1話 出会い
奥へと進んでいくと、屋台の他にも本屋や雑貨屋、洋服屋があることがわかった。
本屋に行くと夢中になって本を探してしまうから入るのはやめておこう。
…それにしても、ここを歩く人達はお互いが知り合いみたいに仲がいいな。
今も二人組の男性が歩いていると、そこに通りすがりのグループが声をかけ、一緒に屋台へと入って行った。
商店街みたいな感じだし、昔からのご近所付き合いで仲がいいのだろうか。
いいな、そういうの。私の町は都心よりでそういうのは無いから新鮮だ。
私は奥へ奥へと進んで行った。
「なぁ、あの子…」
「何でここに…」
ヒソヒソと話す声が聞こえる。
その人達は私を見て言っているようだった。
思い返してみると、今まですれ違ってきた人達もなんとなく私を見ていたような気もする。
…なんだろう。どこか変なのだろうか。
見られる原因を知りたい気持ちもあったが、それよりもここから逃げたいという気持ちの方が大きかった。
くるりとUターンし、早歩きで来た道を戻った。
前を向いたまま歩いていると何か言われそうで、私は俯きながら進んだ。
「なぁ、お嬢ちゃん」
ふと前から声をかけられ、私はゆっくりと顔を上げた。
男性が立っていた。
サングラスを掛けていて、結構強面だ。
もうすぐに会釈でもして早く帰りたいが、もしかしたら見られた原因がわかるかもしれないし、話を聞こう。
…普通に話しかけただけかもしれないし。
「ちょっと俺と遊んでいかないかい?」
「…お断りします」
違った。ただの不審者だった。
私はその男を避けるようにして歩き出した。
その瞬間、手首をつかまれた。
男が掴んだのだ。
キリキリと手首を握る手が強くなる。
キッと睨むと男は、睨んだって怖くない、とでも言うようにニヤリと笑った
「そう怒るなって。…おじさん、腹減ってんだ。だから――」
すると、男の体がみるみる内に変化し始めた。
どんどん毛深くなっていき、黒い耳が生える。
サングラスから透けて見える目はまるで獲物を見つけたかのようにギラギラと光り出した。
そして、ニヤリと笑う口から見える、鋭い犬歯――
「喰わせろよ」
私の目の前にいるのは紛れもない、狼男の妖怪だった。
背筋が凍る。
妖だ。
妖が、私の目の前にいて、私を食べようとしている。
周りに助けを求めようと、屋台を見る。
しかしそこには先程見た人間の姿はなく、代わりに目を爛々と光らせた妖達がいた。
そうだ、普通こんなことを道の真ん中でやられて止める人がいないはずがない…‼
「普通ここに人間は入れないんだがなぁ。…ま、やることは同じだ」
狼男が大きく口を開ける。
どうしよう、このままじゃ喰われる。
鞄で叩く? 駄目だ、遅過ぎる。
走り去る? 無理だ、手首掴まれてるんだから。
そう考えている間にも、狼男の口が近づいてくる。
そしていよいよ噛みつかれるという時に、私は横に避けた。
そして妖の横に立つと自分の腕をひねり、相手の腕も一緒にひねらせた。
その瞬間、鞄を持っている方の手で狼男の肘と思われる部分を思いっきり押す。
「⁉」
相手の手が緩んだ瞬間、手を引っ込め、鞄で頭を殴る。
狼男の体制が崩れた。
良かった、もしもの時の為にと強引に習わされた護身術が役に立った!
今の内に…!
私は駆け出した。
スピードを出し過ぎて、転びそうだ。
自分の本気で走って出せるスピードをこんな時に知るなんて、なんだか悲しい。
いや、そんなことを考えている場合じゃない。早く、この町から出ないと…‼
幸い周りの妖達はあの妖怪が殴られたことに呆気にとられ、追ってきていなかった。
「ボス!大丈夫ですか⁉」
「くそ!あの女を追え!」
後ろから聞こえてくる声を聞き、私は更に速く走った。
ボスなんだ、あの妖怪。
確かに、見た目はボス中のボスというような感じだった。
あの様子だと、手下はたくさんいるのかもしれない。…なら、捕まえられるのも時間の問題なのかもしれないな。
少しだけ痛む足を無理矢理動かせる。
私は唇を噛みながら走った。
あともう少しでバス停に着く。
運の良い事に、状況を把握できていない妖がかなりいたのでここまで逃げて来られた。
だけどバスがそんなタイミングよく来るとは思えないし、来たとしてもバスに乗り込まれたりしたら終わりだ。それに運転手さんも殺されてしまう。
っどうすればいいの…?!
