ユキノン先生の熱血授業はじまる
ママが用意してくれたごはんを食べて、学校に出かけた。空はどんよりと曇っていた。そのせいかもしれないが、町に活気がないような気がした。
いつもはゴワーンゴワーンと機械の音が響いている工場の前を通っても、みょうに静かだった。配送のトラックを見かけないし、作業服姿のお兄ちゃんがコンテナの上に座り込んでのんびりタバコをふかしている。
それで通学路の電柱には、まぶしいほどポジティブな標語がいっぱい貼られていたはずなんだけど、それが今朝見たところ、「ゴミを捨てよう、誰かが拾ってくれる」とか、「そんなに急いでも、誰もきみのこと待ってないよ」とか、「ありがとう、言うだけならタダ」とか、なんかネガティブで、ひねくれた標語に書き換えられていた。
それでも学校へ着いた。
校門にはもうカッパゴリラの姿はない。っていうか、校則がなくなっちゃったものだから、みんな勝手な服装で来ているし、好きな時間に登校していいってことになったから、生徒もまばら。どうすんだ、これ。
そうだ、あたしが校長になったんだ。ママのことを気にしてばっかりいたから、重大なことをすっかり忘れていた。いつものように学校に来てみたものの、そもそも校長先生って、何をすればいいんだ?
あずは不安な気持ちのままニ年二組の教室に入った。やっぱり来ている生徒は数人しかいない。その中に校長先生の姿があった。校長先生は隅っこのイスに座って居眠りをしている。
いつもは時間割が書かれている黒板には、何も書かれていない。時間割がなくなったってことは、これから何の授業が始まるかもわからないってことだ。そんなの無茶苦茶じゃない? そもそも教科書だって何を持ってきていいかわからない。どうやら自分の好きな勉強をしたいときにすればいいという考えらしい。そんなことを言われても、好きな教科なんかないし、勉強なんかしたくないというのが生徒たちの本音である。そういう生徒は、マンガを読むだけでもいいってことになった。
いつもはキンコーン、カンコーンと鳴るはずの始業のチャイムはいつまでたっても鳴らないし、先生も来なくて、起立、礼、着席、というのもやらない。これからどうなるんだろうと思っていたら、花柄のワンピース姿で肩にポシェットをかけた雪乃ちゃんが入ってきた。
「あ、校長先生、おはようございます」
あずを見つけた雪乃はとぼけた顔でそう言って、頭を下げた。
「そのあいさつ、やめて」
「だって、あーちゃん、校長先生でしょ」
「それはそうだけど」
雪乃は教壇に立って、では、授業を始めます、と言った。
「ユキノン、なにやってるの?」
「だって、さっきカッパゴリラに、おまえが先生やれって言われた」
「カッパゴリラ、来てるの?」
「うん。男子とサッカーやってる」
雪乃はそう言って窓の外を指差した。あずは立ち上がって窓からグラウンドをながめる。ほんとだ、カッパゴリラがサッカーをやってる。それもすごい楽しそうだ。いつもなら怒鳴ったり、ホイッスルを鳴らしまくったりしてるのに、男子と一緒になってボールを蹴っている。試合をしているようだけど、遊んでいるようにも見える。いいなあ、スポーツはきらいだけど、あんなに楽しそうならあずもやってみたいと思った。
「えーと、それでは、嵐の二宮君の魅力について教えたいと思います」
教壇の雪乃はいきなりそう言った。
「なにそれ」
「だから、なんでも好きな授業をしていいって言われたから」
「それで嵐?」
「二宮君の名前は、和也。かずやではなく、かずなり、と読みます。はい、ここ大事ですよ、試験に出ますよ。それで、みんなからは、ニノと呼ばれています」
「そんな授業、つまんねえよ」と、男子生徒が野次を飛ばした。雪乃はむっとした顔で、その男子生徒をにらんだ。
「この授業がつまんないと思う人は、どうぞ出て行ってください。かまいませんよ、強制ではありませんからね、先生だって、嵐が嫌いな人とは一緒の空気を吸いたくないですからね。さあ、とっとと出て行ってください」
男子生徒はふてくされて、ちぇっとつぶやき教室を出て行く。
「校長先生はどうします?」
「あたし?」とあず。
「はい」
「あたしは、嵐好きだよ、でもどっちかっていうと、まつじゅんの方が好きだけど」
「そうですか、それは困りましたねえ、先生の授業では、ニノの魅力について語り倒しますので、まつじゅんファンの方にはちょっと退屈かもしれません」
「べつに、気にしませんよ」
「校長先生がそうおっしゃられても、私としてはですね、やっぱり一人でも楽しんでもらえない生徒がいると、気になるんですよ。この子は授業についてこれてないなあ、なんてことが気になっちゃうと、教師としてのモチベーションが下がります。
授業というのはライブと同じなのです。アーティストとオーディエンスが一体になって、ステージを盛り上げないといけないのです。嵐がステージで歌っている間は、私たちファンも一生懸命うちわとかペンライトを振って応援しなければならないのです。教師と生徒の関係も、それと同じです。教師が熱心に話しているのだから、生徒もそれに応えてください」
「はあ……」
「それから、そちらの生徒さん」
と雪乃が指さしたところを見ると、そこには昨日まで校長先生だったおじいちゃんが座っていた。ちょっとユキノン、元校長先生に向って、えらそうなその態度はちょっとまずいんじゃない? あずははらはらした。
「居眠りはしないでください」
「ああ、いや、居眠りはしていません。私は目が細いんでね、目を開けていても寝ているようによく誤解されるんですよ。ほら、糸ミミズみたいな目でしょ、これで子供の頃から損ばかりしている」
「そうでしたか、これは申し訳ありません」
「いえいえ、熱心ないい先生だ」
「しかし、失礼ですが、あなたは嵐に興味がありますか?」
「私はその、孫が大ファンでしてね、孫にせがまれて、ファンクラブにも入っているし、東京ドームのコンサートのチケットを先行予約させられたりしてるんです。だから、先生の授業にはたいへん興味があります」
「そうでしたか、これは重ね重ね失礼しました」
「いえいえ、私の方こそしっかり勉強して、二宮君についてくわしくなりたいと思っています」
そんなかんじで、雪乃先生の授業が始まった。まあ、ユキノン、しゃべるしゃべる。友達なのでユキノンがニノのファンだというのは知ってたけど、そこまでフリークだとは知らなかった。それで生徒のほうも、評判を聞きつけて他の教室からやってくる生徒もいて、ユキノンが言ったようにライブ会場のような熱気に包まれた。教師と生徒が一体になって授業を盛り上げている、何かを教え学ぶということはこんなにもエキサイティングなものなのか、たとえそれが何の役に立つのかわからない知識であろうと、こんな熱い授業は初めてだ。




