先生たちがみんなおかしくなっちゃった!
それからも来る先生、来る先生、みんなどこかおかしくて、まともな授業にならなかった。教育熱心な先生ばかりだったのに、いったい何が起こったのだろう。
あずとすれば、宿題を忘れても教科書を忘れてもしかられもせず、その点はありがたかったけど、優等生の雪乃ちゃんは物足らないって顔をしていた。
自習となったクラスでは、問題集を解いたり英単語を覚えたりして自主的に勉強する生徒もいたけど、彼らもやがてだらけた雰囲気に呑まれて雑談したり落書きしたりケータイいじったりで、伸びきったゴムのような緊張感のない時間が過ぎていった。
たまにはこんな一日もあっていいか、という雰囲気が学校中に蔓延していった。
放課後になり、あずはどうやって卓球部の練習をサボろうかってことで頭を働かせる。教室の中でだらだらと時間をすごしながら窓の外を見ると、いつもは猛練習しているはずのサッカー部や野球部の様子がどうもおかしい。
これはと思って教室から出てみると、廊下の向こうから雪乃ちゃんがやる気のない顔で歩いてきた。
「どうしたの、ユキノン」
「なんだか、自主練だって」
「なにそれ」
「先生もそれだけ言って、さっさと帰っちゃった。今日はホント、どうしちゃんたんだろうねえ」
雪乃からそう聞いて、あずはこっそりと卓球部の練習をのぞいて見た。
あー、みんな遊んでる。
信じられない風景だった。いつもなら腕立て伏せや素振りで汗びっしょりになって、地獄のような練習風景が繰り広げられているはずなのに、今日はみんなのほほーんとした顔で、鬼ごっこしたりじゃれあったり、ピンボン野球してたり、ほんとにこれが卓球部なの?
「よう、あーちゃん、腹の具合はどうだ?」
振り返ると顧問のピンポンタヌキが立っていた。ヤバイ、見つかっちゃった。
「あ、いやあ、今日もちょっと、調子悪くて」
「そうか、無理せず、帰ったほうがいいな」
「え?」
なんだか拍子抜けする返事だった。これがあの鬼コーチといわれたピンポンタヌキ? しかし帰ってもいいと言われたんだから、気が変わらないうちにここは素直に従っておくべきだろう。
それにしてもちょっと気味が悪いが。
「あのう、練習、今は休憩時間ですか?」
「どうしてだ?」
「だって、みんな遊んでいるみたいだし」
ピンポンタヌキは、にっと笑った。今までにこんな笑顔を見たことない。
「ちょっと方針転換しようと思ってな」
「方針転換?」
「あんまりきびしくやっても、ついてこれないだろ」
「はあ」
「中学生はまだ体ができてないからな、筋力トレーニングなんかやらせても、かえって害になる。腕立て伏せ百回なんて、大学生でもたいへんだ、ありゃ無茶だ。選手を育てるためには科学的根拠に基づいたトレーニングが必要だと気づいたんだよ。もうスポ根マンガの時代じゃないんだ。それでこれまでのトレーニングを全面的に見直すことにした」
「そうなんですか」
これはいい知らせだ。
「あーちゃん、卓球は好きか?」
いきなりピンポンタヌキはそう尋ねた。
「いえ、あの……」
「正直に言ってみろ」
「きらいです、っていうか、スポーツじたい苦手で」
「なんでだ?」
「だって、練習とかしんどいし、試合でミスしたらおこられるし、チームワークとかめんどくさいし、大声出すのとか恥ずかしいし」
あずは調子に乗ってぺらぺらとしゃべったが、ピンポンタヌキは納得した顔で、うんうん、とうなずいている。
「俺もな、じつは中学生のときは、運動が大の苦手だった。健康診断で肥満児って書かれてな、中学生なのに、ピンポンタヌキってあだ名で呼ばれていたんだ」
今と同じじゃないか、とあずは思った。
