悪徳の十四 人心掌握
錬金術と魔法の違いはなにか。
そこに明確な違いはなかった。
本人たちの言葉を借りるならば、錬金術を道具として用いるのが魔法であり、魔法を道具として用いるのが錬金術ということになる。
かつて魔王を倒した勇者パーティにも、魔法使いと錬金術師がいた。そして、互いをライバルとして切磋琢磨し、その研鑽は魔王討伐の一助となった。
しかし、そのふたりは魔王討伐後に別々の道へと進み、今となってはまともに顔を合わせる機会もないという。
リーニはそんな事情を知ってはいたものの、それぞれが別の道に進むことはそれぞれの人生に有益であると考え、殊更首を突っ込むような真似をしてこなかった。
つまり、仲間たちはいずれも、リーニは自分たちに会いにくることはないと思っていた。
「エンジュさーん、お届け物でーす」
「――はーい」
扉の向こうから、若い女性の眠そうな声が聞こえる。
そのまましばらく経つと、扉がゆっくりと開かれた。
「ご苦労さまです。いったいどこから……」
扉から眠そうな顔とボサボサの髪のままで顔を出したのは、魔法使いのエンジュ・カラサキだ。
勇者パーティの魔法使いとして活躍したが、その後は王国の隣にある魔法国の最高学府『大魔導院』に特待生として招かれていた。
「おう、エンジュ、もうすぐ昼だけど、まだ寝る予定だったりするか?」
「…………」
エンジュの目が、来訪者――リーニの爪先から頭頂部までを三回報復する。
その間、約十秒。
「……? ……?? ……???」
首を傾げながらリーニの顔を見上げ、しばし見つめ合う。
その間、約十五秒。
「――――あ」
気付く。
鈍った思考に雷が走り抜け、記憶が繋がっていく。
「ああ……あああああ……」
すべてを自覚した瞬間、エンジュは勢いよく扉を閉めた。
「きゃあああああああっ!!」
扉の向こうから、雄叫びが聞こえる。
リーニはそれを聞きながら、満足そうに頷いた。
「元気そうでなによりだ」
「ひぃやぁあああああああっ!!」
エンジュの悲鳴が宿舎に轟いた。
「いらっしゃるときは、事前に教えてくださいとお願いしたはずですが?」
エンジュは頬を膨らませながら、リーニをじっと睨んだ。
しかし、その手は危なげなくカップにお茶を注いでおり、手慣れたその動きには洗練された美しささえ宿っていた。
「ちゃんと知らせは出したぞ」
「いつですか?」
「昨日の夜」
「知らせより早くいらしては、なんの意味もありません!」
問題児を叱り付ける教師そのものといった態度のエンジュ。しかし、頬を膨らませたままでは迫力など微塵もない。
もっとも、旅の仲間として苦楽を共にしたリーニには、たとえ言葉相応の迫力があったとしても効果があったとは考えにくい。
「――はぁ、ここにいらした理由はなんですか? リーニさんがなんの理由もなく訪ねてくるとは思えません」
「さすがエンジュ。ちょっと手伝って欲しいことがあって、こうやって直接出向いたんだ」
「手伝って欲しいことですか? 研究の手伝いみたいに、長期間ここを離れなければならないものは困るのですが……」
エンジュの立場は留学生だ。
多少の自由はあるとはいえ、大魔導院の規則に従う必要がある。
そうしなければ本来得られる筈だった学位を得ることができなくなってしまう。
「その点は大丈夫だ。せっかく念願叶って大魔導院に留学できた仲間を困らせるような真似はしないさ」
「リーニさんならそう言ってくれると思いました。でも、どうしてもということなら、気にせず声を掛けてくださいね。あなたにはそれだけの恩があるんですから」
「――やっぱり、エンジュは素直でいいなぁ。他の連中ときたら、自分の都合しか考えないし」
どこか遠くを見るリーニを、エンジュは微笑みながら見つめる。
その姿は慈愛に満ちた女神のように穢れなく、学園でも多くの男子学生の憧れの的となるに相応しいといえた。
だが、それは、彼女本来の姿ではない。
(リーニが私を頼ってきた。これを利用すれば、他の連中を出し抜くことも……)
勇者パーティの良心と慕われ、人類、魔族双方の魔導理論を修めた才女と崇められたエンジュという少女。その正体は、古き時代より生き延びた邪教の信仰者、その生き残りだった。
ただ邪教といっても、その数は星の数ほどもある。
しかしその中でも、現代に至るまで勢力を保ちつつ、社会への脅威となる組織は多くない。
エンジュが生まれたのは、その中のひとつ。魔数派と呼ばれる異端学者の集団だった。
魔数派は本来、その字の如く、数学による魔法と理の探求を目的に設立された秘密結社だった。しかし、いつしか真理の追究のためにありとあらゆる手段を用いるほどに過激化し、魔族との戦争開始と同時に邪教指定を受け、討伐の対象となった。
