ママたすけてピンチピンチ
おじいさんが帰ったあとの店内で、ドンキチがニャーと鳴いた。ボーっと突っ立っていたあずはその声で我に返った。
「そうだ、ごはんの用意をしなくっちゃね」
レジの中にはおじいさんが、まっちゃもっちゃの代金として支払った六万円がある。こんな大金を見るのは久しぶりだ。
すき焼き、ステーキ、おすし、お刺身、あんみつ、カステラ、今夜はぜいたくができるぞ、そんなことを考えるとあずのおなかが、ぐうぅぅと鳴った。ドンキチはもう待ちきれないといった様子で足にじゃれつき爪を立ててくる。
「わかった、わかった、まずはおまえにごはんをあげるよ」
あずは手早く店じまいをして、奥にあるキッチンに向かった。ドンキチがひょこひょこあとをついてくる。あまった冷ごはんをドンキチの皿に入れて、その上にかつお節をかける。それだけでもうドンキチは目の色を変えて食らいついている。
「おまえは、安上がりでいいなあ」
あずは目を細める。あしたはごちそうとしてサンマでも買ってきてやるから今晩のところは、がまんしとけよ。
ふと冷蔵庫を開けるとタッパーの中の味噌がずいぶん減っているのに気づいた。自分で味噌汁を作るのは手間だから使わないし、だけどモロキュウが好きなのでいつか食べようと思って買っておいたんだけど、まだ一度も食べないうちから減っている。ドンキチが食べるわけでもないのに、どういうこと? ああもう、次から次に何かが起こる。
さてと気を取り直して、今夜はいろいろやることがあるぞ。あの手回しオルガンの値段をどうするかってことを考えなくちゃならない。おじいちゃんには、パパがあした戻ってくるなんて言っちゃったけど、あれは嘘。あー、なんであんな嘘をついちゃったかなあ。正直にしばらく戻ってこないって言えばよかったものを。
でもそんなこと言ったらおじいちゃんは困っただろうなあ。あの手回しオルガンを買う気満々だったのだから。でも、あたしに値段を訊かれたってわからないし、勝手に売ってもなんだかあとで後悔しそうだし、弱った弱った。
またあずのおなかがグウーと鳴った。
「あー、むずかしいこと考えてたらどんどんおなかが減っていく、先にごはんだ、腹がへっては戦はできぬ、というではないか」
とは言いつつ、今度は何を食べようかで頭を悩ませる。あー、どうしてあたしはこうも優柔不断なのでありましょうか。すき焼き食いたいなあ、ステーキもいいなあ、でも今から外に食べに行くのはめんどくさいなあ。今日のところはコンビニ弁当でもいいけど、買いに行くのがめんどくさいなあ。冷蔵庫にはろくな食材がないし、カップラーメンというのも食べ飽きちゃったしお湯を沸かすのがめんどくさいし。
そうだ、宅配ピザがあった。これぞグッドアイデアと思ったあずは前に注文した時にもらったメニューを引っ張り出してさっそく電話をかける。
「えーと、ポテマヨソーセージっていうのありますか? はい、Lサイズで、トッピングはアンチョビとイカ、エビ、ベーコン、バーベキューチキン、コーンと、あ、パセリは抜いてください、それからサイドメニューで、グラタンとアイスクリーム、えっとチョコで、山盛りポテト、飲み物はコーラ、特大ペットボトルで。はい、ええ、お願いします」
ドンキチが、あきれた顔でこっちを見ている。ちょっと注文しすぎたかな、でもいいや、一度こういうぜいたくを味わってみたかったのよね。
かけ終わった電話をながめて、あずは父親のことを考える。せめて電話でも通じれば、父に相談できるのに、父は携帯電話さえもっていないのだ。いったい店のこともあずのこともどう考えているんだろう。育児放棄っていうのも立派な虐待だってこの間テレビでやってたけど、あずもパパからずっと育児放棄をされているようなものだ。
それでも幼い頃から炊事に洗濯、家事全般、店の手伝いまでやらされてきたから、なんとか一人で暮らせるようにはなったものの、それだってパパが楽をしたいからそういうことをあたしに教えたのではないかって気がしている。
パパは、ぐうたらなのだ。その娘であるあたしも、ぐうたらだ。料理も洗濯もほんとうはだいっきらい、ドンキチみたいに食ったら寝て、起きたら食って、たまに遊んで、飽きたら寝て、目が覚めて腹がへったらまた食って寝て、そういう生活が送れたらどんなにいいかと思っている。
猫まんまを食べ終えたドンキチは、さっそく自分のねぐらに戻って毛づくろいを始めた。これからごろりと横になって眠るんだ。まったく、気楽な人生よのう。
