保健室に行くふりをして逃げ出そうかと思ったが、ピンポンタヌキはずっとあずのことを見張るように付き添ってくる。どこまでも信用されていないあずであった。
保健室というとそこにやさしい女の先生がいて、たとえ仮病でも、ちょっと横になって休んでなさい、なんて気を遣ってくれそうなものだけど、この学校の先生はもうすっごいやる気まんまんで仕事熱心。ったく、いやになるんだけど、どうやらこの学校の方針でそういう先生ばかりを集めているようだ。
「おなかが痛い? 横腹がしくしくと、それはたいへん、盲腸かもね」
あずはベッドに横にさせられ、おなかのあちこちを指で押されて、「いたくない? ここは? こっちはいたい?」なんてことを調べられることになった。
保健室の先生のあだ名は、吸血モモンガ。
「ちょっと採血して調べましょうね」
先生はあずの腕を取って袖をまくった。この先生、なにかと言えば生徒の血を採って調べたがるのだ。それでつけたあだ名が、吸血モモンガ。
「あ、いえ、いいです、あの、おなか、治りました、治りましたから」
あずといえば注射が大の苦手、そんなたかが仮病で血を抜かれていたら、貧血くらくらになってしまう。
「だけど念のために調べてみないとね」
吸血モモンガはもう採血するものと決めてゴムひもやら脱脂綿やら消毒薬やらの準備を着々と始めている。しかもその姿は楽しそうなのだ。まるで美女の首筋を狙っているドラキュラ伯爵のように。
まあ、あずは美女というのとはちょっとちがうけど。それはさておき、このまま黙っていたら腕に注射針を刺されて血を抜かれる、さあたいへん。
卓球部のピンポンタヌキはあずを保健室まで送り届けると出て行った。あずはベッドから飛び起きると、そのままうつぶせになって腕立て伏せを始めた。
「まあ、あーちゃん、何してるの」
「だいじょうぶです、元気です、ほら、こんなに動けます」
と言いながら腕立て伏せをするのだけど、やっぱり三回しかできない。それでベッドにへたり込むと、吸血モモンガは「ほらごらんなさい、具合が悪いんでしょ、無理しちゃダメよ」と、ついに注射器を持ち出した。
「あ、いえ、だいじょうぶです、元気になりましたから、練習に戻ります」
あずはベッドから飛び降りて、今度は反復横とびを始める。しかしそれも靴下がリノリウムの床でつるつる滑って、数回でダウンする。
「あずさん、もしかしたら他の病気かもしれないわね」
「他の病気って?」
「頭のほうの」
「いいえ、ちがいます」
「そうかしら、なにか悩みごとでもあるんじゃない?」
「悩みはないです、こう見えても健康優良児なんです、あたし」
あずは今度は両方の腿を高く上げてその場ランニングを始める。はあはあ、息を切らしながら。
「そういうことは、体育館でやってくれないかしら。ほこりが立っちゃうし」
「ですよね、じゃ、体育館に戻ります」
あずは助かったとばかりに、吸血モモンガに背を向けて保健室から逃げ出す。まったく、この学校の中には息をつける場所さえない。
このまま体育館に戻るなんて真っ平ごめん。あー、だけど部室で体操服に着替えたからカバンと制服はそこに置いてあるのだった。と、そう思ったときに天の恵み、水飲み場で雪乃ちゃんを発見。
「ユキノン、お願いがあるの」
「なに?」
バスケット部の雪乃は休憩時間に水を飲みにきたのだった。
「あたしのカバン、卓球部の部室から取ってきてくれないかなあ」
「どうして?」
「これからすぐに帰らなくちゃならない用があるの」
「あー、お店のこと? おじいさんがオルガンを買いにくるって」
「そうそう。だけど、あのピンポンタヌキ、帰るの許してくれないのよ。それで仮病使ったりしたんだけど、今度は吸血モモンガに血を抜かれそうになって」
「なんだか楽しそうね」
「楽しくないよお、早く帰ってお店開けなくちゃならないの」
「ピンポンタヌキならさっき職員室の方に歩いていったけど」
「そうなの!」
あずは一目散で卓球部の部室に戻ると、自分のカバンと制服を取り自転車置き場に向って駆け出した。中庭を横切っていこうとしたそのとき、「おい、あーちゃん」と野太い声が聞こえ、振り返るとカッパゴリラがこちらをにらんでいた。
「グランド十周だぞ」
「あ、あの、急におなか痛くなって」
「いま走ってたじゃないか」
「いやあ、治ったと思ったらまた急に、しくしくと」
「おまえな、嘘ついてもダメだぞ、嘘つくと髪の毛がぴょんと跳ねるんだから」
あずは手で髪の毛を押さえる。
「ほんと、おまえは単純だなあ。遅刻した罰だからな、グランド十周」
「あたし、走るの遅いからそれやると夜中になっちゃいます」
「サッカー部はナイター練習だから、問題なし」
いいえ、あたしは問題山積みなんですけど。
「あのう、本当言うと、水道を出しっ放しにしていたような気がして、早く帰ってたしかめないと、もしかしたらうちの中、水浸しになっているかもしれないんです」
「水道の水は、排水口から下水に流れるだけだ」
「いえ、お風呂場なんです、排水溝が詰まってて、どんどん水がたまるんですよ。お風呂場からあふれて畳とかびしょびしょになったらどうしよう」
「家の人は?」
「うちは誰もいないんです」
そう言うと、カッパゴリラの顔がちょっとしんみりとなった。
「しょうがないな、今日のところは帰っていいけど、あした、十周走るんだぞ」
「はい」
あずはぺこりと頭を下げて足早に自転車置き場に向った。




