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あーちゃんのアンティーク  作者: つばさねずみ
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手回しオルガンのぶきみな音色

 着いた場所は中学校の近くにある民家だった。あずはパトカーから出て、その家の前に降り立った。こんなに近くにいたんだなあ、と思った。

「一緒に行きましょうか?」

「だいじょうぶ」

「それじゃ、終わるまで待ってましょうか」

 パトカーの窓から顔を出してそう尋ねるおまわりさんに、「それもけっこうです、一人で帰れるから」とあずは答えた。

 去っていくパトカーに小さく手を振って、あずはその家の呼び鈴を押した。

「はい、どちらさんでしょう」

 落ち着いた声がインターホンから聞こえた。

「宇宙の目印っていう骨董店から来ました。以前、こちらのご主人に古いオルガンを販売したと思うのですが、そのことでちょっと――」

 あずがインターホンに口を近づけて話している途中で、玄関のドアが開いた。白髪頭でメガネをかけたおじいさんが、温和な顔で立っていた。

「これはこれは、誰かと思えば骨董屋のお嬢ちゃん。いらっしゃい。どうぞ」

 あずは小さく頭を下げて、玄関に入った。

「あのう、この前のオルガンのことでお尋ねしたいことがありまして」

 あずが玄関でそう切り出すと、おじいさんはひとつうなずいて、ごらんになりますか? と部屋の奥を示した。

「はい。猫も一緒でかまいませんか」

「ええ、どうぞ」

 本当はもう一匹、得体の知れないモノノケも連れて来ているのだが、どうせおじいさんには見えないだろうから言わなかった。あずは靴を脱いで部屋に上がり、おじいさんが案内するあとをついていった。応接室だろうか、落ち着いたインテリアで飾られた洋室の机の上に、その手回しオルガンはあった。

 おじいさんがあずの店で買っていったあの古いオルガンだった。箱には革のベルトが付けられていて、ハンドルの持ち手のところが手の脂でてらてらと光っている。

「このオルガン、ちゃんと動いたんですね」

「ええ、動きました。ハンドルを回すといい音で鳴りますよ」

 おじいさんはまるで子供をかわいがるように、その木箱の表面を手のひらでなでた。

「だけど、変ですよね。手回しオルガンを鳴らすには、ブックという楽譜がないとダメだと思うんですが、これにはついてなかったですよね」

「まあ、ソファーにおかけください、紅茶でも入れましょう」

 おじいさんはあずの質問には答えずに、いったん部屋を出ていった。

 あずは抱いていたドンキチを床におろしてからふかふかのソファーに腰をかけて、もう一度部屋の中をぐるりとながめる。趣味のいいインテリアに囲まれた落ち着いた部屋だった。

 おじいさんがもう一度部屋に入ってきて、銀のお盆に載せた白いティーカップをあずの目の前のテーブルに置いた。チョコレートが乗った皿も。

「どうして、ここを?」

 あずの向かいに座って、おじいさんはそう訊いた。

「中学校の校長室で、古い卒業アルバムを見たんです。その中の写真に、校長先生が写っていて、それであっと思ったんです。この人、前にうちの店に来て、まっちゃもっちゃとかいう変な花瓶と、ほこりまみれの手回しオルガンを買っていった人だって。それで卒業アルバムには住所も載ってたから、おまわりさんに頼んで今もそこに住んでいるか調べてもらいました」

「ああ、そうですか」

 おじいさんは納得した顔でうなずいた。

「おじいさん、うちの学校の校長先生だったんですね」

「そうですねえ、もうずいぶん昔の話ですねえ、あーちゃんはまだ生まれてなかった」

「あたしの名前、覚えていてくれてたんですか」

「素直でいい子だからね」

 おじいさんはそう言って目を細めた。

「うちの学校、いま大変なことになってるんです」

「そうみたいですね」

「知ってたんですか」

「散歩がてら、いまでもたまにのぞきに行くことがあるんですよ。体育の授業でソフトボールをやっているのとか、音楽室で合唱してるのとか、家庭科の実習で何かの料理をしているのとか。学生が熱心に何かに取り組んでいる姿というのはいいものだなあ。それが、今日はずいぶん騒がしかった」

