悪徳の一 公共事業
「へいローガン! へい!!」
リーニは商店主の部屋で、商会の番頭であるローガンを呼び付けた。
ローガンはリーニの声を聞いて手早く部下に指示を出すと、リーニの言葉を書き留めるメモと携帯用インクと羽根ペンを持って商店主室に入った。
「どうなさいました、若」
「うむ、ひとつ大きな事業をしたいと思ってるんだ。その手配を頼みたい」
リーニは机の上で組んだ指で口元を隠しつつ、緩みそうになる頬を必死に押さえ込んでいた。
「事業、ですか。それはいったいどのような?」
「道を作る」
リーニは考えた。
如何にして商会を綺麗な形で終わらせるかを。
万が一にも魔族との繋がりが発覚してはならない。そうなれば、従業員たちは人々に裏切り者として扱われてしまう。
しかし、このまま商会が存続していては、いつどこからこの情報が漏れるかどうか分からない。
ならば、従業員が後ろ指をさされるようなことのない形で、商会を畳む必要がある。具体的に言えば、真っ当な仕事をして、しかし志半ばで資金が尽きるような形が最適だ。
責任は自分が背負えばいい。従業員は優秀な者が多いから、責任さえこちらで引き取ってしまえば、あとはどうとでもなるはずだった。
「さて、じゃあどうするか、できればデカく金を使いたい。そして手早く商会を潰したい。こういうのは早い方が良いもんな」
あまり時間が掛かってしまえば、その間に秘密がバレてしまうかもしれない。
ならばどうするか、盛大な花火とともに散ればいいのだ。
「――そうだ! あの手があるじゃないか!」
リーニはかつて自分が生きていた世界で、人々に無駄遣いだと謗られていた事業に思い至った。
そして、番頭を呼び付けたのである。
「道ですか? ああ、街の倉庫へ石畳を引くとか……」
ウェイランド商会の本店から倉庫までの道は、長い年月の間に石畳が砕け、土が剥き出しになっている。
当然、倉庫への行き来には余計な手間が掛かっており、いつか街の役人と話を付けて修復しなければならないとローガンも考えていた。
商会を引き継いだばかりのリーニが、そうした細やかな引き継ぎ事項もきちんと記憶していることに、ローガンは胸を撫で下ろした。
「馬車隊のミックスも喜びます。すぐに手配しましょう」
「あ、そうなんだ、よかった。――って、そうじゃない!」
「まだございましたか? ああ、街の城壁周辺の石畳も修復しなければなりませんな、魔族との戦争も終わりましたし、城壁の修復も役人にせっつきましょう」
「あ、うん、よろしく。って、ちっがぁあああああうっ!!」
ばぁんっ!!と机の天板を叩き、リーニが立ち上がる。
魔法戦士として勇名を馳せただけあって、その腕力に一枚板の天板がミシミシと音を立てた。
「俺が言っているのは、王都への街道を整備するということだ! 道幅の拡張! 馬車駅の設置! ついでに舗装!!」
「そ、それは、あまりにも大規模過ぎるのでは? 他の商人たちと共同で行うにしても、調整にかなりの時間が……」
「いや、うち単独でやる! 政府も、うちが持ち出しでやる分にはすぐに許可を出してくれるだろう。なんせ、戦争で金がないからなぁッ!」
王国は数百年に亘る魔族との戦争により、その金庫をほとんど空にしてしまった。
そのせいで各地の経済は滞っており、財政再建には百年以上かかるのではないかとまで言われていた。
リーニは、その王国政府の泣き所を突っついたのだ。
「ですが、それほど大規模な工事となれば、我が商会の資産をかなり消費することになります。しかも、実入りがどれほどのものになるか、先の見通しも……」
「だからやらねばならんのだ!! 先の見通しが立つような事業は他の連中にくれてやればいい! 我々は、王国商人の先頭に立って、誰も歩んだことのない荒野を進むぞ!!」
「若……」
あまりにも危険なリーニの考えに、ローガンは悩んだ。
どうやってこの若き主を止めるか、これまで商会に勤めてきた人生を振り返りながら考えた。
そして、やがてウェイランド商会がまだ小さな馬車ひとつしか持っていなかった頃、兄のような存在だったライアン・ウェイランドとともに各地に荷物を運んだことを思い出した。
『ローガン、俺は必ずウェイランド商会を王国一の商会、いや、世界一の商会にしてみせるぞ。そして、お前を世界一の大番頭にしてやる!』
そうだ、ウェイランド商会は世界一の商会になるのだ。
自分はなんて大事なことを忘れていたんだ。
「若……申し訳ありませんっ! 私は、こんな大切なことを……!!」
