ユキノンがお泊りすることに
二人で遅い夕食を取ることになった。
「ユキノンは、家でお手伝いとかする?」
「うん」
「えらいねえ、じゃ、ごはんも作れる?」
「カレーとかチャーハンとか、グラタンとか」
「すごーい」
これは期待できる。
「でも、あーちゃんち、何もないね」
雪乃は冷蔵庫を開けて、ずいぶんとあっさりひどいことを言った。
「あー、そうなんだよね、あたし、ずぼらだから買い物とかあんまり行かないし」
「いつもはどうしてるの、ごはん」
「出前取ったり、コンビニで買ってきたり」
「そうなんだあ。でもあんなにお店が忙しいんだからそれも無理ないよね」
雪乃はまだ骨董店が普段もあんなに忙しいんだと思っている。そんなわけないじゃん。毎日あんなに忙しかったら、いまごろあたし大富豪だよ。
ふと気づくと冷蔵庫の中の味噌が減っている。貧乏神のムギじいがごはん、っていうか味噌をなめにきたのだ。こんな変な生き物と同居しているってところを雪乃ちゃんに見られたらちょっとやばい気も。「ちょっとお手洗い、借りるね」
雪乃はそう言ってトイレに行った。
あ、でもあの丸メガネをかけないかぎりは、ふつうの人にムギじいの姿は見えないのだった。あずは机の引き出しから丸メガネを取り出してかける。ムギじいはやっぱり冷蔵庫の前にいた。赤ん坊みたいに唇をすぼめて、指先についた味噌をチューチューと吸っている。貧相な顔にちょっとだけ幸せそうな光が差している。
「ねえ、今日はお友達が来ているの。わるいけど、あんまり家の中をうろちょろしないでよ」
「どうしてじゃ」
「だっていやよ、貧乏神と一緒に暮らしているなんて知られたら」
「その子に、わしの姿は見えん」
「だけどさあ、気配で気づくかも知れないでしょ。ユキノンってすごい頭がいいから」
「ほほう、頭のいい子は好きじゃ。紹介してほしいのう」
「やめてよ。なに、にやにやしてんのよ。欲望が枯れたなんて言ってたけど、どうもあやしいわ。だんだん調子に乗ってない?」
「いやいや、そんなことはない」
「あやしいわ。ユキノンにへんなことしたら、ドンキチをけしかけるわよ」
「それだけは、かんべんしてけろ」
ムギじいは手を伸ばして、味噌を指先ですくい取ってぺろりとなめた。
「ねえ、それはそうと、昨日といい今日といい、ムギじいが現れてから、お店の売り上げが急に上がったんだけど」
「そうみたいだなあ」
ムギじいは不満そうな顔をした。
「どういうこと?」
「そんなこと、わしに聞かれてもなあ」
「あんたほんとうに貧乏神なの? もしかして、福の神だったりして」
「わしが?」
あずはムギじいの姿をしげしげと眺める。背丈はあずの腰ぐらいまでしかない。あたまにはトウモロコシの毛のような細長い白髪がまばらに生えている。顔には皺がいっぱいあって、目は細くて垂れている。手も足も枯れ枝のように細い。体にはボロ布のようなものをまとっている。
どう見てもちっちゃなホームレスのおじいさんだ。こんなのが福の神なわけ、ないか。
「今夜のごはんはそのくらいでいいでしょ、もうタンスに戻ってね」
そんなことを話していると、トイレから雪乃が戻ってきた。
「かわいい猫がいるのね」
ドンキチを胸に抱いている。ドンキチはのどをなでられて気持ちよさそうに首を伸ばしている。猫が苦手なムギじいは指先をなめながら、そそくさと部屋を出て行った。
「あーちゃん、どうしたの、そのメガネ。目が悪いの?」
「いや、まあ、ちょっと、伊達メガネ、おしゃれっていうか」
「まあ、すてき。わたしにもちょっとかけさせて」
「あ、これはだめ。ちょっと、お店のだし、こわれたら困るし」
「ひどーい、私は物をこわしたりしないわよ」
えーっ、ついさっきティーカップや万年筆をこわした人がよく言うよ、とあずは思った。
「いやそのまあ、そういうことじゃなくって、このメガネは人にさわらせたくないの、なんて言うか、おじいちゃんの形見だから」
「そうなんだ、大切な品なのね、だよね、そんな感じする、そういうのがあるっていいなあ。すごいセンスのいいメガネよね」
「いや、まあ……」
あずはなんとかその場を取りつくろってメガネをまた机の引き出しの中にしまった。
「お味噌、どうするの?」
今度はムギじいが残していった冷蔵庫の中のふたが開いたままの味噌パックに気づいて、雪乃は言った。なにかと目ざとい女子だ。
「あ、うん、お味噌汁でも作ろうかなって」
「そう、すごいのねえ、あーちゃんも料理できるんだ。じゃ、まかせるね」
雪乃はそう言ってドンキチを床に下ろし、遊び始める。
え、いや、まかせるって、味噌汁って作ったことないし、それは困るんだけど。ぜんぜんできないし作り方も知らないし。
「この猫ちゃんの名前、なんていうの?」
「ドンキチだよ」
「うわあ、おもしろい」
「にゃーおーん」とドンキチが鳴いた。
「おなかすいてるみたい」とあずは言った。
「そうなの?」
「うん」
「あーちゃん、猫の言葉がわかるの?」
「まあ、なんとなく」
「すごーい」
雪乃は無邪気に信じる。あずはいつものかつお節ごはんを用意して、猫皿に入れた。
「ねえ、今から料理しても時間かかっちゃうし、今夜はピザとか頼んだのでいい?」
「うん、私は何でもいいよ」
雪乃はドンキチがごはんを食べる姿をおもしろそうに眺めている。
たすかったー、味噌汁作らなくてすむぞ。あずは黒電話の受話器を取って、いつも利用しているピザ店に電話をかける。
「あのう、配達お願いしたいんですけど」
「すいません、今日はやってないんですけど」
「えっ、お休みなんですか」
「まあ、そういう感じですね」
新人のアルバイトだろうか、なんだかやる気のない応対だった。しょうがないので、別の店に電話をかけてみたが、そこは配達の圏外だというので断られた。
「ユキノン、ピザだめだった。おすしでいい?」
「うん」
雪乃ちゃんもさすがに疲れているのか、どうでもいいような返事だった。しかし出前をしてくれるお寿司屋さんに電話をかけても、どういうわけか相手が出ない。もう閉店時間なのかなあ、ちょっと早い気がするけど。結局出前を頼むことはできなかった。
それじゃ今から出かけていってお弁当でも買ってくるしかない。
「ねえ、ユキノン、一緒にお弁当買いに行こうか」
「あーちゃん、買ってきて」
雪乃は畳の上で手足を伸ばしてごろんと横になっている。そばには満腹となった腹を見せて寝ているドンキチがいる。まるでユキノンまでが大きな猫になってしまったみたいだ。
「何のお弁当がいい?」
「まかせる」
もうしょうがないなあ、という態度のあずに聞こえてきたのは雪乃ちゃんの気のない返事だった。




