悪徳の六 既得権益
ふと気が付くと、トレントと呼ばれる樹木型のモンスターに抱えられていた。
「なんじゃこりゃああっ!!」
じたばたと暴れるリーニだが。体は太い弦で縛られているため、動かせるのは頭と足先だけだ。
「アイリア! お前かーっ!」「
リーニはトレントの前方を歩くエルフの女性に怒声を発した。
彼女は振り返ると、不思議そうに首を傾げる。
「当たり前ではありませんか。私以外に、これほどのトレントを使役できる者はいませんよ?」
「そうだろうね、そうだろうさ、でもそうじゃねえんだよ。なんでこんなことになってるんだよ!!」
「弟が話したいことがあるそうです。都合を聞いてほしいと言われていたのですが、直接話したほうが早いと思いましたので」
「弟さん気を使ってくれてるのに、なんでお前はそうなんだ!」
「――?」
「可愛らしく首傾げてるけど、お前人さらいしてるんだからな!?」
「そんな、かわいいなんて……」
「そこだけは聞いてんのかよ!! エルフってのは耳がいいんじゃないのか!?」
人為的な音が少ない森の中で狩りを行うため、エルフは総じて耳が良いとされていた。
しかし、個人差というものはどんな種族にもある。
「集落が見えてきましたよ。さ、弟に会いにいきましょう」
「本当に人の話聞かないね君は」
聖樹を仰ぐ森の中。
凶暴な野生生物の襲撃を減らすために木々の上に作られたエルフたちの街。
リーニはそれを眺めつつ、疲れたように溜息を漏らした。
「義兄殿っ!? なぜここに!?」
「君のお姉さんに拉致されました。アヴェンタ君、急いで俺が無事だって伝令出して、王国が攻めてくる前に」
「す、すぐに!」
線の細い優男然としたリーニの弟は、しかし族長であるが故に身に付けたらしい果断さで配下のエルフに指示を飛ばした。
これでエルフが王国の民を連れ去ったという非常事態だけは避けることができるはずだ。
「ご迷惑をおかけしまして……」
「いや、アイリアの独断で良かったよ。いや、マジで。エルフがみんなコイツ並みの考え方してたらと思うとぞっとする」
「あ、姉上は巫女としてずっと一人きりで暮らしていたので……」
それは魔王討伐の旅に彼女が同行する際にも聞かされた話だ。
本来意思疏通などできないはずの聖樹と言葉を交わすために、エルフの巫女は俗世の一切の雑音から隔離される。それは同族であっても同じことで、エイリアはリーニたちが彼女を訪ねるまでの長い時間、たったひとりで過ごしてきた。
巫女になる前に習得した言語こそ扱えたものの、意識的、無意識的にタイミングを合わせなければならない『会話』という技能は、ほぼ完全に失われていた。
「でも、義兄殿だけです。姉上を他の人々と同じように扱ってくれるのは」
「それ、誉められてる? それとも暗に姉を一般人扱いすんなって怒ってる?」
「称賛してるに決まってるじゃありませんか! 旅から戻ってきた姉上が、私に朝の挨拶をしてくれたとき、私は……やっと姉上が家族になったのだと……」
涙声になるアヴェンタに、リーニは居心地の悪さを感じた。
アイリアを他の者たちと同じように扱ったのは、区別する手間を惜しんだからに過ぎない。本来なら扱いを変えた方がよかったのだろうが、どうせ旅の間だけの付き合いだからと適当に済ませてしまったのだ。
それが何故かアイリアとアヴェンタにとっては、この上ない待遇だったらしい。
「と、とにかくすぐに会談の場を設えます。姉上、あとは私がお相手しますので」
「――そう、なら終わったら教えて。どの樹に新居を作るか、相談したいから」
「待って! すごく待って! 俺帰るからね!? お話済んだら帰るからね!!」
「じゃあリーニ、また後でね」
アイリアは手を振ってその場を立ち去る。
どことなく上機嫌に見えたため、リーニは戦慄を隠せなかった。
「弟くんよ、話が終わったらあいつに黙って帰っちゃダメかな?」
