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悪徳の七 悪酒密造

「ローガン! へぇいっ!!」

 商会長室から響く主の声に、ローガンはペンを止めて顔を上げる。

 ここ最近、商会の売上とは裏腹に沈み込んでいたリーニの調子が上向いてきたことを感じ、ローガンは相好を崩した。

「さて、今度はなにを思い付かれたのか。おい! 何人か手を空けておけ!」

「わかりました!」

 リーニが何かを思い付けば、商会は大いに振り回される。

 従業員たちは非常時に備え、今抱えている仕事をできるだけ早く片付けるべく動き出した。

 それを満足気に見届け、ローガンは商会長室へと入っていくのだった。


「えー、我々はこれより、こちらのヴェルソーさんたちの畑を支援します」

「よろしくお願いする」

 ヴェルソーと呼ばれた老人は、着ている服こそそれなりに上等な代物だったが、その日焼けした肌と節くれ立った手を見れば、野外労働を生業としていることはすぐに分かる。

 おいてもなお衰えない畑仕事のための筋肉は、小柄なヴェルソーを一回りも二回りも大きく見せている。

「それで、畑というのは?」

「葡萄畑です。我々は、魔族の侵攻で故郷を失い、避難先である北の地で再度ワインのための葡萄畑を再建しました。しかし……」

「その土地では、以前と同じやり方ではワインが作れなかったらしい。ようやく各地で復興が始まったところだし、ワイン用の葡萄畑となると国も支援しにくいからなー」

「…………」

 リーニの言葉にヴェルソーは黙り込む。

 すでに領主や王国政府には何度も支援を求めた。しかし魔族との戦争中は戦時である事を理由に支援を断られ、今は人が生きていく上で必要性の高い農作物の生産が優先されている。

 結局、自分たちの畑は自分たちが守るしかない。

 そんな風に思っていたところ、ある商会がエルフの農作物を取り扱うようになったと聞き、その商会ならばあるいはと訪ねてきたのだ。

 なんとか商会長に現状を説明する機会は得たものの、ヴェルソーは内心、無駄足だったと思っていた。

 ウェイランド商会は王国有数の優良商会であり、大きな利益を上げている。それは若き商会長の卓越した手腕の結果だとこの街に向かう途中に様々な人から聞かされたのだ。

 そんな商会が、自分たちを相手にする訳がない。

 ヴェルソーは必要なことだけを説明し、リーニからの質問に答え、礼を言って帰ろうとした。

 ところが、リーニは番頭らしき人物を呼び付けると、自分たちを支援するという。

 ヴェルソーはしかめ面を維持することで内心を隠したが、リーニが自分たちを支援する理由が理解できないでいた。

 しかし、それも当然のことだ。


「ヴェルソーさんの畑のあるカンパニー地方は、ワイン用葡萄が採れる北限らしい。それほど寒いせいで、以前のようなワインを作れずご苦労されているようだ」

(ふっふっふ、つまりは盛大な失敗が見えているけど、人助けになって後ろ指さされない好都合な事業ということだ!)

 リーニは農業について、ほとんど素人であった。

 そして、前回の人生では極々普通の中流階級で生まれ育った。

 それが、彼を陥穽へと導く。

「春になって壜の中でワインが再発酵するような場所らしいし、普通の壜では破裂したりもするそうだから、新しいものを作らないといけない。地方にあった発酵方法も模索したいし、ちょうど仕事がないと嘆いていたソリスに連絡してすぐに来てもらってくれ」

「はい。それで、他には……」

「ヴェルソーさんたちに負担を掛けるのは悪いから、壜詰めまでの工程と、その後の発酵過程を我々の施設で行おう。その施設の建設を急いで頼む」

「はい」

「あ、そうだ。ついでに近くの川に船着場も用意して、そこから資材を陸に揚げるようにしよう。そっちのほうが早い」

「わかりました」

 ヴェルソーからすれば無茶としか思えないような指示を、番頭は黙ってメモに書き付けている。

 彼は、これが噂に聞くウェイランド商会の真骨頂なのかと驚いたが、さらに彼を驚かせたのは次にリーニが口にした言葉だ。

「では、ヴェルソーさん。この施設が安定するまで、皆さんの生活は我々が支援します。とりあえず、一年分の生活費を用意させますので、他に必要なものがあれば仰ってください」

「は……っ?」

「遠慮はいりませんよ。これから我々は同じ夢を見る仲間です。あなた方の畑から、かつてのワインを越えるワインを作り出しましょう。我々は、そのお手伝いをさせて頂きます」