魔数派は真理探究のためには魔族との取引も積極的に行い、拉致してきた人間の子どもたちを魔族の餌として引き渡すようなこともした。
各国は魔数派を討伐し、彼らは身の安全を確保するために地下に潜る。
魔数派は研究を続けながら、ひっそりと存続した。しかし、長い時間の間に構成員はひとり、またひとりと命を落としていき、勇者による魔族討伐が始まったころには数十人を残すのみとなっていた。
そんな中で、彼らは起死回生の策として勇者パーティに自分たちの仲間を潜り込ませることを考える。魔族との戦いでは魔族の情報を持つ魔法研究者が必要とされており、魔数派には彼らの研究の集大成とも言える魔数理の巫女がいた。
巫女は魔数派が蓄えてきた研究成果のすべてを記憶しており、同時に過酷な訓練で身に付けた魔導師としての力も兼ね備えていた。
エンジュは偶然を装って勇者パーティに接触。その魔族の知識を買われて仲間となる。
彼女目的はただひとつ、魔族の長たる魔王の持つ知識を得ることだ。それさえ手に入れてしまえば、この世の総てを操ることさえ容易いと彼らは信じていた。
エンジュは魔数派の望む通りに動いた。
与えられていた仮初めの顔――品行方正な、聖女の如き慈愛の持ち主として仲間たちの信頼を勝ち取り、信頼されていく。
しかし、旅の中でエンジュの思い通りに動かない人物がひとりだけいた。
魔法戦士リーニだ。
彼はエンジュが魔族と接触しようとするたびにそれを妨害し、より遠回りとなるであろう道に案内しようとすれば別の道へ一行を誘導し、エンジュの手引きで強力な魔族が襲来したときでも仲間たちを率いてそれを撃退した。
エンジュはリーニが自分の正体を知っているのではないかと疑った。
だが、最後までリーニはエンジュの正体についてなにもいうことはなく。やがて魔王の討伐は達成される。
エンジュは仲間たちとともに魔王の残した遺産を調査し、魔数派が欲していた様々な知識を手に入れた。あとは魔数派の者たちのところに戻り、手に入れた知識を研究すればいい。
エンジュは魔数派が潜む霊山ハイルファースへと向かい、そこで壊滅した魔数派の拠点を目にする。
魔数派は人類と魔族の連合部隊による強襲を受け、彼らに対する怨嗟を撒き散らしつつ自らの命を絶っていた。
部隊を送り込んだのは、リーニの父ライアンだった。
彼は息子の旅の裏で暗躍する者たちの存在を察知し、息子の協力を得て彼らの拠点を突き止め、各国に呼び掛けて攻撃を仕掛けた。魔数派は各国にとっても危険な存在であり、魔族は人類との協調を人々に知らしめるために力を貸した。
その部隊の中に、リーニがいた。
彼は旅の中で魔数派の存在を知り、その撲滅の陣頭指揮を執ったのだ。この時期の勇者とその仲間たちの声望は頂点にあった。人類と魔族の共同部隊を勇者の仲間が率いるという、人々が好みそうな状況を作り出したのもリーニだった。
エンジュは還る場所を失い、そしてリーニの支援を受けて王国で暮らすようになった。
(みんなは言っていた。正しき理を持つ者こそが世界を支配すると。ならば、みんなを殺したこの人こそが、正しき理を持っているはず)
エンジュの価値観は歪だ。
それは真っ当な倫理観を持たない魔数派によって育てられた結果に過ぎないが、それを覆い隠すための教育も受けている。魔数派は自分たちが人々に狙われる存在だと自覚していたから、身を隠すためのあらゆる努力を行った。
子どもたちは本心を隠し、人々に溶け込めるような人格を形成された。少なくとも魔数派の研究は、エンジュのような子どもたちを作り出すには十分過ぎるほどに成熟していたのだ。
子どもたちは純粋で、品行方正、他者を慈しみ、悪を許さず、勉学に励み、常に仲間の中心となるような一種のカリスマさえ備えていた。
エンジュが魔王討伐のために集まった勇者一行の一員となったのも、決して偶然ではない。
彼女が作り上げた実績が、それを実現させた。
彼女は徹底的に魔数派のために行動した。それを唯一超越したのがリーニだった。
エンジュは自分を形成する魔数派の道理を守るために、リーニを選ばざるを得なかった。
「では、皆さんへの贈り物を選ぶお手伝いをすればいいんですね? ふふふ、きっと皆さん喜んでくれますよ」
「そうだといいなぁ。そうじゃないと困る」
「大丈夫ですよ、絶対」
そう、絶対だ。
リーニが誤るはずがない。
自分たちが負けたのはどこかで答えを間違えたからだ。
なら、正しい答えを出したリーニが、間違える訳がない。
「じゃあ、さっそく出発しましょうか。急がないと他の方に見つかってしまいますから」
「本当にすまねえ、この恩は絶対返す!」
「はい、楽しみにしていますね。――リーニさん」
エンジュは心からの微笑みを浮かべ、リーニを促す。
今の彼女は、神に仕える巫女そのものだった。