「そうした方が良いと思うんですが、姉上が怒ったら何が起こるか分からないので……」
巫女であるアイリアの感情は、聖樹、引いてはこの森全体に影響を与える。
魔族の侵攻を受けたときなど、彼女の拒絶の意思が森を動かし、木々がすべてトレントになりかけたほどだ。
「じゃあどうしろってのよ」
「義兄殿の家に一緒に帰ろうと言えば、たぶん帰ることはできると思います。その後のことは責任を負えませんが……」
「本当にそれやるの? ぜったいついてくるよアイツ」
「お願いします。森の平和のために」
有無を言わせないアヴェンタの眼差しに、リーニは頷くしかなかった。
そして、両者の話し合いが始まり、リーニはエルフたちが置かれている微妙な状況を知ることになる。
「うーん、分かってたけど面倒なことになってるなぁ」
聖樹の森の周囲は、森の中で暮らすエルフたちとの関係を鑑みて、王室直轄領となっていた。
貴族たちでさえ、エルフなどという訳の分からない種族と関わり合いたくないと考えていたのだ。
実際、今回の騒動によって聖樹の森が途方もない自然資源の塊だと知られるまで、彼らはほとんど人間からの干渉を受けずに暮らしてきた。
その大前提が、崩壊した。
今、エルフの住処は膨大な数の密猟者に狙われていた。
「申し訳ありません。本来なら我々自身が自分たちの身を守るべきなのですが、我々は人の法に詳しくありません。我々が古来から守っている掟の中でもっとも厳しい罰は森からの追放なのですが、人間にとってそれは罰にならないでしょう?」
「そらそうだ。無罪放免と変わらない」
「ですが、我々は食糧とする以外、動物を傷付けることができません。血で森が汚れるという考えからです」
「牢屋とかは?」
「罪人を森の食糧で生き長らえさせることは、忌むべきことと考えられています」
「まあ、外に叩き出すって罰があるくらいだもんなぁ」
リーニは天を仰ぐ。
そもそもなぜ、単なる商人である自分がこんな相談に乗っているのだろうかという疑問は、敢えて触れない。
知人の相談に乗っているだけだと思ったほうが、精神的にとても楽だ。
「となると、王国の法で処罰できるようにしないといけないわけで……ああ、これどうするかなぁ」
「方法があるのですか?」
「ある、とても簡単で効果的な方法が」
しかし、それは非常に政治的なことでもあった。
「どれくらい時間がかかるか分からないから、それまではそっちでなんとかしてほしい」
「わかりました。他ならぬ義兄殿のお言葉ですから、同胞たちも信じてくれるでしょう」
「そいつは良かった。――でさ、前から気になってるんだけど、エルフって年下の知人のこと『義兄』って呼ぶの?」
「いえ? そんなことはありませんけど」
「じゃあなんで、君は俺のことを……」
そこまで口にしたところで、リーニの背に影が掛かる。
「リーニ、話は済んだのでしょう? では、次はこちらです」
「いやいや、まだ話終わってなあああいえあああああああ~~……」
「お気を付けて~~」
アヴェンタは朗らかな笑みでリーニを見送る。
そしてリーニの姿が見えなくなると、至極真面目な顔で呟いた。
「姉を幸せにできる人だから、私はあなたを義兄と呼ぶのですよ。義兄殿」
彼は、この国の国王だった。
彼の父の代から始まった魔族の本格侵攻。生まれたときから、それに立ち向かう運命を背負わされていた彼は、しかし人生の過半を過ぎたところでその重荷から解放されることになった。
それを成し遂げたのは、彼の姪と仲間たち。
平穏を取り戻した世界で、彼はようやく王者としての楽しみを満喫することができるようになったのだ。
「これは、渡りに船というやつかな?」
綺麗に整えられた口髭を撫でながら臣下から提出された書状を眺める。
そこには、聖樹の森を王家管理下の禁足地とするようリーニから要請があった旨が記載されていた。
