悪徳の十 教育制度 前
リーニはその日、国王に呼び出されていた。
その昔、勇者とともに各地を飛び回っていた頃のように、とても気軽に呼び出された。
「陛下、一応自分、あのころと違ってヒマじゃないんですけど」
「知っているとも。最近良く働いているそうだね。褒めてあげよう」
「それは恐悦の至り。それで、そんなひと言のために呼んだ訳ではないですよね」
国王は勇者たちへの命令を伝える際、リーニを通すことが多かった。
それは彼がもっとも世間慣れしており、ある種の社会不適合者の集団である勇者パーティの中で一番社会の道理を弁えていたからだ。
「よくわかったね、ご褒美に娘をあげようか」
ここでいう娘とは、当然王女のことだ。
王位継承権を持つ、れっきとした時期女王候補のひとりである。
それを果物でも寄越すようにくれてやるという国王に、リーニはため息とともに頭を振った。
ここが国王の私室でなければ、無礼だと叱責されたことだろう。
「うちの商会、人間は買い取ってないのでいらないです」
人材の派遣はしていても、人身売買はしていない。
王女などもらっても面倒事が増えるだけなのだ。
「そうか、ならば玉座と玉璽のほうがいいかな。これなら買い取れるだろう」
国王は面白そうに王位を売り渡そうとする。
これでも国民に慕われ、各国からの信頼も厚い賢王なのだ。
ただどうしても、リーニに対しては気安い態度を取りがちで、それを臣下に諫められたのは一度や二度ではない。
「いやー、残念ですが、値段が付かないような品は買い取れないんですよ」
「ほう、そういうものなのかい、ひとつ勉強になった。ご褒美に娘をあげよう」
「いらないです」
先ほどと同じやりとりをもう一度行い、ふたりは本題に入った。
「では、代わりといってはなんだけど、リーブラにある王立学園をあげよう。貴族の寄付金で運営しているせいか、学び舎ではなく単なる社交場と化しているようでね、今となっては無用の長物となってしまった。余が通っていたころは、まだいくらかマシだったんだけど」
「今の陛下を見れば、さもあろうという感想しかありませんが」
「ははは、ならば尚更、もう私には必要ない。あげるから、君の好きなようにしてみるといい」
国王はそういって、リーニに退出を促す。
リーニが断るなどとは微塵も思っていないようだ。
「では、期待しているよ」
リーニは再び溜息を吐くと、一礼して王の前から立ち去った。
「さて、いらないと言われた王女は誰が宥めるのか、これもまた見ものかな」
リーニが国王の申し出を断ったという噂は、早晩王都中に広まることだろう。当然、王女本人の耳にも入る。
そうなったとき、王女はリーニ対する怒りを爆発させ、従姉妹と衝突するに違いない。
「はっはっは、ケンカのできる相手は、存外貴重なものだよ」
リーニは城から出ると、すぐにソリスに連絡を取った。
そして、どこか緊張した様子の彼女に対し、彼女の師を紹介してほしいと頼んだ。
「――本気?」
ソリスの声がここまで落ち込むのは、魔王との戦いの最中でもなかったことだ。
「本気だ。すぐにメルキオール翁に連絡してくれ。あの人ならきっと、二つ返事で了承してくれる」
「それは……そうだけど……」
ソリスの師メルキオールは、当代随一の偏屈者で知られる錬金学者だ。
研究と実践に命を懸け、それを他人に教えることで自らの理論の正しさを証明するとして、田舎で私塾を開いている。
ソリスはそこで魔法の基礎を学び、その才能を開花させた。
「頼む!」
「――わかった」
リーニに頼られることなど滅多にない。
ソリスはどこか得意気な表情を浮かべると、師への連絡のため通信用の宝珠を握った。
厳しい師の教えに晒されるであろう貴族の子弟たちのことなど、微塵も考えていなかった。