3話 ハルの日常
これはハルが「楽妖町」へ訪れる前の話です。
ピピピピ ピピピピ
耳元で、小さく鳴るスマホ。
…ああ。朝か。
アラームを止め、私はベッドからゆっくりと起き上がり、伸びをした。
毎日のことだが、伸びをすると体中が痛くなる。その理由はわかっているのだが、毎度テンションが下がってしまう。
今日は特にお腹が痛いかな。
私はベッドから降り、紺色の薄いカーテンを開けた。
眩しい日光が入ってくることは無く、変わりに窓をつたっている雫が見えた。
今日は雨だ。
それがわかると、私は窓を少しだけ開けてタンスに向かった。
「雨が降っているのに、窓を開けるなんておかしな奴だ」って普通の人は思うだろう。
私は、雨が好きなのだ。
全体的に暗くって、傘と地面の間から入ってくる少しの雨が当たるのがなんだか気持ちが良くて。
雨の匂いも好き。
その雨を感じたくて、雨が降っている時は窓を開けてしまう。
…とは言っても、強い雨の時はさすがに開けないけどね。
パジャマを脱ぎ、セーラー服に着替える。
着替える度に見える痣が気持ちが悪く、自然と早く着替えてしまう。
鏡を見て、軽く髪を整えたあと、私は二階から一階へ降りた。
すると、台所で料理をしている涼子さんと目が合った。
「…おはよう」
「ええ…おはよう」
互いにぎこちない挨拶を交わし、私はいそいそと洗面所へ行く。
顔を洗い、歯を磨いた。
…着替えてから顔を洗う人って、あんまりいないだろうなぁ。
本当は、起きたらすぐに洗いたいんだけど。
リビングに戻ると、和夫さんが椅子に腰掛け、コーヒーを片手に新聞を読んでいた。
「…おはよう、ハル」
「…おはよう、和夫さん」
私はこの挨拶が苦手だ。涼子さんと、和夫さんと交わす挨拶が。
互いになんだかぎこちなく、挨拶をしようかも迷ってる感じ。
かれこれ十年も一緒に暮らしているのに、まだこんな余所余所しい関係だと知ったら、母はどう思うだろうか。
まあ、お母さんについてはあまり覚えてないんだけどね。
3人で朝ごはんを食べる。
今日の朝ごはんは、洋食。パンに目玉焼きにベーコン、レタス、それからデザートにリンゴ。
涼子さんは料理が上手だ。私とは違って。
…私のお母さんは、料理は上手だったのかな。い
や、私が料理下手なんだから、下手だったのかもしれない。
なんて。考えても、答えはわからないのにな。
私は3人の中で一番早くに食べ終わるようにしている。
この全く会話が生まれない、息が詰まるようなところに長居したくないからだ。
「ごちそうさまでした」
私は食器を片付け、椅子の横に用意しておいた鞄を持った。
「行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい」
そう二人は返し、また黙々とご飯を食べ始める。
私がリビングから出て、私の姿が見えなくなるとあの二人は話し出す。
それが玄関でいつも聞こえてくる。
この時は、涼子さんはとてもおしゃべりだ。
私がいるところであんな楽しそうに話す涼子さんの声を、私は聞いたことがない。
…そんなに楽しく話せるのなら、私がいるところでも和夫さんと話せばいいのに。
遠慮して静かになるよりは、こちらのことなど無視をして、思う存分に話していただきたいものだ。
和夫さんもそうだ。
涼子さんと話している時は笑ったり、声だってはっきりしっかりしているのに、私と挨拶を交わすときなんかはとても薄い笑顔で、声も固い。正直、そんなことになるなら挨拶なんてしなくていいと思う。
私は静かに家を出た。
行きのバスは、とても混んでいる。
サラリーマンやOL、私みたいな学生、それからお年寄りが乗っている。
皆疲れたような、生気がないような顔をしている。
妖は精気を吸うけど、これじゃあ吸う精気も無いんじゃないかと心配してしまう。
時々バスが揺れるが、その時に吊り革を持っていてもよろけてしまう時がある。
そう、今みたいに。
「すみません」
五十代のサラリーマンにぶつかってしまった。
サラリーマンは「チッ」と聞こえるくらいの大きさで舌打ちをした。
この人はいつも怒ったような顔をしている。
もしかしてこれが真顔なのだろうか。
いや、さすがにそれはないか。
でも、いつも怒っているなんて、疲れないのだろうか。眉毛は眉間に寄せられ、目は苛ついているように細め、口はへの字に近い形をしている。
あんなに表情筋使ったら疲れる。
そういうことは考えたりしないのだろうか。
「次はー銀杏が丘ー銀杏が丘ー」
あ、もう着くんだ。
私は「ここで降ります」と書かれたボタンを押し、人と人の間に割り込みながらバスの降り口に向かった。
学校に着くと、大抵机が汚されている。たくさんの悪口によって。
私は雑巾を水で絞り、ペンで書かれた悪口を消した。
それを見て、ミナミはくすくすと笑っている。
本当、趣味が悪いよ。
私はため息をついた。
次の時間は体育だ。
休み時間になり、私は鞄の中の体育着を取り出そうとした。
「…え。」
開けた鞄の中には、教科書やノートしか入っていなかった。
え、何で?