その書状にはさらに、禁足地指定はエルフの自然資源を王家が独占することを意味しており、貴族や商人たちの反発を考えれば得策ではないという大臣の助言もあった。
国王は思案する。
どちらの言い分にも理はある。
禁足地に指定しなくとも、聖樹の森の警備をより厳重にすれば済む話だという大臣と、禁足地にすることで森への侵入を抑止したほうがエルフとの関係を良好な状態で維持できるというリーニ。
国王は穏やかな空を眺めながら、こうした国内問題で悩めることの贅沢を噛み締める。
「さて……」
国王は控えていた使用人を呼び、娘をここに連れてくるよう命じた。
その命令は粛々と実行され、ほんの五分程度で聞き慣れた足音が近付いてきた。
「お父様、お呼びですの?」
姿を見せた彼の娘は、なぜ呼び出されたのかと不思議に思っているようだった。
わざわざ呼び寄せなくとも、食事の時間になれば顔を合わせるからだ。
「いや、リーニ君から書状が来てね。お前にも意見を聞こうと思ったんだよ」
「っ!!」
リーニの名を聞いた瞬間、王女の顔が顰められた。
そして、吐き捨てるように彼女は言う。
「あの男がなにを言っているのか知りませんが、わたくしはあの男が一番苦労するよう取り計らうのがいいと思いますわ」
「おや、そうなのかい?」
「そうですわ! 奴にはそれがお似合いなのです!」
胸を張る王女に、国王は苦笑を浮かべる。
「彼は君を魔族の手から救い出してくれた恩人だぞ?」
「恩はもう返しましたわ。それを撥ね除けたのはあの唐変木です」
国王は、娘が自分に用意できる様々な報酬を提示し、リーニがそのすべてを断ったことを知っていた。
そして、そのときにリーニが言った言葉も。
「――わかった。そうしておくとしよう」
「ご理解頂けてなによりです。では、失礼致しますわ、陛下。明日のへちゃむくれ勇者とのお茶会の前に、お菓子を焼き上げなければなりませんので」
「うむ」
去っていく娘を見送り、国王は書記官を呼び付ける。
「聖樹の森を禁足地とする。布告は私とリーニ君の連名にしておきたまえ」
代官である以上、それは不思議なことではない。
だが、通常は決して行われないことだ。
「承知致しました」
そうだというのに、書記官はそれについて疑問に思う様子もなく、ただ淡々と必要な事項をメモに書き付け、一礼して国王の前を辞した。
「彼の希望を叶えることと、彼の苦労は別物だからね」
お茶を一口。
国王は楽しげに笑みを浮かべ、娘がリーニに対する態度を硬直化させた理由を思い出していた。
(政治の道具として生まれ、教育されてきた王家の娘に、『あんたの命以上の報酬なんてないだろうが』なんて言えば、こうなるのは当然なんだよ。リーニ君。君はこの世界で唯一、あの子を王女からただの娘にしてしまったんだ)
おそらく、いやまず間違いなく、王家との関係を面倒くさがった結果の台詞なのだろう。
一度でも繋がりができてしまえば、それを放棄することは難しい。
ならば、その繋がりを最低限のものにしてしまいたいと思うのが人情だ。
(きっと君のことだ。他の仲間にも似たようなことをしたんだろう。だが、それは君の行いの結果だ。せいぜい頑張ってくれたまえ。私と弟は、君を気に入っているのだから)
ウェイランド商会は、エルフの自然資源を唯一取り扱える商会となってしまった。
それはあまりにも大きな商材であり、リーニは自分の決断を正しいと信じつつ人生を呪う仕事を始めた。
「へ、へへへ……」
机の下に潜り込んで邪法書を読むリーニ。
しかし、彼に邪法を扱う才能が完全に欠落していることを知っている周囲の人々は、その行動をまったく意に介さなかった。
「とりあえず、親父を呪うところから始めるぜ……へへ……」
ここで故人を呪おうとする辺りが、彼の悪意の限界だった。
頑張れリーニ。負けるなリーニ。
店の前にはアイリア御用達になった辻馬車が止まっているぞ。