「そうなんです、もうみんな好き勝手やり放題で。先生たちもおかしいんです、校則をぜんぶなくしちゃって、もう何をやるのも自由で、お菓子食べたり花火やったり。それで先生も授業をやらなくって、なんでか知らないけど、あたしが校長になっちゃって」

「ほう」

「だめですよ、こんなことしてたらみんなバカになっちゃう」

「でも、楽しそうじゃないですか。遊園地みたいで。それまでの学校は、つまらなかったでしょ」

「そりゃ、そうだけど。でも、遊園地と学校はちがうでしょ、学校は勉強するところだし」

「勉強するところねえ」

 おじいさんはあずの言葉をそう繰り返して、皿の上のチョコレートを一つつまんで口に含んだ。

「それから、この町の人も変なんです。それまではすごいまじめな人たちだったでしょ。毎朝きちんと工場に行ってたし、明るくって活気があって、おかしな犯罪とかもなかった。それなのに工場の機械は止まってるし、従業員はサボってるし、みんななまけものになっちゃって」

「そういう町じゃ、ダメなのかなあ」

「ダメですよ、だって大人が一生懸命働いてくれなくちゃ、みんな貧乏になっちゃうじゃないですか」

「そうかもしれないねえ。まじめに働くだけの人生なんてつまらないと思っていたが、自由すぎるのも、問題なんだねえ、むずかしいものだなあ。あ、チョコレートどうぞ」

 おじいさんに言われてあずはお皿に手を伸ばす。口の中でとろけるような味に、目を丸くした。

「私の責任なんですよ」とおじいさんは言った。

「え?」

「私が校長になる前は、あの中学校はそれはもう荒れていたんです。いじめ、校内暴力、不登校、いまだと学級崩壊なんて呼ばれることがあの当時も起こっていました。窓ガラスは全部割られて、水道が出しっぱなしで廊下は水浸し、教師が生徒に殴られて警察を呼んだこともありました。これは何とかしなければいけないと思いました。

 それで校長になって、校則をきびしくしたんです。守らない生徒にはきびしい処罰を下すようにした。教師の威厳を取り戻すために、体罰も容認しました。学校改革、ですね。

 それは成功したように思いました。不良生徒はいなくなり、いじめも暴力もなくなった。生徒たちの成績はみるみる上がり、いい高校に進学する生徒も増えた。

 それで、荒れた学校を建て直した功労者のようにまわりから持ち上げられましてね、新聞やテレビの取材も受けました。あちこちから呼ばれて講演までするようになった。それでなんだか自分がすごい人間のように思ってしまって天狗になっちゃったんだなあ。おだてられるまま町長選挙に出たら、当選してしまった」

「町長さんだったんですか」

 おじいさんはうなずいた。

「町長になってからも、同じことをやった。町の条例をきびしくして、勤勉で、安全で、希望あふれる町づくりを目指してがんばった。大きな工場を誘致すれば、それで町の人たちの働き口が確保できる。工場で働く人が増えれば、町の人口も増えて、家族も増える。税収が増えて、町は豊かになりますます発展する。みんなで規律を守れば治安だってよくなる。治安がよければ、子供を安心して育てることができる。

 子供の笑顔があふれる町は、みんなが幸せな町。そう信じてがむしゃらにやってきた。妻が倒れるまでは――」

「奥さんが……?」

「私はずっと仕事一筋の人間でね、家では汚れた皿一枚洗わなかった。座布団を自分で動かすのもいやだった。炊事洗濯、トイレ掃除も風呂を沸かすのも、買い物もゴミ出しも、なにもかも妻にまかせっきりだった。

 それなのに感謝の言葉はおろか、家ではほとんど何も話さない。うん、おい、ちがう、この三つの言葉ですべてが足りた。こんなのでよく夫婦関係が続いたものだと思うのだが、あいつだって何ひとつ不満を言わないものだから、それが普通なのだと思っていた。