鞄に入れてきたはずなのに…‼
私が鞄をゴソゴソと探っていると、笑い声が聞こえた。
声がしてきた方を見ると、そこには体育着に着替え終わった4人がいた。
…アイツらだ。
アイツらが、私の体育着をどこかにやったんだ。
「え、何睨んでんの?こっわ」
「別に私たち何にもやってないのに〜」
「ね〜」
4人はまたクスクスと笑い出した。
他のクラスメイト達は、巻き込まれたくないとでも言うようにコソコソと出て行った。
私は4人を気にせず、机の中を探した。
どうせどこにやったか聞いても、答えないだろうし。
「体育、間に合うといいね〜」
そう言い残すと、4人は廊下を走って行った。
掃除ロッカーや白衣のロッカーを見てもなかった。
他に教室の中で探してないところと言ったら…。
…まさか、ゴミ箱か?
私はゴミ箱からゴミを出し、体育着がないか探す。
「あった…!」
その中には、ゴミで少し汚くなった体育着があった。
ホッとしたのも束の間、すぐに授業の始めのチャイムが学校中に響き渡った。
授業、遅れた…。態度点落とされそう。
私はゴミを戻し、体操着に着替えて校庭に出た。
固まってクスクスと笑っている4人と、バツの悪そうな顔をしている人やニヤニヤしている人。
と、怒った顔をしている先生。
「四ノ宮、何で遅れたんだ?」
「体育着が隠されて、それを探してたら遅くなりました」
と言うと、先生は「はぁ。素直に遅れたって言えよ…」とポツリと言った。
先生は信じてくれない。いつものことだ。
だからといって、嘘をつくのも嫌だ。それに嘘をついたら、先生に私が嘘をついた、ということを言いそうだし。
「ええっ、何それ!ハル、大丈夫?」
ミナミは心配そうに私の方へ駆け寄ってきた。
将来女優になれるんじゃないか?
「…気持ち悪。」
「は!?」
やば。つい思ったことがポロッと出ちゃった。
「!コラ‼謝れ四ノ宮!」
「…謝れって言われたって…西原さんが私の体育着を隠したんですから、これくらい言ってもいいですよね?」
「何でそんなこと言うの…?私そんなことしてないよ。そんなイジメみたいなことハルちゃんにするわけないじゃん!」
「西原はやっていないと言っているぞ?」
あーもー無理。
こっちのこと、全く聞いてくれないんだから。
「…わかりましたよ。ごめん、西原さん」
「誤解が解けたならよかった!」
ミナミはそう言い、列の中へ戻っていった。
ミナミは、先生の前だと人が違う。すごく優等生で、先生達はそんなミナミを信頼している。
反対に私は、あまり先生とは話さない。だから、信頼度が圧倒的に違って、私が何を言おうと先生達はミナミのことを信じる。
それに、ミナミは父親が有名な会社の社長とかで、お嬢様なのだ。そりゃあ、歯向かったら何があるかわからないだろう。となると、私には先生の味方はゼロだということになる。
先生達は、可哀想な人だ。
自分よりも10年以上後に生まれた子供の尻の下に敷かれているのだから。
「じゃーね、四ノ宮」
教室にびしょ濡れの私を残し、ミナミ達は笑いながら教室を出ていった。
今日されたイジメは、なんだっけ。
机の悪口、体操着、教科書の落書き、水かけ…。
本当に惨めだな、私は。
濡れた前髪から雫が垂れ、スカートに落ちる。
どうすんだよ、これ。このまま帰れってか?
…もう、やだな。
外でも内でも強がって。
けど本当は、もう嫌だ。
何で。
どうして、こんなことになった?
私があの時、ちゃんと断らなかったから?
そもそも、話を聞いてしまったのが悪かった?
…いや。アイツがいたから―?
今更、過去を恨んだって仕方がないのに。
どうすれば私は…私達は…元に戻れるの…?
セーラー服のスカートにまた水滴が落ち、シミになった。
…違う。これは、水滴じゃない。
私の、涙だ。
「楽妖町へようこそ」を読んでくださり、ありがとうございます!
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文章力や、ストーリー展開など、まだまだ私には足りないところがありますが、頑張っていこうと思います。