「前方にいるグループに応援を頼む!」
このまま前に突っ走ってもどうにもならない。
横に逃げよう。
路地裏のような所に逃げ込み、しばらくそこを走る。
「チッ、路地に入りやがった!」
「大丈夫だ、ここのことならソイツよりずっと俺らの方が知ってる!囲みこむぞ!」
…囲みこむ…。
囲みこまれないようにするには、この縦横無尽に広がる路地を利用すればいい。
右折したり左折したりして、とにかくぐちゃぐちゃに、めちゃくちゃに逃げ回ればいいんだ。
「探せ!」
「このことがバレたら、まずいぞ!!」
「捕まえろォ!!」
さっきよりも、飛び交う声が多くなった気がする。
人数が多ければ、それだけ私の走れる道が減る。このままじゃ、本当に捕まってしまうかもしれない。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…」
息は上がり足は疲れ果て、すごく苦しい。
でも、今止まったらどうなるかわからない。
休みたいのを必死に我慢し、ただひたすらに走り続ける。
なんでこんなことに…バスで寝なければよかった…。
後悔なんてしても遅いことはわかっている。でも、そうするしか無かった。
「あ!いたぞ!」
後ろから、男の声が聞こえる。
…とうとう捕まるのかな。
でも、ここまで逃げて来たんだ。1人に見つかったくらいで諦めたくない。
後ろを確認しながら横へ曲がる。
ドンッ
急に誰かとぶつかり、私は後ろに尻もちを着いた。
「んぁ?」
…やば…!
私は恐る恐るぶつかった相手を見た。
伸びきった黒いパーカーに七分丈くらいの黒いズボン、白い花が描かれた顔の半分を覆う黒い狐のお面に、風になびくところどころ跳ねた黒い髪。
全身が黒に包まれた妖怪が私を見下ろす。
「人間の―子供?」
「っ…」
横の道に逃げようとして、私は立ち上がりながら走ろうとした。
「おい、待てよ」
狐のお面をした妖が言葉を発した瞬間、横にあった電灯が倒れ、それがみるみる内に壁に変わっていった。
「え…!?」
「あー、俺狐だからさ、色々化けさせられんの」
私が後ろを振り返ると、そこは壁になっていた。
音もなく、更にこんな短時間で…!!
気がつくと、私と狐の妖怪は壁に囲まれていた。
「…で。お前どうやって入ってきた?」
狐の妖怪は腕を組み、私をまた見下ろすようにして見る。
お面でよく目は見えないはずなのに、睨まれているとわかる。冷たい視線だ。
私は体を強張らせた。
「…バスに乗ってて、降りたらこの町…でした」
「…バス?」
私は無言で頷いた。
その時、狐のピアスの水晶が、淡く桃色に光った。
「あ?なんだ」
「そっちに、人間の女の子いないか!?」
「あ?ああー…」
狐はチラリと私を見ると、ニヤリと口角を上げた。
「ん〜いねぇな。俺も探すから、特徴とか言ってくれ」
思いがけない言葉に、思わず目を丸くしてしまう。
…何で、嘘を…?
「アッシュブラウンの髪で、背中まである。目は紺色。セーラー服と容姿から、恐らく15歳。それと、格闘技とか習ってる可能性がある」
「ほーぅ。…何で格闘技?」
「コクヤから、一本とった」
コクヤって…もしかして、さっきの狼男の妖…?
狐のお面をした妖が、少し驚いたように口を開けた。
そして、すぐにニヤリと笑った。
まるで子供が新しい玩具を見つけたかのような笑みだ。
お面で顔の半分が隠れていても、鼻と口が見えているだけで人の表情はなんとなくわかるものだな、と感じる。
「へぇ、そりゃおっかねぇなぁ。見つけたらすぐに精気絞り出さないと」
「いや、肉ごと喰え。ここのことを外に言われたらマズい」
「っつってもソイツ15歳なんだろォ?そりゃあ可哀想だわ」
「まぁな。けど、仕方ないだろ?じゃ、よろしくな」
「へーい」
ピアスから淡いピンクの光が消え、青色の水晶に戻った。
「…コクヤか。アイツ俺の獲物前とったからなァ」
獲物…人間のこと、だよね。
目の前の妖怪は、顎に手を当て、「うーん」と唸り、考えるような仕草をした。
殺されるのだろうか。
そりゃそうか。この妖怪にとって、私はただの食糧でしかないのだから。
でもまぁ、死んでもいいような気もする。
特にやりたいこともなければ、後悔したことも…それはあるか。
けど、それはもうどうにもならないことだ。諦めてる。
なら、いいや死んだって。
緊張で強張っていた身体は、本を読んでいる時のようにリラックスした。
「うし、お前を逃がしてやる」
「…え?」
想定外の返しに、私は驚く。
何で?
