プロローグ:悪徳を目指して
「では、国王陛下の代理人として、わたくしパトリック・ノウマンがライアン・ウェイランド氏の遺書を開封いたします」
故人が依頼した通り、王政府は正しく彼の遺言書を取り扱った。
遺言書製作者とは別の公証人を派遣し、遺族の前で遺言書を読み上げる。
「ライアン・ウェイランドが保有するあらゆる資産は、王国への届け出相続人である子息リーニ・ウェイライドが相続するものとする」
それは、王国ではごく一般的な内容だった。
故人の家族は死別した妻と一人息子しかおらず、それ以外の親戚とはまったく付き合いがなく、それを証明するように葬儀にもそれらの姿はなかった。
しかし、生前の故人の人望を示すように、葬儀には多数の知人や友人が集まり、喪主となった一人息子を揃って励ました。
「相続人、この遺言を受け入れますか?」
公証人は遺言書をその場に集まった人々に示しながら、その中心にいる青年に問い掛ける。
若き日の故人によく似た青年が首肯すると、公証人は何度も頷いて目尻に浮かぶ涙を零さないよう堪えた。
彼は故人と数十年の付き合いがあった。
友人の息子に友人が築き上げたものを受け渡す役目に、多いに感じ入るものがあり、声を震わせた。
「では、国王陛下の代理人として、リーニ・ウェイラインをウェイライン家当主として認めます。神の祝福あれ」
『神の祝福あれ』
相続に係る儀式は、終わった。
◇ ◇ ◇
だが、問題はあとからやってきた。
それはもう、死者との思い出に耽る暇もないほどの早さで突っ込んできた。
「――はっ!?」
それに気付いたのは、父から受け継いだ商会の帳簿を確認しているときだった。
父は他人に帳簿の管理を任せることなく、すべて自分の手でそれを取りまとめていた。一部だけならばともかく、すべての帳簿の内容を把握しているのは彼ひとりだった。
だからこそ、誰も気付かなかった。
「やべえよ、やべえよこれ……」
リーニは父の執務室だった部屋の真ん中で、帳簿を突き合わせながら脂汗を浮かべていた。
腹の奥で何かが捻れるようなこの感覚は、勇者とともに駆け抜けた冒険でもまったく感じたことがないほどの危機感だった。
「おかしいと思ったんだよ、うちの商会だけ明らかに魔族の襲撃少なかったもん」
リーニは黒い装丁の帳簿を広げ、自らの父が行った犯罪すれすれの――しかし人々の心理的には大罪確定の行為を口にする。
「あの親父、魔族と取引してやがった……」
魔族領でしか採取できない各種希少物資を、人間領で流通する各種物資と交換する。黒い帳簿には、その詳細が記録されていた。
「こんなんバレたら、確実に商会が潰れる」
リーニは商会に勤める従業員たちとその家族の顔を思い浮かべる。
誰も彼も、早くに母を失い、仕事一辺倒の父に代わって彼を家族のように扱ってくれた。
彼にとっての家族とは、すなわち商会の人々だった。
「――こうなったらやるしかねえ。みんなの経歴に傷が付かない形で、商会を閉める。商会がなくなっちまえば、王様だってそれ以上手を出そうとしないだろうし」
リーニ・ウェイライン。
魔王討伐パーティの魔法戦士にして、アスガル王国を拠点とするウェイライン商会の跡取り息子。
「俺は悪徳商人になるぞぉおおおおおおおっ!!」
彼の悪戦苦闘の日々は、こうして始まった。
なお、彼の叫び声は商会中に響き渡っており、従業員たちは一瞬だけ手を止め、すぐに自分の仕事に戻った。
「ああ、いつもの若旦那だ」
彼らの表情は、とても優しかった。