 だけど、妻はずっとストレスを感じてたんだろうな。ある晩、長いこと風呂場から出てこないのを心配してのぞいて見たら、タイルの上で倒れていた。それからあわてて救急車を呼んだが、もうずっと寝たきりになってしまった。言葉も満足にしゃべれないし、手足も動かせない。

 それなのに私が真っ先に心配したのは、自分の仕事のことだ。妻がこんな状態では、町長としての仕事に支障をきたす。なんとも自分勝手なものだ。

 それで妻を介護施設に入れて、妻の面倒はすべて介護士さんに見てもらうことにした。しかし、だ。妻がそういうことになったとたん、家のことを何ひとつできない自分に気づかされた。朝食はどうする? 洗濯機はどうやって動かせばいい? パンツはどの引き出しにしまってある? ネクタイはどこだ? ワイシャツのアイロンはどうやってかければいい? 何も知らないんだ。こんなことじゃ、生活ができない。

 私は仕事の面では、人より有能だと思っていた。その私が、家では途方に暮れているんだ。そうしてはじめて、妻のありがたさに気づいた。気づいたときには、もう手遅れだ。

 こちらが話したいと思ったときには、妻はもう言葉が出ない。運命とは、皮肉なもんだと思った。

 それであらためて、私の人生とはなんだったのだろうと思った。朝、人々が時間通りにつとめに出かける姿を見るのは、気持ちのいいものだった。ゴミひとつなくきれいに掃除された道を歩くのは、喜びだった。美しく整備された町並みは、私の誇りだった。しかし、ある日を境にして、そういうものがひどくむなしいものに思えてきた。

 私は何をやってきたのだろうか。私の理想とはなんだったのか。私は町の人たちを、ロボットのようにしただけではないのか。時間と規律を守り、こちらの指令どおりに忠実に働くロボット。そんなロボットを大量に生み出して、それが人々の幸せにつながると本当に言えるのだろうか。

 私は町長をやめて、妻の介護に専念することにした。何も言葉を交わすことのできない関係だったが、私の心は安らいだ。仕事をするよりも妻のそばにいることのほうが、私にとってはずっとずっと意味があった。私は初めて幸せというものを感じた。せめてもう少し早く、そのことに気づきたかった。私は何度も後悔した。しかしもう、失った時間は取り戻せなかった。

 妻と一緒にいられたのはわずか半年ほどだった。妻の最期を看取り、私は失意に暮れた。もう何もやる気がおきなかった。日々思うのは、自分も早く妻のもとへ行きたい、そればかりだった。

 そんなある日、ふとのぞいた骨董店で、思わぬものに出会った。これはもしかして……。私は自分の目を疑った。まさかこれが、ここにあるなんて。

 これがあれば、自分が犯した過ちをつぐなうことができるかもしれない。人生をもう一度やり直すことができるかもしれない。そう思って買ったんだよ、このオルガンを」

 おじいさんはそう言って、机の上の手回しオルガンを見た。

「このオルガンが、どうして?」

 あずはそう尋ねた。おじいさんは腰を上げてオルガンのもとに近づいた。

「聴いてみるかい?」

 おじいさんはハンドルに手をかけてそれをぐるぐる回し始める。


 ふがふがきろろ~ きろろきろ~ ひょっとこほにゃほにゃ ろんろんぴ~

 ふがふがきろろ~ きろろきろ~ ひょっとこほにゃほにゃ ろんろんぴ~

 

 手回しオルガンが聞き覚えのある奇妙な音を奏でる。あずはなんだかそわそわしてくる。おじいさんは恍惚とした表情でハンドルを回し続けている。

「やめてください!」

 あずはがまんしきれなくなってそう叫んだ。

「どうして?」

 おじいさんは怪訝な顔でそうつぶやく。

「なんだかいやなんです、よくわからないけど、その音、聴きたくないんです」

 あずは両手で耳をふさいだ。


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