 そう言ったリーニの目は、覚悟に満ち溢れていた。

 ヴェルソーは、ワインのために人生の大半を捧げてきた。

 それが魔族との戦いに巻き込まれたせいですべて台無しになった。仲間の大半は戦火から逃れた別の地方のワインを作るようになり、現在、ヴェルソーとともにかつてのワインを取り戻そうと踏ん張っているのは、ヴェルソーと同じか、それ以上に老いたワイン農家だけ。

 今まで積み上げてきた経験が役に立たない場所で、もはや死を待つのみとなった今、彼はようやく新たな可能性に出会った。

「よろしくお願いします……! 我々にできることならなんでもします。我々の知っていることならなんでもお教えします。ですから、我々のワインを救ってください……っ」

「おまかせください」

 ヴェルソーはリーニの手を固く握り、魔族に追い遣られて畑を失ったときにも流さなかった涙を滲ませた。

 その滲んだ視界のせいか、リーニの表情はどこか強張っているように見えた。


「若、新たな施設が完成致し、ヴェルソー様と、その仲間の方々が働き始めました」

「うむ、賃金は手厚くな。彼らの経験は金では買えない」

「はい」


「リーニ、なんかあのワイン面白いことになりそうだから、ちょっと予算追加してほしいんだけど……」

「金ならまかせろー!!」

「わーい」


「若、あの地の領主様が、これ以上あそこに関わるならば、然るべき手続きをしろと……」

「え、あそこって領主なんていたっけ?」

「領地は代官に任せて王都に籠もりっきりの領主様がいらっしゃいます」

「じゃあ、そうだなぁ。適当にお金渡して、永代借用書でも書いてもらって」

「わかりました。金貨袋で張り倒します」

「物理的にはダメだぞ。お前の腕で金貨袋振ったら、煉瓦の壁でも崩れる」

「ふふふ、わかっておりますとも」


「リーニ様! 試作品ではありますが、こちら今年ようやく完成したワインでございます!」

「おお! それはめでたい! でも、急ぐ必要はありませんよ?」

「いえいえ、いつまでもリーニ様にご負担ばかり掛けていては、申し訳ありませんからな。ささ、まずは一口どうぞ」

「え、ええ、――あれ? しゅわっとしてるけど……まさか……」


 そして、ここにひとつの伝説が生まれる。


「『リーニュ・カンパーニ』……これがそうか」

「はい、陛下。城に出入りする商人が、一本だけ手に入れたカンパニー地方のワインでございます。――あの方の名もはいっておりますな」

「うむ、酒に自分の名を刻むか。男の本懐だな」

 そう言って国王は従者に壜を渡す。

 従者は慎重に栓を緩めていく。そして、ぽん、と軽い音を立てて栓が外れると、従者はワインをグラスに注ぎ、国王へ差し出した。

「弟が、これはもはやワインではない、とまで評していたが、果たして……」

 国王はそれを口に運び、そしてまずなによりも前にこう言った。「すぐにウェイランド商会に使いを出し、来年のリーニュ・カンパーニを百本確保せよ」と。


 リーニ・ウェイランドの名前は、このワインによって各地へと広まった。

 そしてこの年よりあとに開催されたあらゆる夜会、酒宴の招待状には、「招待状なき方の入場を断る。ただし、リーニ・ウェイランド卿を除く」という定型詩が追加される。

 これはひとつの完成されたワインを作り上げたリーニに対する敬意の表れであり、実際に彼は、この後の人生において自分で金を払って酒を飲むことはなかったという。

 また、各地で偽者のリーニ・ウェイランドが出没したため、宴や飲食店に現れる招かれざる客を『偽リーニ・ウェイランド』と呼ぶようになり、さらにそこから、招待主や店にとって問題となる客を『リーニ様』、或いは『ウェイランド様』という隠語を用いて表現することになる。

 さらに時代が進めば、リーニ・ウェイランドは偽名の代名詞となり、あらゆる物語に、その名を冠した酒とともに登場することになった。


 なお、そんな歴史に名を記した男と言えば、酒蔵の屋根裏でやけ酒を飲んでいた。

「なんでや! ちゃんとお金使ったのに、なんでケタひとつ増えてるんや! こんな世の中間違ってる!! ローガン、酒持って来い!!」

「はい、ただいま」

 飲んでいる酒の価値を思えば、世界一豪勢な自棄酒だった。

 もちろん、翌日は二日酔いで苦しんだ。


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