あたしだってそうしたいけど、やることやらないと寝られないんだよなあ。
パパは商品の仕入れのためと称して、ずっと世界中を飛び回っている。この前戻ったのは半年前で、それも三日ぐらいしかいなくてまたどこかに出かけてしまった。タージ・マハルの絵ハガキが来たと思えば、今度はピラミッドの絵ハガキが来た。そんなもんだから電話もできなくて、向こうからかかってくるのをじっと待つだけ。
だからさあ、あのオルガンはいくらするのよ、ねえパパ。ちゃんと値札をつけていてくれてたらこんなに悩まなくてすむのに、もう。
ほどなくピザが届けられて、あずはそれをつまみながら考える。
おじいちゃんには明日売るって約束しちゃったしなあ、もうこうなったら自分でてきとうに値段をつけて売っちゃおうかなあ。そういえばパパは、こんなことを言ってたっけ。
「骨董品には正規の価格っていうものがないんだよ、こちらがいくらの値段をつけてもいいんだ、どんなに高くてもそれがいい品物なら、お客さんは納得して買ってくれる。もちろん業者の間ではね、この年代のこの品物で、保存状態が良好ならこの値段が妥当という相場価格はあるよ、パパもそれを参考にしている。お客さんも知っている。
だけどそれだけじゃないんだなあ、相場価格で取引するだけならコンビニでタバコを売るのと同じだ。日本全国どこでも同じ値段。でも骨董品っていうのはちがうんだなあ、ぶっちゃけてしまえばもっといかがわしいものなんだ。売り手と買い手の腹の探り合い、欲と欲のぶつかり合い。だましだまされて一人前、なんて言われることもあるくらい。ニセモノを売る業者だっているよ、パパもだまされて贋作をつかまされたことなんか何度もある。たとえだます気がなくても、物の真贋がわからない業者は、ニセモノを本物だと信じたまま売ってしまうことだってある。
この世界は魑魅魍魎だね、どういう意味かって? バケモノがうじゃうじゃいるってこと。だからそこで生きていくためには、目利きにならなくちゃいけない。あーちゃん、目利きってわかるかい?
本物とニセモノ、良いものと悪いもの、価値のあるものとないもの、そういうものをしっかり見極める能力のことだ。それができる人のことだ。本物の良さを知って、ニセモノにはだまされない、それができればこの世界で生きていける。人生も同じだ、よりよく生きていくためにはあらゆることで目利きにならなくちゃならない」
あー、なんだかお説教くさい。パパの話って回りくどくって、退屈で、なんの役に立つのかあずにはわからない。ようするにパパって、趣味の人なのよ。自分の好きなことだけに夢中で周りのことをぜんぜん考えられない人なのよ。だから家庭も生活もほったらかして、世界中を放浪してられるのよ。
ようするに身勝手。おたく。子供がそのまんま大人になってしまった人。
そんなことだから、ママにも逃げられてしまうのよ。あー、やっぱり最後はママに頼るしかないのか。あずは部屋にある骨董品の黒電話に手を伸ばし、ママの携帯電話にかけた。
しかし、留守番電話になっていた。ママったらこんな時間までまだお仕事してるんだ。あずはとりあえず、相談があるから電話をください、と伝言を残した。
すぐに電話が鳴った。
「あーちゃん? どうしたの?」
ママの声だ。あいかわらず、きびきびしている。
「えーと、ちょっと困ったことがあって」
「それは急ぎの用? それともそんなに急がない?」
「急ぎの用です」
「じゃ、用件だけ簡潔に言って」
「えーと、おじいさんが来て、お店の古いオルガンを買いたいと言ったんだけど、それに値段がついてなくて」
「なんで値段がついてないの?」
「パパが付け忘れたみたいで」
「お店に商品として出してたの?」
「うん」
「まったく……」
「それで、いくらで売ったらいいかわからなくて」
「パパには連絡つかないの?」
「うん」
「てきとうにつけたらいいわよ。じゃあね、忙しいから」
ママはそう言って電話を切ろうとする。あずはあわてて、ちょっと待って、と付け加える。
「手回しオルガンって、いくらぐらいするの?」
「そんなこと言われても、わからないわよ。それこそピンキリでしょ。手回しオルガンって言った? なにそれ?」
「あたしもよく知らないんだけど、見た目はみかん箱みたい。木の箱なの。オルガンってくらいだから音が出ると思うんだけど、どうやって弾くのかなあ、鍵盤とかないし。あ、ハンドルが付いてるの、もしかしたらこれをぐるぐる回すのかなあ」