「お、おう? どうしたローガン、なんかひげ面の大男が泣くとすごい迫力だぞ。ほら、鼻水拭け」
「では、失礼しまして……」
盛大な音を立てて鼻をかむローガン。
リーニは番頭の急変にビビり、完全に当初の勢いを失っていた。
しかしその分の勢いは、ローガンに伝染していた。
「あとは私にお任せください、若! 商会の未来のため、このローガン全力でこの事業を成功させましょう!!」
「お、おう。あ、いや、無理はするなよ? 絶対だぞ。責任は俺が取るから、心配しなくて良いからな?」
「――!! それほどの覚悟を……! 若! よくぞそこまで……!! 旦那様も、さぞお喜びのことでしょう! 若のお気持ちは分かりました! 必ずや、ご期待に沿える結果をお持ちいたします!」
「そ、そうか! 分かってくれるか! さすがローガンだ! では頼んだぞ!」
「はい!」
リーニはローガンが、自分の口からは決して出せない、商会を畳むという意向をそれとなく理解してくれたと思った。
思えばローガンは商会の最も古株だ。商会のことならばなんでも知っている。
「これなら、最初からローガンに相談すればよかったぜ、あっはっは!」
きっと、父も魔族との取引について、ローガンだけには相談していたのだ。
そうでなければ、自分の提案をローガンが受け入れる訳がない。
「さすがローガン、次の仕事でも活躍してくれよ!」
リーニは安堵し、久方ぶりにゆっくりと休むことができた。
彼の不幸は、番頭とまったく意思の疎通が出来ていなかったことだろう。
こうして、不幸の礎は固まった。
「若! いくつか採石業者を買収しようと思いますが……」
「うむ! どんどんやれ!」
(そうそう、お金はどんどんつかっちゃおうねー)
「若! 馬車業者への補償金の件ですが……」
「うむ! 向こうの言い値をくれてやれ! 時間がもったいないぞ!」
(お金で買える時間は買ってしまえ!)
「若! 街道周辺に領地を持つ貴族の方々への根回しですが……」
「うむ! 彼らは体面で生きている生き物だからな。現金はやめておけ! そうだな、倉庫にある珍品でも配っておけ!」
(賄賂と思われては困るからな! 倉庫の在庫も一掃だ!)
「若! 王家より補助金の申し出が……」
「うむ! 今は我らへの補償金よりも、戦争で生まれた未亡人や孤児たちへの補償に回すようお願いしろ!」
(補助金なんてもらったら、王国からの監査が入るかもしれねえじゃねえか! ダメだダメ! 適当に誤魔化すんだ!!)
「若!」
「うむ!! 良きに計らえ!!」
(勝手にお金が減っていくって気持ちいい!!)
そして、数カ月が経過した。
「なんで儲かっとんねんッ!!」
ずばあああああんッ!!
リーニが叫び、天板が軋む。
「さすが若! 見事、この商機を掴みましたな!」
「――どういうこと?」
「我が商会が作った道により、王都と我がミドベル間の流通が加速、物流は戦況悪化前の水準に戻っております。我がミドベルはいち早く物流を復旧させたことにより、王国の流通の要衝としての地位を確保いたしました! 今や王都への物流の六割は、このミドベルを経由しております。当然、ミドベル随一の我が商会は、その波に乗って利益を拡大しております」
「へ、へぇ……」
リーニの顔に汗が浮かぶも、ローガンは気付かない。
「馬車の運輸業者も、さきの補償金が利いているのか、ミドベルへの投資に積極的です。彼らがここを拠点とするならば、一層、街の発展に寄与することでしょう。今度若のお時間が取れるときに、ご挨拶に上がりたいとのことです」
「そう、わかった……」
「買収した採石業者も、この復興特需のお陰でかなり大きな儲けを出しています。他の商会も我らのあとに続こうと考えているようですが、なにごとも二匹目のドラゴンでは我々ほどの収益は出せますまい」
「そうなんだー」
「補助金を断り、戦災遺族補償金を国王陛下にお願いしたこともあって、これだけの収益を上げても、我々のことをを戦災を利用した死の商人と呼ぶ国民は極々少数です。この評判は今後の我々の事業にもプラスに働くでしょう。さすが若、人々の評判まで計算に入れておられたとは……!! 亡き旦那様もさぞお喜びでしょう!」
「――いや、親父喜ばせるとか、どうでもいいから」
「そうでございますか? あ、いや、確かに。あの旦那様ならば、もっと上を目指せと仰るでしょうな、がっはっはっは!!」
「あっはっは! はぁ……」
(どうしてこうなってしまったんだ!! 誰か、教えてくれえええええっ!!)
頑張れリーニ、商会を潰す日まで!