私を生かしても、貴方には何のメリットも無いじゃないか。
逆にデメリットしか無い…!
目の前にいるこの妖怪が何を考えているのか全くわからない。
困惑しながら妖怪の顔を見つめた。
「その代わりにここのこと、誰にも言うんじゃねねぇぞ。そしたら、今度は本当に肉ごと喰うから」
お面の奥からまた睨まれたような感覚がした。
秘密事に関しては安心してほしい。第一そんなこと話せるような人がいないし、話す勇気も私には無い。
…ただ
「別に…食べられてもいいです」
「…は?」
「さっきはなんとなく逃げてしまったんですけど、よく考えてみれば、別に生きたい理由なんてないかなって。…だから、どうぞ」
私を逃がして、もしそのことがバレたらこの妖怪はどうなるのだろうか。
口調はこんなだけど、私を助けようとしてくれた辺りきっと優しい妖なんだろう。
…私のせいで、もし罰なんか受けることになってしまったら。
そう考えると、嫌だった。助けられるのが。
…おかしな話だけど。
「…変な奴だな、お前」
「よく言われます」
そう言うと、妖は笑った。
「嬉しいお誘いだけどな、やめとくわ」
また想定外な返しに、私は驚いて妖怪の顔を見つめた。
妖怪はパーカーのポケットに手を突っ込み、斜め上あたりを見ながら言う。
「ん〜別に俺今腹空いてねぇし。…それに」
妖は、私の頭に優しく手を置いた。
「どうせ喰うなら、お前が大人になってからがいいなァ。そっちの方が喰えるとこ増えるし」
妖は優しくワシャワシャと髪を撫でた。
そしてその手を私の頭の後ろに持っていくと、グイと自分に引き寄せた。
「じゃーな。人間」
目が覚めるとそこはバスの中だった。
いつものように混んでおり、次に着く駅も知っている駅だ。
…夢だったのだろうか。
全くいつもと変わらない光景に、そんなことを思い始める。
きっと夢だったのだろう。あれは。
あんな駅が実際にあるはずがない。それに、あそこから一体どうやってここに来たというのだろうか?
考えれば考えるほど、あれは夢だったのだと感じる。
…でも。全てが夢なのは、少し残念かもしれない。
私はあの優しい手の感覚を思い出し、自然と口角を上げてしまう。
正直、嬉しかったな…。
あの人にとってはきっと、頭を撫でるなんてことは別に特別なことでは無いのだろう。
けれど、私は違う。私にとっては、それは特別なことなんだ。
…良い夢を見させてもらった。前半を除いて、だけど。
あのコクヤ?って妖怪に手首を掴まれたときは怖かったな。
私は夢の中で掴まれた手首を見た。
「次は、大蓬町ー大蓬町ー」
アナウンスなんて、耳に入ってこなかった。
ただ目の前の現実を見て、震えていた。
駅に着いた瞬間、私は逃げるようにしてバスを降りた。
街灯に自分の手首を照らし、本当にバスで見たことが現実なのか確かめた。
「やっぱり…」
その手首は、掴まれたかのような手形の痣ができていた。
楽妖町でのできごとがフラッシュバックする。
「このことがバレたらまずい」
「肉ごと喰え」
「捕まえろ」
…もしあの妖怪達に見つかったら、今度は本当に…
その先を考えて私はゾッとした。
…あれ。私、怖くなってる。
死んでもいい、なんて思っていたはずなのに。
どうして生きたいなんて思うようになったのか。
その原因はなんとなくわかるけど、それがなぜ生きたい理由になるのかはわからない。
…けど、それでもいい。
私は、生きたいって思ったんだから。
そう思えるだけで、今はいいや。
まだ少し痛む手首をさすりながら、私は暗い夜道を歩いて行った。
まだよくわからない所があると思いますが、後々わかってきます。
1話を読んでくださりありがとうございました。