「そんな説明じゃわからないわ。メーカー名は?」
「メーカーって?」
「どこの会社が作ったのかってこと。ようするに古いオルガンよね。あーちゃん、パソコン使えるようになった?」
「練習してるけど、まだちょっと」
電話の向こうでカチャカチャとキーボードを鳴らす音が聞こえている。ママはきっとパソコンの前に座っているのだ。
「ハンドルを回したら音が出るっていうのは正解ね。オルゴールみたいなものよ。ああこれ、パリで見たことあるわ、セーヌ川のほとりで大道芸人がこれを演奏していたの。それもたぶん外国製じゃない? 箱のどこかにラベルが貼ってあっていろいろ書いてるはず。ドイツ製ならラッフィン社とか、デライカ社、スイス製ならイエッガー&ブロンマー社、そういうのが有名どころね。製品名か製造番号が刻印されていると思うからそれもよく探してみて。
それでね、メーカー名と製造番号がわかれば、パソコンでインターネットに接続して、検索しなさい。ラッフェン社のR20/40ってモデルなら一五○万円とか、相場がわかるから」
「一五○万円もするの?」
「だからピンからキリまでよ。どうせ中古品なんでしょ? 音はちゃんと出る? 演奏するためにはブックっていうロールペーパーみたいな楽譜もなくちゃならないのよ。パパのことだからそんなに高いものは仕入れてないと思うけどね。オンラインで販売しているところを調べて、似た商品を探して、そこにつけられている値段を参考にするの。写真つきで商品説明もしてあるからだいじょうぶ」
ママはものすごい早口でしゃべる。あずの思考はそれについていけない。黙り込んでいると、ママは念を押すように、アム・アイ・メイキン・センス? と英語で言った。
「どういう意味?」
「ママの言ったこと、わかりましたか?」
「ちょっと、自信ない……」
「しょうがないわね、写真撮れる?」
「あ、うん」
「それをメールに添付して送りなさい。そのくらいできるでしょ」
「うん」
「じゃ、こっちで調べるから」
それで、電話は切れた。一分一秒も無駄にできないって話し方だった。こういうママの姿を思うと、あたしはやっぱりパパに似たんだなと思う。ぐうたらなところ、パパにそっくりだ。あたしはぜったいにママみたいなキャリアウーマンにはなれないなあ。
だけどママがバリバリ働いてくれるおかげで、ここの生活が成り立っている。パパとママはもう離婚しているんだけど、ママはあずのことを気にかけてくれていて、お金も送ってくれるし相談にも乗ってくれる。
離婚の時、あずをどちらが引き取るかで、ちょっともめた。生活能力があってしっかりしているのはママだった。だけど子供を抱えていたら仕事ができない。ママはそんなことは口に出さなかったけれど、あずはそんな気がした。
それにママってしつけにきびしくて、塾にも行かされるし、宿題しなかったらおこられるし、テストの成績が下がったらおこられるし、テレビを見ながらごはんを食べたらおこられるし、セロリを残したらおこられるし、シャンプーで遊んでたらおこられるし、とにかくずっとおこられてばっかりだった。この先ずっとママと暮らすなんて、息が詰まりそうだ。
それであずは、パパと暮らすことを選んだ。いろいろたいへんなこともあるけど、ぐうたらしていても何も言われないっていうのは、いいことだ。
山盛りのトッピングでデラックスなお好み焼きみたいになっているLサイズのピザはさすがにあず一人では食べ切れなくて、明日に残しておくことにした。それからママに言われたとおり、手回しオルガンを調べてみた。しかし製品名が書かれてあるラベルはどこにも見当たらないし、刻印も見つけられない。弱った。これじゃ、調べようにも調べられない。
最初にぱっと見てただの木の箱だと思ったように、とりたてて装飾が施してあるのではないし、しゃれたデザインでもない。ママの話では一五○万円もするオルガンがあるようだけど、あずにはやっぱりただのみかん箱にしか見えなかった。まあそれでも楽器なんだから音が出なくちゃ話にならないと思って、箱から突き出ているハンドルを握ってぐるぐる回してみた。
あれ? 音が出ない。そうだ、ロールペーパーの楽譜がいるんだってママが言ってた。だけど探しても見当たらなかった。やばい、欠陥商品かな。おじいさんにどうやって説明しよう、困ったな。
もうだめだ、いろいろこんがらがって頭が爆発しそう。自分で調べるのはあきらめて、とにかく写真を撮ってそれをママのところにメールで送った。