「それで同級生からバカにされ、いじめられてなあ、それが悔しくて、何かやろうと思って卓球を始めたんだ。それからは猛特訓だ、ランニング、腕立て伏せ、腹筋、素振り、がむしゃらで、死にもの狂いにやったよ、どうせやるならオリンピックを目指してやろうと思った。
でもな、夕べ、ふと気づいたんだ。みんながみんな、俺みたいにがんばれるわけないんだよな。運動が苦手な子もいるだろう、そういう子にむりやり特訓させても、ますます運動が嫌いになるだけだな。中学校の部活動って、べつにオリンピック選手を養成するためのものじゃないんだよな。
俺はそういうことに気づいた。そしたらさ、自分のやってきたことがすごい罪深いことのように思えてきてさ、俺ってまちがってたなあと思ったんだ」
ピンポンタヌキはそう言って、窓越しに部員たちの姿を眺める。
「あいつら、あんなに楽しそうな顔をしている。あんな笑顔、これまで見たことなかったよ。卓球ってのはさ、もっと楽しいものなんだ。温泉場でさ、風呂上りのおっさんたちが、ゆかたのまま卓球をやってたりするだろ。スリッパをラケットの代わりにして、ビールで酔っ払ったまま、げらげら笑いながらピンポンをやってるだろ。すごい楽しそうだ。あれだよ、本来のスポーツってのは、あれなんだよ。みんなが楽しめるものなんだ。
遊びでいいんだよ、勝ち負けなんて、どうでもいいじゃないか。参加することに意義があるんだよ。みんなが楽しめなくちゃダメなんだよ。タイムを一秒や二秒縮めることに、何の意味があるんだってことだ。人間はロボットじゃないんだよ、高校野球を見てみろ、感動だの青春だのとはやし立てられて、大人たちの商売に利用されているだけじゃないか。ああなってしまっては、もはやスポーツじゃないよ。お金もうけのテレビショーだ」
ピンポンタヌキもまた、いつものピンポンタヌキじゃなくなっている。こんなものわかりのいい先生じゃなかったのに。
あのきびしいトレーニングがなくなったのは良いが、なんだか話が長くなりそうだったので、あずはこっそりその場から逃げ出した。
自転車置き場まで歩いてきて、さあ帰ろうとしたところで、「おい、あず」と野太い声が聞こえてきて、ぎくり、となった。カッパゴリラが近づいてきた。
「あー、グランド十周ですよね、今日もちょっと具合が悪くて」
あずはおなかを押さえてそう言った。
「そうか、それならしょうがない」
カッパゴリラはあっさりとそう言った。え? おこらないの?
「漢字と英単語の書き取りも、まだなんですけど」と、ついでに言ってみた。
「そうか、おまえもなんだかんだ、いそがしそうだからなあ」
カッパゴリラはこちらが拍子抜けするほどおおらかに笑って、手に持っていた本の表紙をあずに向けた。
「え?」
カッパゴリラが持っていたのは、昨日あずから没収した『今日、恋をはじめます』という少女マンガの単行本だった。
「それが、なにか……」
「おもしろかったぞ!」
カッパゴリラは言った。あずはポカーンとなる。
「これ一巻だな、ということは、まだ続きあるんだろ」
「はい、まあ」
「持ってるのか?」
「はい」
「それじゃ、明日また学校に持ってきて貸してくれ」
「どうするんですか」
「きまってるだろ、俺が読むんだよ。日比野つばきの恋の行方が気になってしょうがないんだ。マンガっておもしろいもんだなあ。おまえらが夢中になるはずだ。読んでみてわかったよ、先生、遅れてるなあ。もうオジンだからなあ」
いや、あの、そういう問題じゃないような気もするんですけど。
「マンガを貸してくれるなら、もう漢字と英単語の書き取りはしなくていいぞ」
「ほんとうですか」
「そんなことをするより、マンガを読む方がよっぽど勉強になる。そう思わないか?」
「あ、はい……」
あずはあいまいに返事をした。まあ、そう言われたらうれしいけど、学校の先生がそんなこと言っちゃったら問題じゃないかなあ。




